思考過多の記録
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2004年12月04日(土) |
自分が知らない‘自分’の世界 |
朝目覚めると胃が重く、それが午後まで続く、という状態がずっと続いていた。総合病院に行ってみると、僕がかかった内科の女医は、胃潰瘍やその他の内臓疾患の疑いがあると言った。そして、血液検査の他に、胃の内視鏡検診(胃カメラ)をするようにと告げた。 「入っているのは5分だけですから。リラックスしてもらえればすぐに入りますよ」 と事も無げにその女医は言った。 しかし、経験者の意見は、何ということもなかったというものと、辛かったというものとに真二つに分かれた。
そして当日。かなり緊張しながら病院へ。 いつもとは違うフロアに行くと、そのガランとしたフロアの一角に内視鏡の検査をする部屋があった。唾液を押さえるという薬を飲まされて、暫く待たされる。その間に、まず喉が渇いてきて、いささか動きが鈍くなった。 その後、まず胃の動きを弱めるための薬品を筋肉注射される。そして、喉にゼリー状の麻酔薬を入れられ、約5分待たされる。その間に麻酔薬は固まって喉の周囲に張り付いた。成る程、喉の感覚が麻痺したようになっている。おそらくその間に、先程注射した薬品の効果が現れてくるのだろう。因みに、その効果は1時間くらい持続するようで、その間は飲食はできない。
そして、ベッドに横向きで寝かされ、いよいよ先端が点滅している黒くて長い管が、担当の医者の手によってゆっくりと入ってきた。喉が麻痺しているため、思った程の気持ち悪さはない。が、やはり何か異物感がある。暖かく、固い何かが喉の奥に詰まったような、そんな感じだ。 「楽にして下さい。何も心配はいりませんよ」 と僕の顔を見ながら医者は話しかけ続ける。 できるだけリラックスした方が入りやすいと言われていたので、そうしようとはするのだが、気が付くと力が入っている。看護婦が僕に、 「そんなに抵抗しないで下さいね」 とか言っている。
勿論、僕は抵抗しようという意思はない。しかし、体は異物の侵入に対する反応を示す。おそらくそれは、薬によって極端に弱められた反応である。が、薬が作用しない部分は確実に抵抗を示すため、肩に力が入ったり、知らず知らずのうちにマウスピースを固く噛んでいたりする。医師が胃を膨らませようと空気を挿入すると、当然体はそれを排出しようとして、最大限の活動を試みる。僕はこれを止めようと頭では思うのだが、体はそれとは無関係に反応する。 そうこうするうちに、ゆっくりと管は引き抜かれ、喉を管の尻尾が通る微かな感覚が過ぎていった。 医師は僕に言った。 「十二指腸に潰瘍の‘古傷’がある以外は、潰瘍や胃炎はありませんでした。」
人間の意識は、‘無意識’という巨大な氷山の上に浮かぶ小さな島のようなものに過ぎない、と言われる。しかし、それよりさらに下には、‘身体’というさらに広大な不可視の世界があるのだ。 自分の体は自分のものの筈なのに、自分でコントロールできない部分がかなりある。しかも、それは紛れもなく‘意識’を持つ自分という存在の根幹をなすものだ。身体のない意識は存在できる筈もない。 つまり、自分という存在は、自分の意思で完全に動かすことはできないものに乗っかっているということになる。まるで舵が思うように効かない船に乗って波間を漂っているようなものである
しかし、その体は、僕の‘意識’の(ということはつまり僕自身の)与り知らないところで潰瘍を作り、それを自分の力で治していたのだ。僕の意識と無意識の境界上にかかり続けた「ストレス」に体が反応し、さらにそこでできた傷に対して、体を守るための別の反応が起こった。要するにそういうことである。 そして、繰り返すが、僕はそれを全く知らなかったのだ。
僕の体の奥深くで、僕の知らないことが起こっていた。そして、おそらく今も、それは起こっている。僕達がその全てを知ることは、ついぞできないだろう。‘意識’の知らない‘無意識’が体に働きかけ、それが見えないうちになんらかの反応を引き起こしている。そして、それが表に現れれば‘疾患’となる。 内視鏡の画像は、僕の体の裏側に、僕の知らないピンク色の、ぶよぶよ、どろどろした世界が存在していることを僕に教えてくれる。 それは僕ではない、しかし僕とは切り離せない。‘他者’と‘自分’が背中合わせでくっついたような、奇妙な世界である。
僕がもらったのは、結局対処療法的な薬だけだった。 姿が見えない敵に対して、いや、敵かどうかも分からないものに対して、‘自分’を守るために僕はどう戦うべきなのだろうか。
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