日記...マママ

 

 

- 2011年11月14日(月)

新卒の就職先で3か月間いっしょに新人研修を受けた関連会社の同期が急逝した。
脳卒中だったそうだ。
彼は院卒なので学年はわたしの二つ上、35歳だ。
30代の脳卒中が今増えている、と確かに聞くが、だからってどうして彼がこんな目に遭わねばならないのだろうか、実際に自分の周りでそういうことが起こると、いろんな感情がいっぺんに出てきてどうしていいか今正直よくわからない。

ここ数年は連絡を取っておらず近況を知ることもなかったのだけど、喪主が奥さんで、隣には小さな男の子がひとり、ちょこんと座っている。
息子ができた、とちゃんと聞いたことはなかったけれども、そりゃまあ35歳にもなれば、このぐらいの年頃の息子さんがいたって何も不思議じゃない。

きりりと結んだ口元、凛と見開いた目元。母親や祖父母からそうするように言われたのだろうか。それとも言われるともなくそうしているのか。

笑うときっと温和な顔つきの彼によく似ているのだろう息子さんのたたずまいは、それだけで参列者の涙を誘う。

眠り顔は穏やかで、でも、とてもやつれていて、いっしょに研修を受けていたときの健康的に丸みを帯びた、笑うとえくぼができる輪郭ではなくなっていて、どうして、とやっぱり思わずにはいられない。
死者だから美化するのではなく、本当に温和で人当たりのよい人なのだ。
裏表がなく、研修のときも敵を作らず誰からも好かれていた。
彼がよき家庭人、よき父親であったことは想像に難くない。

焼香のとき、奥さんは律儀にひとりひとりにお辞儀をしていた。
返礼をしながら、わたしは奥さんを抱きしめてあげたくなった。
面識がないので無理だけど。
でも、抱きしめてあげたかった。

奥さんは今、真っ暗闇の中にひとりでたたずんでいる。

皆が同情してくれる。
力になるよ、と言ってくれる。
それが決して嘘ではないことはわかっている。
でも、ひとりなのだ。
やっぱり、圧倒的に、ひとりなのだ。

あなたがいま真っ暗闇の中にひとりでたたずんでいることを理解します、そう伝えたかった。
ある程度時が経った頃、周りが少しずつ日常を取り戻し始める頃でも、あなた自身が本当にもとの自分を取り戻すまでは「元気になったふり」「立ち直ったふり」をする必要はないのだ、と伝えたかった。
周囲の抱える闇とあなたの抱える闇がまったく異質のものであることを理解します、そう伝えたかった。

学が自殺した後で辛かったことのひとつが、わたし一人だけ、周囲の時間の流れに取り残されている感覚がかなり長期にわたって続いたことだった。
周りの人たちが少しずつ気持ちに整理をつけ、自分の生活に戻っていく中、わたしはいつまでも元に戻ることができなかった。いわゆる「喪」の期間が自分の中で相当長く続いていた。

そして、そういうわたしを、「喪」を脱した周囲は少しずつ、持て余し始めたのだ。

「もう十分泣いたと思うよ」
「そろそろ前を向きなよ」

そういった意味合いの言葉を何度もかけられ、わたしはそのたびに傷ついた。
学のことを話題に出すことは、もうできないのだ、と感じた。

そのように、学を失った悲しみを共有してくれる人が少しずつ減ってゆくことが、一時期本当につらかった。

一度抜けたと思っても、そうやってまた次の真っ暗闇が続く。



彼の苦しみを想像すると涙が止まらなくなるが、それと同じく、彼の奥さんのことがわたしは気にかかる。

どうして死んじゃうんだ。どうして。
あんなにかわいい息子さんを置いていっちゃうなんて。
死ぬとか、なし。そういうの、なし。
死んだらいかんって。ほんとにいかんとよ。死ぬとか。ないって。ほんと。
理不尽だという思いがふつふつと湧き上がる。
なんで彼が死ななければならんのだ。
おかしい。変だ。
そんなことは、あってはならないのだ。
あんなに幸せそうな家庭を持てた人が、突然死んでしまうなんて。
おかしい。絶対おかしいよ。
どうしてこんなことになるんだよ。


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