思考過多の記録
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2003年05月03日(土) 「正気」に返るシーズン

 以前この「思考方の記録」で書いたことのある劇団アクメの中心女優のカズミさんと会った。1ヶ月程前の舞台の時と同じ強烈なアフロヘアで現れた彼女は、少し疲れたような顔をしていた。この劇団の旗揚げから見続けてきた僕は、彼等が今年劇団としての芝居の予定を入れていないらしいことを聞いていた。そして、僕がこの劇団を知るきっかけになった役者が、演劇活動から足を洗うと言っているという噂も聞こえてきていた。
 そういったことの真相を聞きたいということと、もし予定が空いているなら僕が数年ぶりに計画している芝居に協力してもらいたいということをお願いするために、僕は彼女と会ったのだった。



 かれこれ1年程前、僕は彼女とある芝居を見に行って話をしたのだが、その時既に彼女は「舞台に立つことに興味を失っている」という意味のことを言っていた。ただ、その後彼女は自分の劇団のものも含めてこの春までに4.5本の舞台をこなしていたので、彼女の思いがどの程度のものなのか計りかねていた。
 そして今日、彼女は再び同じことを口にした。そして、舞台に立つのはこの前の劇団の公演で最後にするつもりだと言った。



 カズミさんが語った理由は、おそらく多くの演劇を志した人が抱いたであろう悩みだった。彼女はこの数年間、大学を1年間休学してまで劇団活動に打ち込んできた。僕は決してその成果は小さくはないと思っている。事実、彼等は演劇雑誌に取り上げられ、人脈が広がり、カズミさんの客演の機会も増えた。彼女の手がける衣装を見て、衣装製作の仕事を依頼してきた劇団もあったという。けれど、彼等の(少なくともカズミさんの)評価は違っていた。観客動員は500人前後で頭打ちとなり、客演は多く呼べても劇団員は増えなかった。客席はいつも‘知り合い’ばかりで、本当の意味での‘外部’の客は来ていなかったという。
 その結果、公演毎の収支はいつもマイナスで、次回公演のためのお金を生み出すことができない。フリーター生活を強いられる劇団員達は経済的に困窮を極めた。借金を背負った者もいる。メンバーは全員国民年金を払っていないという。
 一方、彼女が客演したある小劇団は、黒字こそ出せないものの、多くの劇団が採用しているチケットノルマという名の出演者の金銭的負担はなく、役者は知り合いを誘ったりすることは殆どない。にもかかわらず、毎回1000人以上の観客を動員しているそうだ。
「そういうのを知ってしまうと、自分達が必死でやっていることが虚しく感じるんですよ」
 カズミさんは力無くそう言った。



「もう23ですよ。23っていったら、立派な大人じゃないですか。でも、劇団員の誰一人としてそのレベルに達していない。」
「やってきたことが、全部中途半端だったんですよ。中途半端な未来はいくらでも思い浮かぶんです。それが恐怖で。たとえ結果は出なくても芝居をやっていること自体が好きだったら耐えられるかもしれないけど、私はそうじゃないですから。」
「時間が限られているから、もっと自分に残ること、別の方向で勝負したい。」
「ずっとがむしゃらにやってこられたらよかったんですけど、がむしゃらの期間が短くて、早くいろいろ知ってしまったもので。」
最後に、彼女はそう言った。その表情は、しかし吹っ切れた人間のそれではなく、どこか寂しげで、何かを悔やんでいるようにも見えたのだった。



 おそらくカズミさんも、そして今回で足を洗うというもう一人の劇団員も、「いつか」という思いを持って劇団(演劇)活動に打ち込んでいる間は見えていなかったものが徐々に見え始める時期になったのだと思う。
 それは僕にも経験がある。同年代の周囲の人間が、「社会人」という次のステップに移っていく「節目」の時期である。その時、彼等は初めて立ち止まり、改めて自分達の立っている場所を認識するのだ。「普通」のコースから外れた場所に居続けるのは、相当なエネルギーを要する。精神的・経済的なプレッシャーは相当のものだ。そして、当然彼等は「今、ここ」の延長線上の「未来」の自分の姿を想像する。
 そして、突然正気に返るのである。
 多くの女性の場合は、この他に「結婚」「出産」という節目もあるだろう。


 こうして舞台を去っていった人間は数知れない。そして、そこで舞台を去る機会を逸してしまい、出口の見えない日常を生き続けて人生を棒に振る演劇人達も相当な数に上るだろう。
 どちらがいいとは一概にはいえない。正気に返っても、夢を見続けても、成功しなければその後の人生はほろ苦いものとなろう。芸術を志すとは因果な、そして過酷なものだ。
「私達、みんな曲がり角なんですよ」
とはカズミさんの言葉である。「正気」に返る人生のシーズンを向かえた彼女達を横目に、自分はいつまで夢現の状態を続けることができるのだろうかと、僕はぼんやりと考えていた。



 そんなカズミさんに、僕は重ねて協力を要請した。彼女は結論を出さなかった。果たして僕は、彼女を僕の明け方の微睡みの夢の中へ引きずり込むことができるのだろうか。


hajime |MAILHomePage

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