思考過多の記録
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2006年08月07日(月) |
シアンの空の下、僕達は出会った |
1年ぶりの劇場公演『MIRAGE HOTEL』が終わってもう2週間が経とうとしている。今週精算会があり、久し振りに出演者と顔を合わせた。何だかあの舞台がもう随分昔のことのように思われた。 苦労話は、笑い話に変わっていた。
何かと苦労が多く、評価も酷評(主に演劇関係者)から好評(主に一般のお客様)までまちまち(両極端)という今回の舞台だが、いろいろな収穫もあった。そのひとつが、myria☆☆というインディーズバンドのヒマリさんと出会えたことである。 実際に僕が彼女を知ったのは、もう1年以上前になるだろうか。僕が以前に客演した劇団の代表と彼女が知り合いで、その人が薦めるのでライブに行ったというのが、僕とこのバンドとの出会いである。その前に、その劇団のBBSでヒマリさんとは何度か会話していたかも知れないが、今となっては定かではない。しかし、以前知り合いのバンドのライブに行って以来、あの大音量が苦手で十年以上は行っていないというライブハウスに足を運んだのは、たぶんmyria☆☆のサイトにアップされていた「Bee」という曲のプロモーションを見たからだと思う。個人的なつながりというよりも、彼等の「曲」が僕に興味を抱かせたのだった。
初めてのmyria☆☆のライブで、僕は芝居仲間と正面の最前列に陣取って、酒を飲みながら聴いていたと記憶している。その時は、出たばかりのファーストアルバムの曲を中心に演奏していた。ライブはいくつかのバンドがそれぞれの持ち時間の中で連続して曲を披露していくという構成だった。開始時間がよく分からなかったので、myria☆☆の他に2,3のバンドを聴くことになったのだが、すぐにmyria☆☆は他のバンドと質的に違っていることが分かった。 音楽の専門的なことは全く分からないのだが、彼等の音楽は、音量とビートとパワーで客を煽り、のせようとするライブハウス系のバンドにありがちな音楽のあり方とは明らかに違っていた。どちらかといえばスローテンポでゆったり聴かせるスタイルで、メロディラインは分かりやすいが少し屈折していて、どこかノスタルジックで癒される感じの曲が多かった。そして、歌詞。多くのバンドは一度耳から入ればすぐに意味がとれてしまう「話し言葉」的な歌詞を多用する。おそらく、パワーとテンションで押し切るバンドにとっては、歌詞の重要度は低いのだろう。しかしmyria☆☆は、歌詞=言葉のイメージの喚起力も重要な表現手段だと認識して使っているのだと思った。そして、時にシビアでディープになりそうな題材を引き留め、客に近づけようとしている努力も伝わってきた。そこには、ヒマリさんのヴォーカルの力も働いていた。 終演後、簡単に挨拶を交わしただけだった僕とヒマリさんが、まさか1年後にこうして相見えることになるとは、誰も想像していなかっただろう。
僕の芝居にmyria☆☆の曲を使ったらどうだろうと閃いたのは昨年末あたりだった。ダメもとですぐに連絡をとってみたところ、前向きな答えが返ってきた。また、新曲をやるので次のライブに来て欲しいというお誘いもあった。そして僕は、年末の新曲発表のライブに浅草に出かけ、ライブ終了後に初めてヒマリさん達と話したのだった。 このとき、海のものとも山のものともつかぬ演劇関係者の僕に、ヒマリさんは若干の警戒心を抱いているように見えた。しかし、同時にmyria☆☆の新しいお客さんの開拓になればという思いもあったと思う。話は進んで、新曲の歌詞をいただいて使用曲を決定すること、決定した曲を優先的にレコーディングしていただけることでまとまった。同時に、春の発売が決まっていたDVDに僕が推薦文を寄せることも決まった。 この日、浅草のファミレスから、僕とヒマリさんの関係は始まったのだ。
その後、「シアンの空」という曲の世界を軸に、それまで考えていた物語を構成することで、あの芝居が出来上がったというわけだ。ヒマリさんの出演は、 「myria☆☆の曲は、私が歌うことで一番生きる。」 という彼女のシンガーとしての信念から実現した。ただし、舞台初体験で台詞はしゃべれないという制約があり、僕はそこから「碧の女」という役を生み出した。結果として、台詞を一切喋らず、歌と動きだけという設定と、役者とは異質な彼女の存在感が、この役の神秘性を高めることになった。勿論、批判的な意見も内外から聞いたが、僕は結果的によかったと思っている。 慣れない現場で限られた時間しかなかったにもかかわらず、彼女はよく頑張ってくれた。それは、彼女がこの作品をとても気に入ってくれて、何とかその世界を表現しようという高いモチベーションを持ち続けていてくれたからなのだ。 そして、この作品は、myria☆☆とヒマリさんとの出会いなしにはあり得なかったのだといっていい。
公演後、ヒマリさんとじっくりお話しする機会があった。話をしていくうちに、脚本と楽曲を通じて出会った僕達は、異ジャンルながら非常に似通った立ち位置にいるということが分かった。 ヒマリさんはmyria☆☆のリーダーだが、myria☆☆はヒマリさんのバンド・プロジェクトという位置付けになっている。一方、Favorite Banana Indiansというのは僕の個人的な演劇ユニット、いわば公演ごとのプロジェクト・チームである。コンセプトメーカーであり、表現者であり、微妙なポジションで人を束ねなければいけないというところが、彼女と僕では同じだ。そこには、ジャンルを越えて共通する悩みや大変さ、また喜びがある。
もう一つの共通点は、二人が表現者として立っている位置と、目指している方向性だ。これは説明がなかなか難しいが、簡単に言えば、「エンターテインメントと独自のこだわりとのバランス」をはかりながら作品を作っているということだろうか。自分の趣味に走りすぎるのではなく、かといってそれを完全に捨てて「売らんかな」というあざとい路線を追及するのでもない。そのぎりぎりの境目を模索しながら表現する。その根本にある考え方は、「一人でも多くの人に、自分達の音楽・舞台を届けたい」という思いだ。とはいえ、それは「売れる」ことそれ自体が目的なのではない。あくまでも「自分達がやりたい表現」を発信し続けることが重要なのだ。この表現のあり方に関する思想は、僕とヒマリさんで完全に一致していた。
音楽と演劇という別の世界にいながら、いや、むしろ別の世界にいるからこそ、僕達は同じ問題意識や方向性を共有している。そして、だからこそ、僕と彼女は、表現の場においてお互いに支え合い、いい刺激を与え合うことができるのだと僕は確信している。 「シアンの空」に出会った僕の作った劇的世界に、ヒマリさんが強く、深い共感を寄せてくれた。二つの世界の幸福な出会いがそこにはあった。それは恰も、『MIRAGE HOTEL』の主人公達のような、奇跡にも似た出会いだといえるだろう。「シアンの空」が生み出されなければ、そして『MIRAGE HOTEL』の企画がなければ、僕達はまだ本当の意味では出会っていなかった筈なのだから。 話の終わりに、僕とヒマリさんはこう言い合った。 「山に登りましょう。エベレストでなくてもいい。登れる山に、登れるところまで、とにかく登りましょう。」
あれから1年が過ぎ、僕は再びあのライブハウスを訪れた。 ヒマリさんはステージにいて、『MIRAGE HOTEL』の登場人物から、すっかりmyria☆☆のヴォーカルの顔に戻っていた。彼女は、何曲目かに「シアンの空」を歌った。僕も口ずさんでいた。彼女が表現の現場にいること、それを目の当たりにしているだけで、僕は幸福だった。 終演後、僕とヒマリさんは次なる企画の話をしていた。それは、山登りの準備の話に似ていた。その時、ライブハウスの出口から透明な翼の天使が飛び立ち、東京の夜空に消えていくのを、僕は見たような気がした。
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