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■ 廻り廻るということ。
有事法制成立のために国会会期延長とか言っていましたが、どうやら今国会での成立は難しくなったとかで、ちょっぴり安心していなくもない今日この頃。とりあえず、頭を冷やして落ち着いて考える時間が出来たのは良いことなのではないでしょうか。なんかさ、誰も彼も感情論で躍起になっていて本来の目的が見えにくくなっていたような気がするから。メディア規正法もしかり。 それにしても政治家と官僚の関係が未だにいまいちよくわからない無知な私。でも、政治家が官僚に踊らされるようなことがあってはいけないとは思う、絶対に。政治家は未来の創造者、官僚はサービスマン、と言うのが本当のところだとは思うんだけどね。
最近思っているのは、循環すると言うことの大切さ。というか、それこそが真理・・・なんていうとちょっと大げさな気もしなくもないけどでもほんとに、そう思う。、”回る”ということはたぶんこの世界の基本。つまり循環しないものはとても不自然であって、いつかどこかで行き詰る。 自然を考えれば、全てが循環の中にあることがわかる。朝がきて夜が来てまた朝になること。季節が巡ること。雨が川になり海に流れて空へ戻ってまた雨になること。命がの営みが続いていくこと。食物連鎖だったり、もっと小さなことで言えば呼吸器だって、細胞レベルでだって、循環しているからこそ私たちは行き続けていられるんだよね。 でも、今、私たちの周りを見渡すと循環しなくなってしまっているものの多さに気づく。 例えば植物。種が芽吹いて育ち、花を咲かせて実をつけ、またその種から新しい命が芽生える。それは誰でも知っている当たり前のこと。だけど、実は今、植物たちは必ずしもその循環の中にあるわけじゃない。 高校生のときに地理の授業で地元の酪農家を訪ねたことがある。そのときに一番びっくりしたのが牛に食べさせているとうもろこしの話だった。 その農家では、とうもろこしを自分の畑で栽培して、それを餌の一部として牛にやっている。そのとうもろこしは実の部分がすごく大きくなるように改良された飼料用のハイブリッドコーンなんだけど、実をつけてもそこから同じコーンは出来ない。そしてその技術はアメリカの会社の特許なので、毎年種を輸入しなくてはいけないんだって。つまり、名目上自家栽培の餌といっても実質的にはそうではないということなんだけど。 そういうことはもちろんこのとうもろこしに限ったことではなくて、今の農業ではむしろ主流のようです。本来農業って、前の年に出来た種をとっておいてそれを次の年に蒔けば永久にお日様と雨の恵みだけで続いていくもののはず。でも、今は、毎年種を買わないといけない。改良されたF1の種たちは、自然界の循環の仕組みの中にないから。 紙はもともとは木で、本当なら土に還るはずのもの。だけど、定着剤が使われることでプラスチックと変わらなくなってしまっている。 漁業もそうだね。獲れるだけのものを獲れただけ食べている分には資源の枯渇なんてないはずなのに、必要以上に食べようとするから不自然になってくる。大きな網で大量に水揚げされる魚をテレビで見ていると、どうしてもそれが”適度”だとは思えない。 原子力発電は、温暖化の防止には貢献するけど、その廃棄物のことまで思いを馳せたとき、やっぱりどう考えても続いていくものではない。 人間の排泄物が大切な畑の肥料であった時代、下水なんて必要じゃなかったよね。もっとも現代人の排泄物は、化学的なものが多すぎてあんまり健全な堆肥にはなりえないのかもしれないけど。
持続可能な社会って、最近時々聞く言葉。それはとりもなおさず、循環していくことを指していると思う。 何かをする前に「これは果たして続いていくことだろうか?」って思ってみることは、ちょっとだけ、未来について考えるきっかけになるような気がします。
あ、出生率の低下もね、私は悪いことじゃないと思ってるんだ・・・。人口が増え続けていけばある程度までは確かに、生産年齢が増え続けるわけだから豊かさをもたらすかもしれないけど、どう考えても”続いていく”ことが可能じゃないのは自明の理でしょ?
2002年06月13日(木)
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