思考過多の記録
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2006年05月27日(土) |
彼は既に、死んでいる |
ライブドアの裁判が始まった。堀江のかつての側近達は大筋で罪を認めている。堀江ただ一人が、起訴容疑を頑なに否認しているようだ。 昨今の報道によれば、堀江とともにライブドアを支えてきた宮内という人物が、堀江に愛想を尽かして態度を変えることになったきっかけのやりとりがあったという。広く報道されているので繰り返す必要もないかも知れないが、自分で責任を被って堀江を守ろうとした宮内の前で、堀江は、 「俺、何も知らないよね」 と保身ともとれる(というか、思い切り保身の)発言をした。その上、 「俺が逮捕されたら、俺の彼女が可愛そうじゃん」 とまで言ってのけたという。この一連の発言が、宮内に、 「堀江を庇うのはばかばかしい。やめた」 と思わせた。 これが報道の内容である。おそらく、宮内の調書に書かれているのだろう。
もし、本当にこの通りだとすれば、堀江のデリカシーのなさには今更ながら呆れる。同時に、メディアに露出していた頃の発言の傲慢さは、決して戦略的なものではなく、彼のパーソナリティの表れだったのだと分かる。 堀江にとって、ライブドアという会社は、まさに彼そのものだという認識だったのだろう。自分がいるからライブドアはある。「仲間」という体裁を取りつつも、自分以外の社員はみな、結局は自分自身が肥大していくための「道具」に過ぎないと考えていたのだ。 彼にとってそれは当然のことだろう。何しろ、「人の心は金で買える」のだ。つまり、宮内にしろ、その他「オン・ザ・エッジ」時代からの人間にしろ、堀江にとっては、対等の立場で尊重し合い、認め合う「仲間」「同士」ではなく、自分に「心を金で買われた」存在だったのだ。 その認識がなければ、自分や会社を守ろうという人間に対して、あのような軽率な発言ができるわけがない。普通の感覚なら、思っていても口には出さないことである。
勿論、宮内以下、堀江に従って会社を運営してきた人間達も、堀江の人間としての本質を見抜けなかった、またはそれをよしとしてついていったことを考えると、彼等自身浅はかさがあったことは否定できない。 人間は、結局は感情である。 金融に通じ、億単位の金を動かすことができる人間でも、自分や他人の感情というやつに、簡単に足をすくわれてしまうのだ。 「金で買えないものはない」とかつて堀江は豪語した。しかし、宮内の豹変ひとつとってみても、その認識が誤りだということは明らかである。 「生き急いでいたのかな」と拘置所を出て彼は言った。しかし、「生き急いでいた」のではない。彼は現実を生きてすらいなかったのだ。 そして、もう既に死んでいるのかも知れない。
そして、こうした男をつい数ヶ月前まで持て囃してきた僕達の社会もまた、既に死んでいるのかも知れない。
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