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徒然の考察・煩悩・その他いろいろ発信中。

2004年05月11日(火) 女子妄想力。

 今月は宝塚強化月間。(これ以上強化してどうする私!)

 とうとう、煩悩の総本山・魔都宝塚上陸 が決定しました。
来週末、ちょっくら「ファントム」(宝塚版「オペラ座の怪人」)2回観てきます。
http://t.pia.co.jp/news/ad/phantom/

 ちなみに、私の標的 は、ビジュアルバンドのボーカルみたいな
(マ●スミ●ルみたいだ…)主役のファントムではなく、

絶世の不幸臭漂う憂い顔の年齢不詳クリスティーヌです。

ついでに告白いたしますと、私の宝塚への興味の9割 は、
彼女、花總まり さん に対するものです。


 宝塚ファンと言ったら、男役ファンになるのが王道だと思うんですが、
型としての格好よさは判るけど、私は熱狂的な憧れの対象として
男役に嵌れないなあ。なんか半笑いで見ちゃう人がほとんどだ。


 むしろ男役以上に生存競争が激しいのに、男尊女卑な宝塚では冷遇されがちで
負けん気と底意地とプライドの高さは超一流 なのに、
それを押し隠すことを強要され、一見可憐を装う(装いきれていない人もいる)
娘役の方が、色んな意味で興味深くて好きです。


 宝塚の魅力というのは、巷で言われているとおり、非現実的で倒錯的、
ある意味歪んだ世界観だと思うのね。(それが敬遠される理由だとも思う)

 その中で、女性が女性の理想の男性を演じる、ということよりも、
理想的なヒーローを引き立て、従順に寄り添うことを第一条件 とした
非現実的な「ありえない」女性を、生身の女性が演じる
ことの方に、より一層歪んだ不自然さがあると思うの。


演じる側は勿論、観る側もほとんどが女性である、女の園・宝塚。
自分の本質と反対の性を持つ存在を、より理想に近づけるために、
観る側(女性)の願望や要望を、本質の部分で理解できる同性が
演じるのは、なんとなく判る。

 でも、本質の性は自分たちと同じ女で、本来なら観る側の共感を
求めるはずの女役(娘役)に、抑圧され捻じ曲げられ、現実とは
似ても似つかない姿を求めるのってなんか変だ。違和感ありまくり。

 
 そんな異質な娘役という女の中でも、あの彼女のタカラジェンヌとしての
生き様は、群を抜いて異質。もう人外魔境の域。

だって、宝塚の女役 という、非現実的で倒錯的で不自然な
アイデンティティを、すんごい自然に 持ってるように見えるんだもん。

どんな非現実的な役を演じても、あからさまに「演じてる」感じが
しなくて、役と演じ手が自然に同化しているように見える。

生まれながらのタカラジェンヌ、みたいな。怖え。ありえない。

絶対存在するはずのないものが、当たり前のように燦然と君臨してる
気がして、目が離せないのです。まさに怖いものみたさ。

 時間や時代の流れが止まった、摩訶不思議な亜空間にいるような
彼女の姿を見るたびに、宝塚の、いや、女の妄想の奥深さと業を
思い知らされる気がします。
 
 興味ない人には、本当にどうでもいい話だけどね。


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まめ。 [HOMEPAGE]