アナウンサー日記
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2003年10月01日(水) 講演会「イスラムと現代の戦争」に行ってきた2

 講演の内容は、意外性に満ちていた。


 この春、常岡さんが学生時代から10年ぶりに訪れたイラクは、道路などのインフラがきちんと整備された美しいたたずまい。「砂漠の中のまずしい街」だなんてとんでもない。教育費も医療費もタダで、バザールには新鮮な食材が並んで活気があり、準先進国と言っても良い豊かさを見せていた。
 もちろん、ひとたびフセインの悪口を口にすればどこからともなく秘密警察が飛んでくる恐怖心は市民の間にあるようだが・・・一般的なイメージである『フセインの圧政に苦しむ悲惨な市民生活』は、少なくとも表面上は全く見受けられなかった。

 フセイン政権下の治安は「極めて良好」。イラク戦争が始まってからも、すぐにモスク(寺院)が『略奪をやめよう』とお触れを出したこともあって、治安はおおむね保たれていた。略奪にあったのは、大半がフセイン政権の旧バース党の建物であった。それも、暴徒と化して集団で襲うような恐ろしい雰囲気ではなく、バース党員がいなくなったのを見計らって、残った事務用品や電気器具を「ご近所ともらいにいく」ような気軽な略奪(?)である。
 むしろ戦争後も、バグダットはニューヨークやロンドンよりはよっぽど安全で、「夜中でも市街地をひとりで歩けるくらい平穏」だったそうだ。
 戦争終結宣言以降もアメリカ兵の死傷者が増え続けている報道とはかけはなれている気がするが・・・要するに、イラクで危険なのは「軍服を着ているアメリカ人」だけで、それ以外の外国人に対しては、イラク人はとてもフレンドリーなのだそうである。

 イラク国民はひとりひとりが「自分のポリシー」を持っていて、一枚岩ではない。つまり「イラク国民の全員がフセイン政権を憎んでいた」わけではなく、実は応援していた人も少なからずいた。「誰もがフセインからアメリカに助けてもらいたかった」わけではないし、戦火に巻き込まれて家族を失った人もいる。だから戦争後にアメリカ兵をねらう連中が出てくるのも当然、ということらしい。
 もっとも、そもそもコーラン(聖典)は他者を支配したり傷つけることを禁じており、イラク国民の大半は「戦争反対」の平和思想の持ち主なのだ。


 一方で、イラク人には「計算高い一面」もある。

 今回の戦争では1万5000人が死んだが、それでもイラク国民は、「10年前の国連の経済措置で15万人の餓死者が出たのに比べれば、今回の方がはるかにマシ」と受け止めている。
 どうやら「アメリカは嫌いだけど確かにフセインはいなくなったし、長い目で見れば今回の戦争をきっかけに、イラクは発展するんじゃないか」と考えている節もある。このあたり、さすが『アラビアンナイトの民のしたたかさ』を感じさせる。西洋的なものさしでは図れない民族性というものがあるのだなあ、とつくづく感心させられた。(つづく)
 


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