思考過多の記録
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2003年12月09日(火) |
海の向こうの争乱〜「日本」は標的になった |
治安が悪化するイラクで、2人の日本人外交官が命を落とした。それが大問題になっている最中に、政府は自衛隊のイラク派遣を閣議決定した。「テロに屈しない」「アメリカとの関係が大事」「国際社会が復興で協力しようと言うときに、日本だけが安全ではないから何もしないというわけにはいかない」。小泉首相の説明の言葉は、外交官殺害事件の後のコメントと同じく、全く予想の範囲内であった。上辺だけ取り繕っていて、内容が何もないという意味において。
自衛隊派遣の問題の前に、外交官殺害事件に関してである。この事件が僕達に衝撃を与えた理由は、彼等が「日本人」であるが故に狙われたということがあまりにも明確だったからである。戦後、日本人は、何かの巻き添えになったり、「国際機関」の一員であったりして命を落としたり攻撃されたことはあったが、「日本人」であるという理由で攻撃されるという経験はあまりなかった。 これはいろいろな理由があるのだが、憎しみを買う程存在感を示したことがなく、常にアメリカの陰に隠れてうまく立ち回ってきたという側面と、NGOの活動も含めて、経済支援を含めた民生面での協力でそれなりの実績を作ってきたという側面とがある。 つまり、日本は無視されるか、鼻であしらわれるか、それなりに評価されるかのいずれかの反応以外には殆ど経験していなかった。世界にとって、この極東の島国はそんな程度の存在だったのである。
けれど、米英が国際社会を押し切る形でイラク戦争が勃発し、日本がいち早くそれに対する支持を表明した段階で、事情は変わったのだ。多くの国々が米英の行動に懸念や批判を持っていた中で、日本の取った行動は国際的に際立った。「顔が見えない」と言われて久しい日本外交は、はっきりとしたメッセージをこの時国際社会に発したのである。僕に言わせれば、恥知らずで最悪のメッセージだった。 あの時アメリカは「Show the flag」と言った。それに応じて日本は「旗」を揚げたのだ。実際には小泉政権と日本政府が旗を揚げたのだが、世界にとっては「日本」が揚げたことになる。 僕はその旗を認めてはいない。しかし、戦争は形の上では終わり、日本の有権者はその旗を掲げた小泉政権を選挙で信任したのだ。
2人の外交官が殺されることは、あの旗を掲げた時点で既に決まっていたと言ってもいい。僕も含めて多くの人が、イラクで日本人に犠牲者が出ることを予測していただろう。それは、小泉政権があの時に掲げた旗が、どんな意味を持つのかを考えれば、必然的に導き出される結論である。 小泉首相も川口外相も、2人の外交官に直接手を下したテロリストの残虐さを述べ立て、涙で声さえ詰まらせてみせる。しかし、そもそも自分達の政策決定の誤りがなければ、出る筈もなかった犠牲である。勿論罪は第一義的には武装勢力にあるだろうが、小泉、川口、そして日本政府=外務省に全く責任がないなどとは言わせない。何故なら、あの大儀なき戦争を支持した段階で、「日本」は反米勢力の「敵」になったのだから。それまで日本は、中東地域ではどちらかというと「中立」と言うことで好意的に見られていた。だからこそ2人も安全に活動できていたのである。 武装勢力が「日本」を標的にするようにし向けたのは、小泉政権・日本政府に他ならない。その意味で、小泉首相や川口外相が、2人の外交官に対して哀悼の意を表したりする資格はないと、僕は考える。
「犠牲になった2人の意志を受け継ぎ、テロに屈することなく。引き続きイラク復興支援のために全力を尽くす」と政府はいい、2人を「日本の誇り」として英雄視する向きもあるようだ。しかし、それこそは死者に対する冒涜と言わねばならないだろう。 彼等は武装勢力に殺された。しかし同時に、彼等は「旗」を掲げた日本政府に殺されたのである。 繰り返すが、そのリスクは誰にでも予測できた筈だ。それを知っていてその政策を選択したのだから、その判断をした人間の責任は免れない。その人達のために、「日本」と僕達とは誰かの「敵」になり、標的になっているのである。
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