日記...マママ

 

 

久々に、ちゃんとする - 2011年05月14日(土)

我ながら信じがたい話だが、ここ2か月ほど、化粧を一切せずに生活していた。
仕事でもプライベートでも。
花粉症です、と言って毎日マスクをして顔を隠してやり過ごしていた。

単純にめんどくさかっただけで、それ以上の理由は何もない。

しかしさすがに花粉症はもう時期的に無理だし「黄砂がほこりっぽい」「風邪気味」などの言い訳も、各方面に使ってしまった。
黄砂は一時的なものだし、いつまでも風邪気味だと言い張るわけにもいかない。

なので今日は本当に久しぶりにファンデーションやらアイシャドウやらを顔に塗りたくって出かけたわけなのだけど、正直ここしばらくの無精を反省した。やっぱり化粧ぐらい人並みにせんといかんですね。社会との関わり方がまるで違う。自分の心持ちも違うし、周囲からの扱われ方も違う。わかってるつもりではいたんだけど、長らくすっぴんで社会と関わり続けているとイメージがだんだん固定化され、そして自分の中にもそれが投影され落とし込まれてゆく。何かあるときにすればいいや、じゃだめなのですね。毎日ちゃんとしてないとだめなのです。
だいたい、めんどくさいったって大した手間じゃないんだしね。

初夏のぼやーっと浮わついた空気の中で考える。
今年は、学の命日が来るのがそれほどに恐ろしくない。
ご家族はわたしのことをどう思っているのだろう、それが気になる。
わたしがいなければ学は死なずにすんだのに、と、もしもそのように思われていたとしたら、わたしはどうやって彼らに償うべきなのか、それを考えている。
けれども、初夏の空気がわたしを脅かすことはもうなくなった。

初夏の空気がわたしにもたらすものは、学と会う以前の、単純に浮わついていて、何かいいことが起こりそうな、明るい予感に戻りつつある。
それでいいのだと思う。
そのように、上手に、要領よく、片をつけてしまえる人間になることをわたしは選択する。
それによって、冷たい、薄情な性格だと自己を認識せなばならなくなることこそが、わたしにできることだと思っている。
だから、わたしは自らそうなることを選択する。

今書いてて思ったが、これって単なる開き直りだな。


陽一君がここを読んでいるのかどうかはわからない。
別れて一年が経ったが、なんだかんだでわたしも彼の日記は読み続けているので、たぶん彼もそうしているのではないか、とは思っている。


それでも、なのか、あえて、なのか、書くことにする。
初夏の浮かれた空気に感情が流されるままに自覚したが、わたしは主治医の精神科医のことが好きなのだと今日はっきりと認めざるを得なくなった。
正直、困っている。
婚活だとかメールがどうとかいろいろ書いてみたが、気乗りしないはずだ。
好きな人が他にいるんだもの。
それ以上に、よく知らないがたぶんこういう感情は治療を続けていくにあたってあんまりいい影響を及ぼさないのだろうと思う。患者が治療者に個人的好意を抱くのは「転移」とかなんとかいう現象でよくあることらしいという知識はあるんだけど、そうなっちゃう人をわたしは今までアホだなーとしか思ってなかった。やさしくしてくれるのは仕事だからなのにアホだなー、と思ってましたごめんなさい。過去の自分が恥ずかしい。

くだらないプライドだと自分でも思うが「あたし実は病気とかどうでもよくて先生に会いに病院に行ってるんです♪」状態にだけは絶対になりたくない。あくまでわたしは治療に行くのだ。できれば薬を飲まずに生活できるようになりたくて、月1回のペースで通っているのだ。それも月2回のほうが細かく状況把握ができてお互いにいいのはわかっているのだが、そうしてしまうとはまってしまいそうで怖いのだ。この感情と、よくなるための治療とを峻別できる器用さは残念ながらわたしにはない。治療のためには病院を移るのがよい。

という結論になるのが自分でもわかっていて、でも接点がなくなるのも正直嫌で、それで今まで見ないふりをしていたというのが本当のところのようだった。

我ながら、30女って扱いが本当めんどくさすぎると思う。



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