橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
2008年01月04日(金) |
30数年ぶりのクラス会 |
昨日はお昼の12時ごろに帰省して、母や弟の家族と一緒に正月料理をいただいた。4人の甥たちに合わせて2万円、それから母にも1万円のお年玉をやった。ほんとうは母にもう少し出したかったが、今回はこれが限界だ。そのあと会費1万円のクラス会が控えている。
食後も母や弟といろいろつもる話しをした。ビールを飲みすぎたせいか、母の思い出話を聞いているうちに頭がしだいに痛くなってきた。母の長話を、これもたまの親孝行だと思って耳を傾けていたたが、途中から我慢しきれなくなって、頭痛薬(バッファリン)を飲み、一休みさせてもらった。
1時間ほど蒲団に横になっていたら、頭痛がいくらか軽くなっていた。5時40分ごろ、弟の車で高校のクラス会の会場まで送ってもらった。福井駅前の「日本海庄や」という店だった。部屋に入ると、入り口に幹事の竹澤君が紳士然として座っていた。30年ぶりだが、すっかり見違えている。他のメンバーもみんな貫禄があって立派にみえる。おそるおそる頭を下げて「橋本です」と小声でいうと、「やあ、よく来たね」とあちこちから声がかかった。
名簿には44人の名前が並んでいた。出席者は私をいれて16名。住所不明が5人いたが、さいわい物故者はいないようだ。宴会がはじまって、ひとりずつ自己紹介した。少しずつ顔と名前が一致し始めた。大学教授や校長先生、町会議員、公認会計士など、多士済々である。しかし酒が入ると肩書きが外れて、座がくだけて昔の思い出話に花が咲いた。
8時ごろ、近くのバーに移動した。私たちだけの貸切である。ママが短いスカートで私の前に座った。おもわず目が膝頭の奥に行く。困ったなと思っていると、「気になるといけないので、最初にみせてあげるわね」と言って、股を広げて水色のパンティを見せてくれた。おかげで、そのあとはそれほど気にならなくなった。
ママさんに薦められるまま、カラオケで「青春の城下町」を歌った。手拍子が起こり、まわりの者も一緒に歌うので、私の声が聞き取れないくらいだった。これで気をよくした私は、ママさんと体をぴったりあわせてダンスを踊った。踊りながら耳元で、「パンティ見せてくれてありがとう」とお礼を言っておいた。こんなことを口にするのは、水割りを飲みすぎて、ちょっと酔ったようだ。
そうすると昔から軟派で知られていたY君がやってきて、「橋本はすっかり変わったな。あんなにまじめだったのに」と茶化すようにいう。これはすこしハメを外しすぎたと反省した。しかし、頭痛もすっかりおさまって、気分がよかった。最後はみんなでスクラムを組んで「高校三年生」を歌った。町会議員をしているK君の音頭で万歳を三唱して幕を閉じた。
同窓生I君が芦原温泉で一番大きな旅館の支配人をしているそうで、来年の同窓会はそこで泊りがけでやることに決まった。宿泊込みで1万2千円でなんとかするという。「カニは食べ放題だろうな」「コンパニオン込みだろうな」「来年までにクビになるなよ」などという声が飛んでいた。
男子ばかりのクラスだが、これがまたざっくばらんで雰囲気がいい。来年のクラス会にも是非参加したいと思った。
|