橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
今年の元旦は、ときおり霙が落ちてくるとても寒い一日だった。朝は妻と二人だった。食卓には数の子やぶりの照り焼き、棒だら、煮しめ、昆布巻きなどの正月料理が並んでいる。しかし、看護婦の長女は病院の夜勤で、警察官の次女は元旦は休みだったが、大晦日の夜から彼氏のところに遊びに行った。というわけで夫婦二人で「あけましておめでとう」を言い合い、おとそを飲み、雑煮を食べた。
9時過ぎに、看護婦の長女が病院から帰ってきた。そこで10時過ぎに寒さの中を、妻と長女の3人で、近所の中島神社に参拝した。それから木曽川に行って、鳶にエサをやった。
鳶のエサはかしわの皮である。妻の実家の近くの市場でこれが安く手に入るので、妻は毎週実家に帰るたびにこれを買ってくる。これが鳶の好物らしい。これを川の中に投げてやると、鳶が空から次々と舞い降りてきて、上手に足の指でつかむ。そしてすかさず空中で食べて、また舞い降りてくる。
昨日は14,5羽ほどの鳶がやってきた。それからカラスや鷺などもやってきた。今の季節、鳥たちも食料が乏しいのか、奪い合うようにして食べる。その眺めが見ていてなかなか壮観だった。
それから木曽川の堤防を走り、各務ヶ原のはずれの鵜沼まで行った。そこの池に毎年鴨がやってくる。それにエサをやりに行った。あらかじめ妻が喫茶店で食パンの屑を安く分けてもらっていた。それを3人で池の水鳥たちに与えた。これも正月の恒例行事になっている。
家にかえって一休みした。次女が彼氏とデートでなかなか帰ってこないので、4時ごろ3人だけでカラオケに行った。正月にカラオケに行くというのも、去年から我が家の恒例行事になっている。長女のおはこは、「名古屋はいいでよ」である。私は最後に美空ひばりの「柔」を歌った。妻が最後に歌ったのは三橋道也の「怪傑ハリマオ」だった。どれも懐かしい懐メロだ。
2時間ほど歌って帰ってくると、次女が帰っていた。ようやく一家4人そろったところで、もちを焼いて夕食のかわりとした。こうして我が家の正月は今年もめでたく過ぎていった。
二日の今日は、次女は通常勤務で6時過ぎに出かけて行った。長女と私はまだ休日である。3人で、金華山にでも登ろうかと思っている。そこでリスやヤマゲラにピーナツをやりたい。しかし、こう寒くては意志がくじけそうだ。
初夢に鳶がでてくるめでたさよ 裕
|