anxious for Heaven

鳥かごなんて、最初からなかった。

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2007年01月01日(月)
Good Bye2006&Hello2007


記憶や実感としてはあまり覚えていない2006ですが
人から聞いた話・拾ってきた記録・おぼろげな記憶から


2月
心臓病が2つ発覚
先天性の弁膜症と、冠攣縮性狭心症
前者は現在stage2中期
以前から知っていた(らしい)WPW症候群に加え
これで心疾患が3つあるとわかった
要経過観察、stage3に進行したら要加療


4月
超初期流産、そしてその時の検査で
多嚢胞性卵巣症候群だと発覚
冬の終わりの心疾患発覚に加え、更に打撃を受ける


6月
慰安旅行?(冬寿と私の父親と3人で)
冬寿、転職を決意、面接に行く
私的には、アクセサリーのネットショップをオープン
いろいろな方に作品を手にしてもらう機会が増えた
店名は、…いつか自分の娘に付けたかった名前
春先に感じた喪失感を埋めるためでもあった


7月
冬寿、転職先に内定、実は私の父親のいる会社
当時の職場に退職届を提出する
揉めるのは必至だった為、様式から法令まで全ての準備は私がした
新居が決定


8月
盆直前、冬寿が退職
19日には千葉へ引っ越し
9月1日の入社日を前に、部屋の整理や研修に追われる


9〜10月
冬寿、某企業に出向するも、デスマーチ続きで疲労困憊する
帰宅は深夜1時、家を出るのは7時という生活が続き
二人とも極限状態に
二度目の初期流産
福岡の友人Yukkyが遠路遥々遊びにくる

年初からの(主に病気に関する)重圧や、その頃の生活に潰されかけ
2年間続けていたmixiを退会、携帯メモリーもばっさり切り
身辺整理をして
3夜連続の大量服薬・リストカット・首吊りで自殺を図った
しかも冬寿と父親の眼前での3日間
私は一度死んだな、と思った(それだけはハッキリ覚えている)
事態が急変、冬寿の出向先変更が決まる
事情を『全部』理解してくれた上での、上層部の判断だった


11月
冬寿、新しい配属先での勤務開始
金融システム関係(銀行業務主体)を学ぶという目的で
私の父親の部下として、補佐的な仕事を任されるようになる
…(彼にとっては)義父の隣の席で…
やり易さもやり難さもあったと思う
そして中旬、私は服薬から昏睡に陥り、救急車で搬送され
集中治療室に入れられる
運良くすぐに退院は出来たが
度重なるショックが引き金か(薬の影響もゼロだとは言いきれない)
目が覚めたときには、自分に関する記憶がゼロになっていた
名前もわからず、ただ迎えにきた『夫』と名乗る人物に従う
その間の記憶にも、ばらつきがある
『父親』という人に会い、オーラ?から親子を実感する
『夫』を名乗った冬寿に関しても同じで
共に暮らしていくにあたっての恐怖などはなかった
病院側の退院手続きシステム上ミスで
『Kyo Sasakiは現在も入院していますが』と言われ
何が真実かわからなくなる
精神科の単科病院へ通院再開
よく眠り、心を落ち着け、人の(自分に纏わる)話を
より冷静に捉え、受け入れられるようにとの指導の下
また毎日服薬し、通院する生活に戻る

12月
相変わらず投薬の日々は続くも、少しずつ記憶を整理する
中断していたネットショップのリニューアルを目指し
毎日新たな作品を作る
様々なことを教わり、また思い出してきたことにより、かなり安定する
しかしまだ、一度に多くのことを思い出すと
頭痛などの形になって変調をきたす
冬寿の仕事に時間的余裕が増えたおかげで
二人でのんびり過ごす時間が持てるようになった


そんな2006年、覚えているのは正直言って
後半も後半、最後の1月半くらい
だからなおさら、2006年が終わったという気がしないのです
まあ…仕方ない、ですよね…時間は待ってはくれないのだし
とにかく、体や環境に振り回され
精神的にもさまざまなことがあった一年でした


2007年の抱負などを語るべきかもしれませんが
とりあえず…『のんびり』かな
そして、少しでも自分の過去と、現状と
起こり得るであろう未来を
冷静に受けとめるようになれたら、と思います
そして今年は、副業?たるアクセサリー製作に
かなりの力を傾けたいな、と
実は売り上げはコツコツ貯めているのです
心臓の為であるのか(万一stage3に進行した場合の治療費)
旅行の為であるのか(バリ行きたいです、バリ、もしくはサモア)
単に貯金が趣味なのかは…自分でも、謎v

そんな『回顧&抱負』でしたが

皆様、本年もよろしくお願い致します

一緒にいられると思ったのは
たぶん、間違いじゃない。
written by:Kyo Sasaki
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