アナウンサー日記
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2001年05月19日(土) 生きることと、死ぬこと 3 佐賀招待ラグビーから

 毎年恒例の佐賀招待ラグビーが、今夜佐賀市の総合運動公園で行われ、観戦してきた。



 高校の部は、昨年度の冬の花園大会優勝、あのスクールウォーズで有名な京都・伏見工業と、花園準優勝の佐賀工業の試合。


 社会人の部は、九州電力と佐賀工業OBチームが対戦。佐賀工業OBチームはメンバー26人中、実に17人が日本代表経験者というドリームチーム。

 そのメンバーの中に、Y君の名前があった。

 Y君は、佐賀工業全国準優勝の立役者のひとりだ。佐賀工業では、一昨年10月、練習中にレギュラーメンバーが体調を崩して亡くなる不幸があった。それまでなかなか全国ベスト8の壁を破れなかった佐賀工業だったが、その翌冬ベスト4入り。そして後輩のY君たちが「僕たちが先輩を1月7日の決勝戦に連れて行くんだ」と奮起し、今年の冬、それは実現した。

 だが、この春の卒業を前に高校日本代表に選ばれたY君は、代表メンバーが集まった練習で首に大怪我をし、指一本動かせない体になってしまった。彼は現在も病院のベッドに横たわり、人口呼吸器をつけている。とても試合に出場できる状況ではない。


 試合は、高校生は伏見、社会人はY君を欠いた佐賀工OBが勝った。


 試合後、佐賀工の小城監督は「この試合のビデオを、病院のあいつに見せるんです」と言った。「病院の先生が、なにか刺激を与えれば・・・って、おっしゃったんです。なにか刺激を・・・」そう言いながら、両目からポロポロこぼれる涙を不器用に指でぬぐった。

 私が「先生、奇跡は起こります。実際に再起した話だって聞くじゃないですか」と言うと、小城監督は頷きながら「もし奇跡が起こらなくても、あと5年か10年経てば、医学の進歩で治るかもしれない。10年経ったって、まだ彼は28才ですよ。まだラグビーができるんです!だから・・・」あとは言葉にならなかった。


 当日、観客に配られたパンフレットの表紙は、楕円球を抱えたY君のバスト・ショットだ。多分、全国大会のひとコマだろう。大会宣伝用ポスターにも、彼の写真が使われた。佐賀市総合運動公園のバックスタンドには「Y君ガンバレ」と書かれた横断幕が張られ、大型液晶スクリーンにも、何度もY君を励ます言葉が踊った。



 頑張れ、Y君。みんなが、君がフィールドで再びプレイする日を待っている。

 


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