アナウンサー日記
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2001年05月20日(日) 生きることと、死ぬこと 4 宿題

 私の友人の妹・亮子さんは、自分が最後に顧問を務めた高校の放送部に、宿題を遺した。



 「私の死を題材にテレビ番組を作り、6月の放送コンクールに出品しなさい」



 亮子さんは、今時の高校生たちがあまりにも命を粗末にしていること、命を簡単に考えていることに心を痛めていた。自分と言う教師の死を真正面から見つめることで、生徒たちに命の大切さを考えてほしいという思いだったのだ。


 
 きょう、私にとっても母校であるその高校を訪ねた。実は私も(幽霊部員ではあったが)放送部OBである。私が「亮子先生」を小学生の頃から知っている話をすると、20人ばかりの現役部員たちは皆一様に驚いた。早速、ビデオ製作の相談を受ける。

 「単なる追悼番組にしたくないんです。先生の死を通して、私たちが伝えたいことを表現するには、どうしたらいいんでしょうか」

 「追悼番組にするのは嫌だというけれど・・・先生がいつ発病し、病気をどう受け止め、どう戦い、戦いの中で教師をつづけながら君たちになにを教え、そしてどのように死んでいったのか・・・まずそれをきちんと描かなければ、逆に君たちが本当に言いたいことも伝えられないと思う」

 質問をした女生徒は、頷くとテキパキと機材をかつぎ何処かへ立ち去った。ビデオの制作期間は、わずか一ヶ月。高校生にとっては、ハードスケジュールだろう。だが、きっと素晴らしい作品を作ってくれると思う。



 放送部の部室の壁に、亮子さんのスナップ写真が一枚飾られていた。「かぶっている茶色の帽子は、先生が自分で編んだそうです」と部員が教えてくれた。「料理とか編物とか好きだったもんなあ」と私が言うと、「先生は、コンクールの時期になると、ひとりひとりに巾着のお守り袋を作ってくれたんです。中にはメッセージと、ノド飴が一個入ってました・・・」と、指先で巾着袋の形をつくって見せた。



 病床で、最後まで放送部の生徒たちを気にしていた亮子さんは、亡くなってなお、生徒たちを指導しているのだ。


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