■ 日々の歩み。 ■
徒然の考察・煩悩・その他いろいろ発信中。

2004年04月29日(木) 都忘れ

 今日は天気がよかったので、近所をお散歩。
我が家から少し路地を入ったあたりは、結構大きなお屋敷が多くて
玄関先やお庭に、色とりどりの花が咲き乱れているお家がたくさんあります。

 そんな中に、薄紫の可憐な花を発見。ミヤコワスレ です。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/Miyakowasure.html

花の種類など詳しくない私ですが、これはちゃんと識別できる。
この花を初めて目にしたのは、自宅の庭。
名前を教えてくれたのは、同居していた父方の祖母でした。


 祖母は明治時代の終わり頃、日本橋で商売を営んでいた裕福な家の
生まれだそうで、文字通り、乳母日傘で育ったお嬢様だったとか。
ところが、とある一族の御曹司と結婚したものの、相手は若くして病死。
まだ幼い息子は跡取りとして取り上げられ、実家に帰されたそうです。

 その後、軍人だった私の祖父とお見合い結婚し、3人の子供を
儲けましたが、祖父も太平洋戦争で戦死、次男も栄養失調により
死んでしまい、残った長男と三男(うちの父)は、横須賀の親戚の家に
預けられ、母子は別々に暮らすことになりました。


 こうやって書いていくと、小説に登場する悲劇のヒロインのようですが、
なにしろ、私の血の繋がった祖母ですから。
一筋縄ではいかない、破天荒な人でした。

 とにかく何事においても我慢するということが出来ない人で、
言いたいことはズケズケ言うし、勝手気ままに振舞うし、
お金遣いは荒いし、お酒は大好きだし、人の好き嫌いは激しいし


…どこかで聞いたことのあるような性格ですね。
(まめ家の女性は、母方父方問わず、性格のキツさは基本設定です)
とにかく、付き合わされる方はたまったものではありません。


 その上、家事が一切出来ない人で、18年同居してましたが、
ものすごく元気で、1ヶ月に最低1回は、国内・国外問わず
旅行して歩くくらい矍鑠としていたのに、台所に立ってるのを
一度たりとも見たことがない。

 食事は用意が全て整った後、家の誰かが部屋まで呼びに来てくれるし、
趣味で植えた庭の植木は、息子の嫁さんが手入れをしてくれる。

習字(自宅で教えてた)や、詩吟、絵画などを嗜んだり、今考えれば
ずいぶんと風流な人でしたが、自分は東京の生まれだ、ということに
とても誇りを持っていたようで(静岡で30年も住んでたけど)。

生まれも育ちも清水、しかもチャキチャキの八百屋の娘だった私の母や、
近所の人たちと、そりが合うはずがない。お互い合わせる気も毛頭ないし。


 あんまり死んだ人の、しかも身内の悪いことは言いたくないけど、
ある意味、「渡る世間は鬼ばかり」も真っ青な家だったので。

穏やかで楽しかった祖母との思い出とか、全然思いつかない。
違う意味でおもしろい話はいくらでもあるのに。


 …まあ、そんな祖母が庭で育ててたんです。都忘れ。
(実際に世話してたのは、私の母でしたが)

  本当に誰から見ても、好き勝手に生きた人に見えましたが、
彼女の心の中にも、幼い私には窺い知れなかった寂しさや辛さが
たくさんあったのでしょう。

 可憐に咲くあの花を見かけると、祖母のことを思い出し、
そこはかとない寂しさの影を感じて、なんとなく胸がせつなくなります。


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まめ。 [HOMEPAGE]