ゲームのやりすぎとか、環境ホルモンとか言われてるけど
対人関係での争いが嫌いで、 自分にとって居心地のいい平和な空間を作るために 我慢して、相手を優先させて、 我慢すると考える時間が出来るから 妙に理性的になって、理屈詰めになって
(本人も無意識に)押さえ込んでいた感情が 溜まって、ある時いよいよ臨界点に達して コントロールできなくなって、暴発して
いい子が突然「キレる」
なーんて場合もあるんじゃないのか?…と、思った。
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私の場合は、抑えすぎて抑うつ状態になって それでも「今までどおりの私」(←実はひそかにストレスが溜まる)を 周りに望まれて、希死願望が出てきたけど、死ぬのを選ぶ前に
キレた(脳が)んだと思われる… まぁ、私のケースは、誰かに危害を加えるとかじゃなくて 涙が止まらなかったり、すんごいうつに陥ったりするだけなんだけど (とことん争いが嫌いだなぁ)
「今まで普通にやれてたのに、どうして突然?」と 壊れている本人も、かなり不安になってしまう。 (それってつまり、無理してる状態が「普通」になってただけかも) 今まで理性的だったから、余計に、理性がきかなくなって 私は壊れてしまったのか、と思うんだけども 大丈夫、壊れたんじゃない。 この状態では「壊れるのが当たり前」だから。 だからどっちかというと、バランスが著しく崩れただけ、に近い。
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今まで、「優しいね」とはよく言われたけど 何だかピンとこなかったのね。 だって平和なのが好きなんだから、それを保つのに私が犠牲になっても 結局「平和にしたい」私の気持ちは叶えられてるんだし…と。
違う。 人に優しすぎた。 自分を削るのは、自分には優しくないってことだ。 人に優しく、自分に厳しくしすぎた…
「もっと自分を大事にしてあげていいのに」とも言われたんだけど それが何を意味してるのか、ピンとこなかったのね。 それがわかった。 こういう状態まで追い詰めてしまうなんて 自分に優しくなかったってことだ。 なまじ「我慢」が出来てしまうから、ついつい ストレスのはけ口を探すことを怠っていた…ってのもある。
もともと、つい周りに適応しちゃうんだけど もう「適応障害」だから、適応できないのね。 自分のことしか出来ない…否、 自分のことすらまともに出来ない
周りを見渡す能力が麻痺しちゃってるので TVも見ると苦痛だし、小説も読めないし(活字中毒だった私が) 音楽も聴けないし、会話もあんまりしたくないし 鼻歌も出てこない(今までトイレでも自然と歌っていたのに)
もう全てシャットアウトして こちらから発信することもなく
ただ、うつの人はそんな自分を「駄目人間だ」と責めたりするんだけど 私は、デフォルトが感情淡白&理性的、なので 「あ、これは典型的な抑うつ状態だな」 「死にたい私も、何も出来ない私も、セロトニン分泌が狂ってるだけだ」 「これは、変に自己否定すると、泥沼で余計にうつが加速する」 「駄目な自分を受け入れることが大事…って、このことか」
なんて、かなり冷静に見ていた。 だから、悪化はしない。 …この性格ってどうなんだろうな…
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薬を続けて一ヶ月経って、ようやくセロトニン分泌が安定してきたから 少しこうやって「考える」ことが出来るようになったんだけど
また「考える」「理性的」な生活に戻ったら 私はうつに逆戻り。 ほどほどに感情入れていかないと…
でもほぼ反射的に「理性」が作動しちゃうから 作動させないようにしたいんだけども 作動させないことに「適応」する能力も今、ないからさぁ
何もできないのよねぇ…困った。
とりあえず、性格直すのは難しいけど セロトニンが安定していると、狂うことはないので
すなわち、適度な運動、陽射しを浴びる、夜更かししない、 呼吸は吸って吐くんじゃなく、吐いて吸う…などなど
それで体はどうにかなるんですよ。 問題は…「我慢しなくなること」にどう馴れていくか。 我慢しないってことは、それだけ主張する「自分」がいることだから
「適応障害」の意味がよくわかったし 薬が出るまで追い詰められたのも良かった。 多少のことだと、我慢できちゃうから。
もう後がない位に追い詰められて良かった。 やっとこさ我慢してた事に気づいた。 崩壊する前に、ギリギリのところで 「『私』はもう限界ですー!」と出てきた自我も偉い。 私の本能は偉い(笑)
自我がもっと弱っていたら、元が頑固な性格じゃなかったら、 私は多分、自殺していた。何となくうつに流されて、自殺出来ていた。
普段はなりを潜めているけど、どこかにすげー頑固で、 すげーたくましい「自我」を内包してるなぁ…
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