NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 インド事の顛末 十三日目

 毎日日記をつけるのは本当に大変ですね。もういっぱいいっぱいです。でも、実は今日がみんなと過ごす最後の夜。
 午前中は、グループにて、今度はスパイス工場を見学。大変でした。やはり、白衣着用の上見学するのですが、輸入してきたり、インドで産したスパイスを砕いたり、品質をいいものだけをあつめたりする工場です。そう、各部屋ごとに、その粉が充満しているんですよ。胡椒の部屋、唐辛子の部屋、ショウガの部屋。各部屋で簡易マスクだけの私たちは、涙目になり、咳き込み、くしゃみが止まらなくなりながら説明を聞かなくてはいけませんでした。その様子を写真に納めたかったのですが、写真撮影は禁止だったのです。工場を出た後は、なんで、化学兵器が禁止されるべきか、を身をもって知りました。つらかった。
 その後、買い物。やっとおみやげを買う。やすい。その後、全体でミーティング。研究テーマとグループ構成を微調整。ココナッツでいく私の方針は揺るぎないものそうです。一緒のグループになった二人に日本からのおみやげをあげたら、とても感動してくれました。その他、明日帰ることを思い起こされたらしく、いまからしくしく泣いてしまう女の子がいたり。外国人っぽいですね。
 そして休憩。その間にまたおみやげ集め。ほこりっぽい、そして強い日差しの中値段交渉をしたり、誰に何を買うか相談したり。(イサカに残した友達には共同で買うことに)
 夕方になっていよいよ最後のパーティです。船を貸し切って、船上で数時間のパーティです。DJがのりこみ、ホテルのスタッフも配置され、準備は万端。なんだか、私はしらなかったのですが、みんなインド衣装を身につけています。とっても美しい。アメリカ人とか目鼻立ちがはっきりしている人は、インドの服を着てもはえるものですね。男の子も着ています。

 DJの音楽に合わせて教授も含め、輪になって踊る者、屋上にでて風を感じながら思い出話をする者、延々と記念写真を撮り続ける者、踊りをみつめてニコニコしている者。ぞれぞれに旅の最後を楽しんでいます。きっと、再び、こうして一堂に会することは一生ないのかと思うと私も寂しく思います。私は屋上で、船や夜景をみて、たまにお友達と話してすごしておりました。

 最後に、今度はディナー用の船が岸を離れてきたかと思うと、我々がいるパーティ船に横付けされ、夕食。アルコールもなく、こんなに二十代中頃以降の人たちが盛り上がれることはやっぱりいいことだな、と思いながら、においをかぎたくもないサフランの香りのするご飯を最後かと思い楽しむ。
その後、私の部屋で、結構なかのよかったメンバーとお酒を少しのみ、ルームサービスを肴に会話を。途中で、パートナーのインド人二人が私を訪ねてきて、プレゼントをいただきました。ネパール人には、コーネルにどうしてもきたい、という強い思いがあるので私のコーネルバインダをあげてしまいました。

 明日は、寂しい思いになるんだろうな。

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2007年01月24日(水)
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