思考過多の記録
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中東のレバノンでは、イスラエルとヒズボラの戦闘が続いている。今日、1ヶ月に及ぶ戦闘を受けて、国連の安保理で採択した停戦決議が漸く発行した。しかし、一部地域ではまだ続いているようだ。 イスラエルが「テロとの戦い」というアメリカの論理を踏襲してしまっているため、もう一段ややこしくなっているが、大元は、あの地域をめぐる宗教・領土紛争である。ユダヤ教徒イスラム教が一つの根っこから分かれた宗教であること、そのために「聖地」を共有していることが根本の原因だ。神様は二つの民に一つの「約束の地」を与えたというわけである。これで人間の理性や英知を試そうというのなら、神様も相当に人が悪い。
どちらもが独占できない以上は、「共存」しか道はない。事実、歴史のある時期までは、彼の地でユダヤ教徒とイスラム教徒は共存していた。「シオニズム運動」で彼の地でのそれぞれの宗派の人口比率のバランスが狂ったことが、この図式が崩壊する引き金を引いた。その後、イスラエルを排除しようとするアラブ諸国の動きに対して、アメリカがイスラエルに過度に肩入れしたことが、話を拗れさせてしまった。 うんと単純にいうとそういうことだろう。 周囲をアラブ諸国に囲まれたイスラエルは、核兵器さえ所有して、軍事的に自国の安全を守ろうとしてきた。しかし、度重なるテロや、今回の戦争の成り行きを考えると、それは明らかに失敗している。
1ヶ月で1000人以上が犠牲になり(その大部分は民間人だ)、瓦礫と死体の山だけが彼の地に築かれていく。誰も勝者のいないこの戦争から、我々は何を学ぶべきなのか。 結局は、「兵器の力で国(国民)の安全や平和は守れない」という至極当たり前のことなのではないか。こんなことは何も今回が初めてではない。イラク戦争も、アフガン戦争も、その他ありとあらゆる戦争の全てが、このことを物語っている。そもそも、世界的最強の軍事超大国であるアメリカは、9.11を防ぎ得なかった。そして、タリバンを潰し、フセインを捕まえてもなお、アメリカへ向かう航空機を爆破しようという計画が立てられるのをとめられなかった。 どんな軍事力をもってしても、アメリカに対する「憎悪」が世界のあちこちで醸成されるのを抑えることはできなかったのである。
イスラエルは、ヒズボラを軍事的に弱体化させようと、徹底的に町を破壊した。しかし、これが逆にイスラエルへの憎悪と、ヒズボラへの支持を生み出している。結果として、軍事作戦自体も奏功していない。国際世論も敵に回してしまった。親分・アメリカがたどったのと同じ道である。 情けないのは、これだけの人間が犠牲になってもなお、何故多くの人達がそのことに気付かないのかということだ。もし本気でヒズボラを潰したいのなら、逆に徹底した平和外交を推し進めることで、軍事力で物事を解決しようとする武装勢力の愚かさを浮き彫りにすればいいのである。自分達まで同じように力を振りかざすのは愚の骨頂というものだ。 もっともらしく「国際政治」の力学を語っても、所詮は小学生レベルの喧嘩である。
イスラエルが笑いものになり、ヒズボラが後ろ指を指されるのは、別に自業自得なので構わない。そのために失われていく命と、破壊されていく生活・人生が夥しくあることが、何ともやりきれないのである。 これは、歴史上何度も繰り返されてきたことだ。その度に反省の弁が語られ、誓いが立てられるが、すぐに反省は忘却され、誓いは破られる。これもまた繰り返しである。 そして、アジアの片隅に住んでいる僕達日本人は、他人事のように暑い国の戦争を見ている。そして、竹島問題に熱くなり、尖閣諸島問題で隣国に対する嫌悪感を募らせる。これもまた、繰り返しである。
神様も、相当に人が悪い。
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