2001年10月26日(金) | 俺がいかに最低の奴か3 |
宅建の俺の結果に、何となく家族は喜んでいる感じ。まだわかんないんだけど。
少しでも孝行できてたらうれしい。
今、元気っちゃ元気なんだけど、なんか一昨日から独白告白懺悔が始まっちゃったので続けて書いちゃおう。
マイペース マイペース マイペース
バンドをやって、辞めて、彼女ができて、大学に入ってもそれは変わらなかった。
マイペース マイペース マイペース
彼女以外の人間とはあまり関わらなかった。
大学でもラグビー部に入ったんだけど、それでもマイペース。
バンド、デザイン、ラグビー部。
どこか人との共同作業に憧れを凄く持っていたからこそ選んだのに。
それでも「マイペース」って言葉で壁を作っていた。
とても付き合いにくい嫌な人間だったろう。
不思議と彼女とは上手くいっていたんだけど。
主体的に動く自分ってものにこだわり過ぎていたと思う。
本当に自分がやりたいこと。自分の言葉で話すこと。
それを獲得しないと人と対等に付き合えないような気がしていた。
でも、悩めば悩む程自分の中から出てくるものが全てウソに思えるようになってきて、人は俺から離れていき、俺も人から離れていった。
すると、どんどんいろんなことに対する動機が薄れていって、挙句、大学の課題すら提出できなくなった俺は留年決定。
留年後もロクに課題に取り組めず、気がつくと小さなノートにキチガイじみた細かい模様をびっしり描くようになっていた。
どんどん孤独で虚しい自分だけの世界に篭っていったわけだけど、そのことを自覚して、そのマチガイに気がついたのはどういう経緯だったかよく覚えてない。
マイペースであることと、人とコミュニケーションを図らないこととは違う。
俺は約10年間マイペースと称して、自分の周りに壁を作って自分勝手に生きてきた。
あるとき、そんな自分にどんなデザインができるだろう?と思った。
俺が学んでいたのは主に広告のデザインなんだけど、なるべく多くの人々に訴えかけることができるようなもの、そんなものを俺みたいな生き方をしてきた人間に作れるわけがないじゃないか!と思った。
多くの人が求めているもの、多くの人が共感するようなもの。。。
俺みたいな奴にそんなものが想像できるわけないだろうって。
それから何かそれまでの自分の生き方を全否定するくらいの、猛烈な反省や後悔や罪悪感が沸き起こってきた。
突然自分を守ってきた壁が崩れた感じだった。
そして俺は、人ゴミの中に入っていくことが出来なくなった。
映画館やバス、歯医者や床屋、学校の教室すら辛いこともあった。
そして退学。
人を意識しすぎるが故にマイペースに生きようとした。
10年間も自分を守ってきたその壁が崩れて、心身共に壊れてしまったんだと思う。