アナウンサー日記
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2001年11月17日(土) テツ&トモに会った。

 「引越しラジオ」生放送で長崎女子短期大学の学園祭にお邪魔したところ、スペシャルゲストで、お笑い芸人のテツ&トモが来ていた。実はふたりともワタシの大学のひとつ後輩なのだが、中でも、テツこと中本哲也君は、同じサークルの後輩でもあるのだった。


 そのサークルは「日本大学芸術学部文化部連盟・ミュージカル研究会」。ワタシが大学時代にミュージカルをやっていた話をすると、なぜか必ず笑いが起きるのだが(怒)、なかなかどうして大変なクラブ活動であったのだ。

 まず、部員が多くて、ワタシの現役時代は軽く100人を超えていた。また、「芸術学部」のサークルである以上は、上演するミュージカルは全部手作りである。脚本も、音楽の作曲・演奏も、ダンスの振り付けも、舞台装置も音響も照明も、ぜーんぶオリジナルである。自分で言うのもなんだが、大学生としてはかなりレベルの高いことをやろうとしていたと思う。実際、OBのなかには各業界の第一線で活躍している人も多いので、それなりの才能も集まっていたはずだ。

 練習は、ハードのひと言であった。ミュージカルには歌・芝居・ダンスの3つの要素があるが、「その基本はあくまで基礎体力」ということで、肉体の鍛え方たるや尋常ではなかった。大抵の運動部よりも、キツイ練習をしていた自信がある。(社会人になって運動しなくなったワタシの体重が15キロ増えたのも、考えてみれば当たり前・・・)

 歴史も当時すでに創部40年近く。恐ろしげな年配のOBも多くて、上下関係の厳しさは相当なものだった。新入部員はまず、先輩への挨拶の仕方やビールの注ぎ方から教わったものである。

 まあ、その他もろもろキビしいことの多いクラブ活動であった。振り返ってみてもツライ思い出のほうが多い気がする・・・(T_T)


 大学時代、ワタシはミュージカル研究会の副会長で、哲也(テツ)は翌年の執行部の会長であった。当時、ひとつ下の後輩たちからは結構反発されていたような記憶があるが(爆)、10年ぶりに会う彼はあの頃とまったく同じ雰囲気で礼儀正しく、ついでに同じ芸風で(笑)なんだかタイムスリップしたような気分になったのだった。ほとんどアポなしのラジオ生インタビューが終わったあと、テツとトモは、楽屋がある建物の出口までワタシたちスタッフを見送ってくれた。

 大学時代から哲也の舞台にかける情熱・実力はズバ抜けていたが、とりわけ歌に関しては、尊敬する人物に「五木ひろし」を挙げて「将来は演歌歌手になるんだ」と度々言っていた。今のところその夢はまだ途上だが、彼なら必ず成功させるものと信じている。(この項、そのうち写真入りで再アップします)


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