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2003年07月10日(木) 愛すべき子供たち。

 学生時代、家庭教師のアルバイトを続け、短い期間ですが、
塾講師を生業としていた関係で、子供と接する機会が、
ちょっと人より多かったのですが。

 中学生の凶悪犯罪が多発し、「最近の子供論」やら
「こころの教育論」やらが、また声高に叫ばれていますが、
ちょっと偉そうに、彼らについて、語らせてください。

 短い期間ながら、子供と接する仕事をしていて
強く感じたのは、彼らが、「自分で考え、形にする」ことが、
とても苦手にしている、ということです。

 情報が豊富に溢れ、自分で考えずとも「意見を代弁してくれる何か」
氾濫しているため、受け売りの口先だけの知識は、一丁前ですが、
本当は自分がどう考えているのかを、明確にできない気がする。

 「私の好きなもの」という題材で作文を書かせれば、
「なにを書けばいいの?」と先生に聞く子が非常に多い。

お前自身のことだろ と思わず心の中で、つっこんでみたり。

「例えば飼っている犬のこととか、好きな場所とか、
なんでもいいから、好きなものを一つあげてごらん」
と言えば、

「ウチでは犬を飼ってないから判らないよ」 と言い出す子が
中1のクラスなら、1人は必ずいる。ものの例えだっつうの。

 全ての子がそうだとは思わないし、昔もそうだった、という意見も
あるでしょうが。

 ちょっと自分で考えれば、判断がつくことでも、「言われなかったこと」
「教えてもらわなかったこと」は、「知らなくて当然」
言わんばかりの、考えることを放棄したかのような、あの傲慢なまでの
受動的な姿に、なんか違和感があるんだよね。

 でも、その原因は、当然子供だけでなく、大人にもあると思うのね。


 私などは、悪いことをすれば、両親にも学校の先生にも容赦なく殴られ、
言い訳すれば、「そのくらい考えれば判るだろう」とよく怒られたものですが、
最近のお子さんたちは、随分大切に育てられているようで、
周囲の大人が、世話を焼いて様々なお膳立てし、親にも先生にも、
手を上げられるどころか、怒鳴りつけられて叱られたことも
ないような子も、時にはいるほどです。

 甘やかされることが当然で、小馬鹿にするような発言を
しても叱らない、「対等な」大人を、子供は怖がらないし、
怖いものがなければ、どんどんつけ上がるのが、彼らの悪い習性です。

 
 彼らは尊厳ある人間ですが、善悪の区別もつかないのでは、
ただの動物と同じです。悪いことをしたら、それ相応の制裁を受けるし、
自分の言動は、自分自身で責任を持たなくてはならない、ということを
教えなくてはいけません。


 そのためには、「大人」側の導くものとしての自覚も、
必要であると思います。

 「未成熟な大人」である私達と彼らの距離は非常に近く、
共感し一緒に楽しめる部分も多くありますが、それでも
子供と同一ではない、彼らを導き育てる存在として相応しいよう、
努力していかなくては。

 だからといって、上から押さえつけるだけでは、子供は
ついて来ませんが。

 なんだか、小難しい理想論になってきましたね。


 要するに、無知なくせに、生意気で大人を小馬鹿にしたような態度に、
大人気なくムカつくことも多々ありましたが、身近に接してみれば、
可愛いところもあるし、私はそういう不完全な点も含めて、理屈ではなく、
子供は愛すべき生き物だと常々感じているのです。

 その上、彼らと共にあることで、教えられることも多くあり、
自分自身の成長にも繋がっていきます。

 不愉快なことやままならないことも多いけど、共に成長していく
あの楽しさを一度でも実感したら、絶対に癖になる。

 また機会があったら、子供と接する仕事がしたい。
いつか自分の子供を育てることが出来るなら、それも大きな楽しみですね。


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まめ。 [HOMEPAGE]