思考過多の記録
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2006年12月28日(木) |
教基=狂気=凶器の沙汰 |
今年の10大(重大)ニュースなどというものが話題になる時期になった(実感はさっぱりないのだが)。 確かに今年はいろいろなことがあったけれど、先々週の末にバタバタと決まってしまった教育基本法の「改正」が、世間的には一部を除いて全く盛り上がっていなかったにもかかわらず、実は大変大きな出来事だったのである。それは今年の出来事かも知れないけれど、影響は今年にとどまらない。また、ごく一部でしか話題になっていなかったにもかかわらず、影響は日本国民のかなり多くの人間に及ぶ。また、今生きている人間だけではなく、今現在母親の胎内にいる人間、いや、その胎児達が将来産み落とすであろう世代に至るまで、実に多くの人間に影響を与える出来事だった。 それというのも、教育基本法はまさにこの国の教育の根本原理を決めるものであり、教育のあり方は人間のあり方を決定づけ、それはこの国の形から一人一人の人格形成に至るまで、マクロからミクロまで、人間そのものに多大な影響を及ぼすものだからである。
この国の人間は、「教育」に関する興味関心は高いが、こと教育基本法に関しては殆ど関心を払ってこなかった。何故なら、教育の原理や理念は、よりよい学校への進学や将来の高収入を約束してくれなかったからである。しかし、そうこうしているうちに、我々の社会を足下で支えてきた基盤は徐々に変質し、全く違った姿に変貌しつつあったのだ。 社会からは自由な空気が確実に失われていったし、「国家」が僕達を見張り、僕達に干渉する装置が巧妙に作り出されていたのだ。「歴史」は否定され、無謬で強く「美しい」国家の物語=「神話」という妖怪が復活を遂げつつある。 安部政権はまさにその流れで誕生したのであり、教育基本法を扱う手つきのその耐えられない軽さは、そっくりそのまま多くの国民達の無知で無自覚で無責任な社会と政治へのコミットメント(「参加しない」という態度も含めて)と重なる。 真綿で自分達の首を絞めて憚らない人々。やがて自分達が入ることになるとは知らずに、「戦後レジーム(体制)」の墓掘りの手助けを喜んで引き受けてしまう愚かな人々。こういう人間が増殖してしまったのも、やはり教育のなせる技である。保守派や財界が言うように、教育基本法のおかげで教育は滅んだとか日本人はダメになったとかいうことはない。実態はその逆だ。彼等は、実に巧妙に、そしてとっくの昔に、教育基本法の息の根を止めていたのだ。
それにしても、人づくりの原点であり、現在と将来の国のあり方を決めるに等しい教育基本法の改正を、こんなにも拙速に、こんなにも安易に決めてしまうとは、一体どういう了見なのだろうか。これは耐震強度偽装どころの話ではない。 勿論、タウンミーティングでの「やらせ」のような露骨な世論誘導などもってのほかだが、国会で何十時間かけたから審議を打ち切って採決していいことにするなど、国民を愚弄し、天に唾する行為だ。 しかも、これだけ重要な法案を大きく変えるというのに、逐条審議(条文ごとに審議すること)すら行っていないというではないか。また、国民の意見、わけても現場の教師や親、そして子供達に広汎に議論を促し、その結果を審議に反映させるといった、当然とも思えることすらやった形跡がない。 国政を預かる国会議員としての良識に照らしたとき、これで採決するなどという乱暴なことは絶対にできない筈だ。「結論先にありき」を絵に描いたようである。若者に公徳心がないとお嘆きの政治家達だが、公に尽くすとはどういうことなのか、また誠実に任務(職務)を遂行するとはどういうことなのか、まず自分達から教育し直してもらった方がいいだろう。
現行憲法をもって、戦後作り上げられてきたこの社会のあり方を根本的に変えてしまおうという安倍首相の、ことの重大さに比してあまりにも軽すぎる野望のために、まずやり玉に挙げられたのがこの法律だった。本来日本国憲法の理念に則って作られなければならない(元の教育基本法はそうなっていた)にもかかわらず、改正案の審議中に伊吹文科大臣が「自民党の憲法改正案と齟齬がないようにチェックしてある」旨の発言をしたが、語るに落ちたというべきである。 安倍首相は、この国のあり方、そして現在を生きる我々一人一人の国民、そして将来の世代に至る膨大な人々のことを、果たして本当に考えていたのであろうか。彼の言動からは、そういう「畏れ」「おののき」といったものが全く伝わってこない。「戦後」の空気の大きなうねりの力で退陣を余儀なくされた己の祖父・岸信介の私憤(といっていいと思う)を晴らさんがための、全く「私」の感情に基づいた行動である。もし、本当に国のため、現在と未来の国民のために今回の改正を行ったと本気で彼が考えているのなら、その思慮のあまりの浅さ、知恵の足りなさに僕は唖然としてしまう。 この見方があながち間違っていなさそうなのは、最近の安部政権の一連の不祥事を見ているとよく分かる。もともと中身のない人物だと、政権発足時から僕は言っていた。その通りだった。
どちらにしても、安倍首相が犯した罪はとてつもなく大きい(勿論、「与党」だというだけでその片棒を安易に担いでしまった‘平和と福祉の党’公明党と、それを支えた創価学会の罪もまた大きいが)。繰り返すが、この法改正が子供達の世代に及ぼす影響は計り知れない。彼等にしてみれば、自分達には何の落ち度もないのに、今の僕達よりはずっと生きにくい社会に生まれ、その中で育っていかなくてはならないのだ。 彼は小泉前首相と並んで、お望み通りに「歴史に名を残す」宰相になった。 教育基本法とともに成立した「防衛省」法案をはじめ、これから彼が手がけようとしている一連の政策(国民投票法案から憲法改正の発議に至るまで)によって、この国の進路を大転換させ、時代を逆に回した張本人として。 これだけ考えても、安倍首相以下、国会議員達には議員歳費をもらう資格などない。即刻職を辞して欲しいものだ。 そしてまた、昨年夏の小泉前首相の大絶叫に踊らされて自民党に大量の議席を与え、安部政権発足とその暴走のお膳立てをした近視眼的・瞬間湯沸かし的メンタリティの持ち主である有権者の罪もまた然りだ。さらに、この問題の取り上げ方を見るにつけ、マスコミにも重い責任があると言わざるを得ないのだが、それはまた別の機会に書きたい。 今回の教基法改正は、政府・政治家・有権者が三つ巴で引き起こしたまさに「狂気の沙汰」であると、後世の良識ある人々は苦い思いで語るに違いない。これまで僕達を守ってくれていた教基法は、今や(「公」という名の)国家に楯突く人間を許さない、国家に従順な人間を育成する「凶器」と化したのだから。
どのみち僕達は死んでいく。政治家達はもっと早く死んでいく。負の遺産など何処吹く風だろう。この国で、教育について、そして次世代の子供達について真剣に考え、真摯に取り組んでいる人間がどれだけ少ないか、教基法「改正」の一連の動きはそれをはっきりと示している。
こんな国に生まれてしまった子供達は、本当に不幸である。
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