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 覚書。

久しぶりに、心にゆとりが出来たらしく、ずいぶんいろんなことを考える今日この頃です。周りから入ってくる情報に、反応できるようになっている気がします。
「国家百年の大計」が苦手なのは日本人の国民性。熱しやすく、冷めやすい。”日本人は顕微鏡、対する中国人は望遠鏡中国人は双眼鏡”。(9日の社説より)
長い目で先を見て、物事を考えられる人がものすごく少ないと言うのは常々感じること。憲法改正(改悪?)に、私が絶対に反対な理由も実はここにあると思っている。憲法を変えること自体は、人間が作ったものである以上出来るのは当然。でも、未来のこの国ことまで考えた”より正しい”憲法を日本人が作ることが出来るとは私にはどうしても思えない。ほんの小さな動きに過ぎなくても、何かを少しずつ始めれば、いつか大きな波になるんだろうか?
相変わらず企業からは問題が噴出し続けているし、コンビニや100円ショップは大盛況、利潤を追い求める社会は恒久的なものではないことに、気づいてる人がどれだけいるんだろう。
昨夜、テレビでたまたまやっていた”エンデの遺書”の再放送をみた。資本主義、特に貨幣社会は普遍的ではないこと、むしろそれこそが世界の環境の悪化や貧困を招いていること。資本は、お金から生まれるものではなく(要するに利息などの差益)、資源と労働から生み出されるべきものであると言うこと。最近自分自身が感じていたいろいろなことと相まって、すごく心に訴えかけられる内容だった。
貨幣経済が不要だとは、きっと誰も思わない。国際社会の中で、お金が必要不可欠な役割をになっているのは変えられることではない。でも、生きていくためになくてはならないものではない。それに振り回されて、自分の心や自分たちの未来を失ってしまうとしたらそんなに愚かなことはない。
地域的な範囲で、それを少し違ったものにすることは小さな力になるだろうか。
防衛庁が、情報公開請求者を正当な権利の行使者ではなくあたかも異端者であるかのように扱ったのもこの国の国民性の表れだと思う。少し変わったことをすれば一般社会のなかで生き辛くなる。世間体やモラルなんて、やっぱり普遍的なものでもなければ必ずしも正しいものでもないのに、それを気にして正しいと思うことが出来ないのだとしたらなんてばかげているんだろうね。

正しいと思ったり違和感を感じたりする自分の感覚を信じること。それに自信を持つこと。あきらめないで進むこと。
たぶんまだ気がついていないことも含めて、全てのことは布石になっているはずだから。

2002年06月11日(火)
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