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『細雪』とコミュニケーションの媒介に人を使うのが嫌な事
2001年07月02日(月)

谷崎潤一郎の『細雪』なあんてのを読み返し始めた。
面白い。
大阪の旧家の姉妹がお見合いしたりしてるだけの話なのに、なあんでこんなに面白くって、するする読めちゃうんだろう。
悩みはくだらないし、貴族っぽい振る舞いは鼻に付くし、言いたい事も言えないでばかだと思うし、
でも魅力的で、風流、心理描写もすごいし。

読んでいると、外聞を気にしすぎたり、コミュニケーションの間に人を介したりっていう、私が嫌いなことばかりやっている。
でも、ふっとそれでいいのかも知れないと思った。

私は人間関係は一対一だと考えてるから、人と人とのコミュニケーションの間に他の人が入るっていうのにすごく嫌悪感があって、例えば「誰々がこう言ってたよ」というのは絶対ニュアンスが違って伝わっちゃうし、「誰々ってこういう人だよね」と本人がいないとこで話しても実際と違う人物像が作られるだけで全く意味がないし、止したらいいのにと常々思ってた。
でも、コミュニケーションって一体何をやりとりしてるのかと考えてみると、
多分「真実を伝えたい」なあんてものじゃないんだろーな、と思う。
「本当の事」なんて実は何処にもないし、
どこかに「本当の事」があってそれを伝えようとしているとしたらバカバカしすぎる。
お喋りっていうのは、どこにも行きつく所の無いもので、噂話なあんていうのも、実際にどうかなんてのは問題でなく、その場の雰囲気を楽しみたくってしているのだろうし、わけのわかんない噂話をされても、面白ければいーやというか、
情緒があれば自分が俎上に乗ってもまあいーやというか、
なあんかごちゃごちゃしてよくわかんなくなってしまったが。
悪口言われててもいいかな。
でも自分は言いたくないな。

そういえばフォーカスが廃刊とかって言っていて、ああゆうのも昔から嫌いだったけど、だってどうでもいいじゃん他人の事なんて。
他人の事がわかるわけないんだよ。

うーん、わかんないな、要は情緒かな。

人生に誤解は付き物だし、
誤解なんて全然平気。
誤解されても絶対誤解は解かないようにしようと思う。
だってかっこわるいもん。
あせって「ほんとは違うの」なんて言い出したらさあ。
「ほんとにそーだよ」、ほんとは違っても。
その方が面白ければそれでいいよ。
誤解されたままでいいんだ。

何にせよ、雪子ちゃんかわいい。

やっぱり、思ってる事をそのまま喋るなんてばかがやる事だよ。

私も雪子ちゃんみたいに、思っている事を喋らないようにしよう。

そうそう、本当に思っている事は言葉にしちゃ、いけない。





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