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インドヨーロッパじごく、子供より親が大事ごく
2001年06月11日(月)

擬声語、擬態語が多いというのは、日本語の特徴らしい。
英語とか、インドヨーロッパ語族の言葉には、例えば蛙がぴょんと跳ぶ、のぴょんに当たる言葉がないらしい。
そういえば、しょっちゅう聞く、ぴょんだの、さっだの、わいわいだの、どきどきだの、英語にはなさそうだ。
で、この擬声語、擬態語というのは、意味よりも音が、重要らしい。
つまり、ぴょん、の「軽く飛ぶ」(?)という意味よりも、♪ピョンという音に、伝える要素があるということか。
言葉というより、むしろ音楽なのだそうだ。
確かに、ぴょん、と言われた時、言葉として受け取るよりは、その言い方、口調を楽しんで受け止めているように思う。
ぴょっん、とか、ぴょーん、とか、微妙に違う言い方だったり。
それに実際に音がしないもの(蛙が跳ぶとか)を音で表現する(ぴょんとか)って実はすごいかも。

言葉って、意味ばかりじゃなくって、耳触りというか、リズムなんかにも伝える力があるんだろうなあ。

それで、どうも、この擬声語、擬態語を妙に多く使う人が俺の周りに多い気がする。
たまに、「ぴょんって」「それでちょこって」「で、どかん」とかいう擬声語、擬態語だけで会話が終わってる時すらある。
会話って、たぶん、意味じゃない。リズムかも。


話しは変わるが、俺の人生の敗因は思い込みがつよいことじゃないかと考えた。
昨日、俺は自分で決めた事で成功したことってないかも、と書いたが、そもそもいつも目標をたてた時点で間違った目標をたてていたような気がする。
で、俺は思い込みが強いから、決めるのも、すぐ決めちゃって、迷いがなくって、まっしぐらに突き進んで、ばんって壁にぶつかって、わあんって泣いて、まわりの人に助け起こしてもらって、やっと他の道が見えたりする。
色々な事、大体そのパターンだった。
そういえば、昔から、俺は悩みってなかった。
不安、とかはよく感じるのだけど、どっちにしようかとか考えた記憶がなくって、たぶん、思い付きで決めて、なぜか自信満々に突き進んでた気がする。
だから、人に相談なんかもしないから、自分でも間違いに気付かないのだろう。

大学だって、俺はサッカーを見てて、「勝ったらここ受けるか」って決めたのだ。

昔は自分の事は自分が一番わかってる、と思っていたけれど、他の人の方がわかってくれている場合もあるかも、と最近思った。
どうも、俺は自分のことがよくわかってないんじゃないかと思う。だから目標や選択を間違うのじゃないか。精進しよう。




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