NY州在住 <旧『東京在住』・旧旧『NY在住』>
kiyo



 空気を読み違える人・読まない人

 数年ぶりに、何日も寝込んでいる。困ったことだ。頭はクリアなのに体が言うことを聞かない。

 ま、それはそれとして、このイサカにも若干「痛い」人が観察できるわけですよ。

 痛いってどういうことだろう?見ていて痛々しい人?いうなれば、見聞きするに堪えない、と定義したら良い感じじゃないだろうか。例を考えてみよう。


(1)コンビニバイトに臨んで「日本経済を支えているんだ」と意気込んで雑誌を並べている人
(2)三日間徹夜して、具合を悪くしてまでセーターを編み、彼氏でもない一目惚れ人に「こうすれば私のこと好きになってくれるよね?」つぶやく女
(3)教養科目でしかも必修で仕方なくとらされている学生に対して、生徒の習熟度合いが云々と悩み続けている講師
(4)祖国のためにノーベル賞を、と意気込んだ挙げ句、業績をねつ造し出す研究者

 等々。いずれも、痛い。何故だろう?
 コンビニバイトでマクロ経済云々することがナンセンスだし、そもそも日本経済が悪ければ、どうなんだ、という話だ。尽くせば良い、信じ込めば良いと思って周りをみないバカなのに、捨てらたら、すわ被害者意識だけは天下一品。君の授業をとりにこの学校に来たわけでもないのに、プライドだけは名誉教授。妄想でしかないナショナリズムをリアリスティックな科学に持ち込むアホさ加減。


 とまあ、そんな「痛さ」が以上の例には散見される。そしてその痛さを観察すると、その原因は、空気を読み違えているからに他ならないことが分かる。言い換えれば、相手や周りの期待を勘違いしてるからだ。

 黙ってレジを売っていれば良いものを・・・。電話やメール程度で良いものを・・・。教科書通り教えていれば良いものを・・・。普通に研究していればいいものを・・・。

 と、周りの期待を大きく読み違えている。

 そこで、思ったのですが、むしろ空気を読まない人のほうがましじゃないですか?痛くない。

「レジ打ち楽しいなー、最高だぜ。」
「あの人超好きだから、セーター編んでるだけで幸せ。それだけでお腹一杯♪」
「自分の予定平均点以内に実際の平均点の結果が出たときは快感を感じます」
「牛の体細胞をいじってると、それだけで給料は要りません」


 ほら。なんぼか「まし」じゃありませんか?なぜなら、他者はこの場合関係ないから。自分で好きにやってるだけ、で完結している。「おいおい、俺らの事誤解するなよ。君のことなんて眼中にないからさ・・・」と相手に思わせてると、その「痛さ」は倍増するように思えます。

 空気を読み違えるくらいだったら、むしろ読まない方がいいのかも。

【追伸】写真は、上から、東京でみつけたデモパレードと、ソウルで見つけたデモパレード。いずれも、こうすることで周りの支持を失っている事に気がつかない空気を読み違えた連中。


2007年10月14日(日)
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