「ガムを食べた。」 DiaryINDEXpastwill
2001年10月27日(土) 俺がいかに最低の奴か4

友達のライブの日。
出かけるも、場所がわからず、電話すると既に終っていた。
俺なんてこんなもん。
「今度ライブやるときまた呼んでくれ、行くから」
「おぅ、呼ぶぞ。つか弾いてくれ」
「あはは(笑)いやーそれはちょっと難しいけど・・・また呼んでくれや」
「わかったぞ」

出かける前、父親と2人で夕飯を食べている時、
言うつもりのない事をグダグダと吐き出してしまった。
なんでだかわかんない。何が言いたかったのかわかんない。


続き。

大学を辞めた直後、某テクノアーティストのアルバムジャケのデザインをしたり、ナイキのCMを制作したりしたアーティストと話す機会があった。
心身共に辛いのを押して、そういう交流会に参加してみた。
俺は、
「自分が思いつくこと全てがウソに思える。何もかも虚しくって、
自分が本当にやりたいこと、表現したいことが何なのかわからない。」
そんなことを相談してみた。
彼は、
「自分独りで考えていて何かが見つかるなんて人はいないよ。
勿論そうやって考えることは大切なんだけど、それだけじゃ答えは出ない。
みんな、愛する人や大切な人、気の合う友達やなんかがいて、
そういう人達を通して何かを見つけるんだよ。
例えば、友達が何か面白いことを企画して、俺を誘ってくれたとする。
そのとき俺は、”あっ、お前が誘ってくれるなら俺やるよ。”
そんな感じで何かを制作したりしてるんだよ。
例えば、ライバルが居たなら”お前がそういう作り方をするんなら、俺はこういう作り方をする”
って思ったりね。
そうやって人との関係の中でいろいろやっているうちに、自分がやりたいことがわかったりするんだと思うよ。」
こんな感じのことを言ってくれた。

そうか。って納得した。そうだよなぁ。
それまでの10年間の自分の生き方がいかに間違っていたか改めて思い知った。
もっと自分の周りにいる人達を大切にしなきゃいけないんだ。
そう気がついたはいいけど、遅かったような気がする。
そういう風に心掛けようにも、俺は人と対面するのが怖くてどうしようもないっていう感じになっていたから。
たとえ、なんとか耐えられるとしても挙動不審になってしまってた。
自分で自分をコントロールできなくなっていた。

それから、2年近く肉体労働の単純作業を続けていた。
物流の仕分け作業だ。夏でも9℃の冷蔵庫の中だ。
黙々と1人担当場所で働く。そういう仕事くらいしか出来なかった。
休みの日に外に出かけたりしては、徐々に人ごみに慣れていくようにしたけど、
誰かとコミュニケーションを図るってことはあんまりなかった。
仕事場での休憩所で、いい歳してなんでこんなバイトしてんだって言われながら、
説明にならない説明をしてごまかしていた。
個人的に興味を持たれても避けるような態度の俺は、いつしか陰で罵倒されるようになっていたけど、仕方が無かった。

4年間付き合っていた彼女はとうに愛想をつかして去っていた。
デートで映画を見れば途中で座席を立って出て行くわ、旅行に行ってバスに乗れば目的地に辿り付く前に下車してしまうわ、虫歯を治しに連れて行った歯医者では治療にならず何もせずに帰るわ。
そんな風になってしまった俺を全く理解できず泣き出した。
当然の事だ。
ある日好きな人ができたと言われ、別れることを快諾した。
ずっと側にはこの子が居たのに、どうしておかしくなってしまったのかって、すごい悪い気がしたから。
この子の側にいる間だけは自然で居られて、何の不安も無かったのに。
印象的だったのは別れようと言われた日に最後に見に行った海で夜光虫をみることができたこと。
神様が与えてくれた魔法だと思ったよ。
その後しばらく連絡をとり続けるも、いろいろあってドロドロになり断絶したんだけど。
この前、日曜日に図書館に行った帰り、大学時代の部活の後輩と手を繋いでるのを見かけたような気がする。

インターネットで人と話してみようと思ったのは、
物流会社で働くのを辞めて、どうようかなぁと思っていた頃だった。


くそ珍走団うるせぃ。
ライブを見のがした帰り道でも、三車線もある道をゆっくりゆっくり走って後ろを渋滞させているのを見かけた。

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