海津ほろよい日記
湖畔の酒蔵 ほろよい社長の日常

2009年05月31日(日) 海津そぞろ歩き(3)〜海津三町絵図




江戸時代の前期、延宝5年(1677年)に作成された古地図の一部です。昭和30年代に東京三越百貨店の古書展に出たものをほろよいの祖父が手に入れました。おそらく東京に出た近江商人の子孫が手放されたのでしょう。

琵琶湖から入りこんだ「内湖」があり、その中にある四角い土地は代官屋敷。いまマキノ東小学校があるところです。埋め立てられて道路やグラウンドになっていますが、よく見るとほぼ地割どおり石垣の跡が四角く残っています。

当然といえば当然なのですが、海津天神社や福善寺、願慶寺、正行院など、お寺やお宮さんは当時でもちゃんとその位置に建っています。

天神社の参道を下っていったところに「明王院」というお寺があるのですが、今はあとかたもありません。ほろよいが隠居したらこういう所の故事来歴を村の年寄りに聞いて歩いたりしたいのですが、今はとうていムリな相談です。

海津の東の三叉路には「御札場」という地名があり、これはどうやら湖上交通で行き来する荷物を改めた場所でしょうか。この近くのおうちには「隠れキリシタンを密告した者にはほうびをやる」という内容の高札も残っおり、ここに立てられていたのかもしれません。

三町絵図とあるように「東町」「中村町(松平加賀守知行の部分とそれ以外)」「名小路町」と分かれ、今は味気ないのですが「海津1区」「海津2区」「海津3区」と呼ばれています。

中村町の一部を加賀藩が治めていたことでもわかるように、海津と加賀藩とは当時縁が深く「清水の桜」は別名「加賀公見返りの桜」と呼ばれています。

まだまだお話したいことがあるのですが、それはまた別の機会に(笑)。





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