にっきちゃん。

2004年01月18日(日) ねえあたし。あたしを、もっとゆるしてあげて。



そよそよとやわらかく吹いていく風。
きっと美しい波の音。
ロマンチックな夕焼け空。


ぼーっと過ごす幸福。
愛する人と過ごす、時間。
形がなく、あたしの人生にとって具体的な進化がないものたち。



そう思わないと前に進めないと思っていたから。
あたしはあらゆるものとあらゆる感情をシャットアウトして
生きていた。



それを否定し様とは思わないけれど。けれど。
けれど・・・・・。



「ある文章」を載せます。



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『たとえば、自分の部屋の時計の音が普段は全然聞こえない・・・・って経験が
誰にでもあると思う。時計の音は、ずっとカチコチカチコチってなり続けているのに、人は無意識にその音を遮断している。
だから、音はしているはずなのに聞こえていない。


それと同じように、私は自分が生活していく中でいろんなものを『遮断』して
いたことに気がついた。
長いこと有能な会社員を目指してきた私にとって、身体感覚は邪魔だったらしい。
社会に出て仕事をこなすためには、ロボットみたいに正確にルーチンワークを
こなした方が都合がいいのだろう。

毎日、毎日、忙しく働いて、たくさんのことを処理して、たくさんの人間と
会って・・・。
そうやって追いまくられていると人間の脳は迅速に物事を処理することに
プライオリティを置く。
仕事に関係ない余計なことは、見ざる、言わざる、聞かざるになっていく。
仕事に直接関係のないことは遮断して最大限の能力を事務処理に投入するのだ。

で、そういう生活を長く続けていた私はすっかり有能なロボット人間になっていた。

都会の満員電車の中で、通勤途中のサラリーマンがみんな他人に無関心に見えるけど、あれは無意識的にロボット化しているだけなんだ。
効率を求めたら寄り道はしない方がいいに決まっている。


ところが人間のカラダってのは、生きている瞬間瞬間にものすごくたくさんの
情報を吸収していて、それを切り捨てながら生活している。
私は何故か兄の死をきっかけにそのことに気付いてしまった



・・・・・略・・・・・


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あたしもきっとおんなじだろう。
たぶん、仕事中はおろか、休日の私生活においても
効率的であり、かつ生産的な感情以外は無意識的に遮断している。



あたし。っていう人間は素のまま生きていたら
多く多く、おおくおおくの形のない感情や風景や、香やたたずまい・・・
そんな生命を(人であったりそれは自然であったりする)吸収して
 心とカラダがいろんなふうにきゅん、となる
人間だ。



すべてをやりおえて、おばあちゃんになってさあ、
もうあとはただ幸福に、それだけを求めてゆっくりと生きていこう。


と。そんな時がくる前に、徐々にでいいから
そういうことを感じながら、いや感じることを自分に許せる
人間になりたい。


自分においたてられず、罪悪感も持たず、
まっすぐと素直な気持ちでそう思える自分になりたい・・・んです。



神様がいるのなら。
あたしの心を解きほぐして、
自分を追いたてるこのカラダの中の人に、
あたたかいコーヒーでもいれながら
涙の出るような幸福について説いてください・・・。



そう、お願いするだろうな。



そう、わかってる。


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綾 [MAIL]

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