Love Letters
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2003年03月19日(水) 強さと優しさ


 自分より弱いものに対して手をあげるということは、

 卑怯な行為であり、

 その人の精神的な弱さ、幼さを露呈するものだと思う。



 日本では、

 夫婦間・親子間どちらにおいても

 表面化していないドメスティック・バイオレンスの件数が、

 非常に高いだろうと言われている。
 


 被害者の側も、被害を受けたことを隠そうとする傾向が強く、

 警察に通報されたり、

 児童相談所に報告されるケースが、少ないらしい。

 「身内の恥」と考えるからだろうか?



 私は、父親と前の夫に

 手をあげられたことがある。

 二人から暴力を受けたのは、それぞれ数回であって、

 ドメスティック・バイオレンスなどという

 日常的なものではない。



 けれど、

 たとえ、それが一度きりであっても

 自分よりはるかに腕力のある男に

 暴力を振るわれるという事は、

 物凄い恐怖である。



 そして、それが夫である場合、

 受けた暴力が、愛情の歪曲された形であったにしろ、

 トラウマとして残る。

 自分に手をあげた男に

 安心して抱かれるということは、

 もう、二度と出来なくなってしまう。

 少なくとも私はそうだった。



 父も、前の夫も、

 世間的には、「常識的で穏やかな人物」として見られている。

 とても家族に暴力を振るうような人物には見えないらしい。
 
 ただ、二人とも、

 言葉で感情や考えを表現するのが苦手なタイプである。

 だから、人と議論したりする事が出来ない。

 感情が高ぶると、

 それを相手にどう伝えれば良いのかわからず、

 暴力を振るってしまうのだろう。



 結婚前、前の夫はとても優しい人だった。

 その頃の私は、若くて世間知らずだったから、

 自分に優しい人が優しい人間だと信じて疑わなかった。

 結婚してからも、彼は、変わりなく優しかった。

 子供が生まれてからは、

 優しい夫であると共に、優しいお父さんでもあった。



 ところが、家族にある不幸が訪れてから、

 彼は、全く変わってしまった。

 彼の優しさは、

 何もかもが上手く運んでいる環境の中だからこそ、

 与えることの出来る優しさに過ぎなかったのだ。

 突然、家族に振りかかって来た不幸に対して、

 彼はあまりにも弱かった。

 彼は、人に優しくする余裕を失ってしまった。

 ただ、優しさを与えられることのみを求めたのである。



 私に彼の弱さまでも包み込むような包容力があれば、

 関係は持ち堪えていたかもしれない。

 けれど、家族全員が悲しみに塞ぎこんでいる時、

 一方だけが甘え、他方は甘えられるのみという関係が

 長く続くはずもない。

 いたわり合い、励まし合うことが出来なければ、

 悲しみが、また、

 新たな悲しみを連れて来ることになってしまう。



 私達は、別々に暮し、お互い独立した形で、

 親としては、今後も協力し合うという道を選んだ。



 私は、この経験から、

 「人は変わる。」ということを学んだ。

 良い状況の中では、人は誰でも優しくなれる。

 だが、苦しい状況でも人に優しくなるためには、

 精神的な強さがなければならない。



 私が、もう誰とも結婚はしないと思うのは、

 こんな風に考えるようになったからだと思う。



 私より、ずっと深い人生経験をしているあなたは、

 身の回りに何が起こっても、変わらないかもしれない。

 けれど、あなたの優しさが

 いつまでも変わらないかどうかなんて、

 今の私には、やっぱりわからない。

 わかるのは、状況によって人は変わるんだってこと。

 生きていくために、必要なのは、

 結局、自分自身の精神的強さなんだと思う。 




 私が、今日、

 忘れかけていた、或いは

 忘れようとしていた過去について書こうと決めたのは、

 BBCニュースで、

 すでに戦争へのカウントダウンが始まったことを

 知らされたからである。

 米国が、国際的に真の強さを示すためにすべきことは、

 多くの罪のない人々が血を流す「武力行使」ではなく、

 忍耐強い外交努力ではないだろうか。



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小夜子

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