思考過多の記録
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2006年12月23日(土) Unforgettable〜幸福な時間〜

 僕が脚本を書き、演出した演劇公演『Unforgettable』が終わった。いつもながらのユニット公演のため、公演終了とともに集団は消えてなくなる。今回のメンバーも、いや、正確にはメンバーの関係性も、打ち上げ終了とともに朝の光の中に消えていった。



 いつもそうなのだが、今回のメンバーもまた偶然の産物による顔ぶれだった。今回は公演時期のこともあって、当初はなかなかメンバーが集まらず、僕と制作さんとの間では「公演中止」という選択肢も検討された。直近の夏の公演が僕にとっては些か不本意な結果になっており、評判もさほど芳しくなく、経済的にも疲弊していた僕は、精神的にはかなり追い詰められた状態だった。加えて、前々から主役候補に内定していた役者さんがNGになった。そんなこともあり、一時は僕も「中止」に傾きかけた。
 しかし、制作さんは、自分で出した選択肢だったにも関わらず、自分でそれを否定した。そして、ギリギリまで可能性を探ろうと言ってくれたのだった。僕はそれで何とか勇気を取り戻すことができた。自分がこの芝居をやろうと思っていた原点の思いを、改めて思い出したのだった。



 制作さんは、役者探しのために、今話題の?mixiという「裏技」を使った。「役者」で顔写真を出している人という条件で検索し、ヒットした人に今回の芝居の概要を送った。その結果ヒットした何人かに今回の公演の概要メを送り、実際に会って話をするという流れだった。また、見に行った舞台で、良さそうな人に声をかけた(これは僕もやった)。
 この作品には所謂「性的」な表現があるため、それをOKしてくれる人でなくてはならない。この脚本をずっと上演していなかった理由のひとつはそれだ。実際今回も、それが原因で出演を辞退された人が何人かいた。その中で、それを引き受けてくれた人達が今回のメンバーである。その種のシーンは見せ方もさることながら、相手役との信頼関係やその人自身のある種の「覚悟」がなければ作ることはできない。敢えてやってもらったとしても「嘘」になってしまうし、腰が引けていればお客さんが引いてしまう。この難しい表現に挑んでくれた勇気ある人達が今回のメンバーというわけだ。
 また、今まで以上に「作品」を前面に押し出して声をかけたこともよかった。「取り敢えず出ていただけませんか」ではなく「この作品に出ていただけませんか」というスタンスにしたことが、結果としていい方向に転がったとも言える。しかし、これこそが僕がこのユニットを作ったときの目的だったのだ。



 それにしてもこの芝居は、いろいろなことが「奇蹟」のようである。もともと僕が舞台上で演技を知っていた役者さんは2人だけだし、当然僕の脚本・演出は全員初めてである。しかも、聞いてみれば、ほぼ全員がこれまでやったことのないタイプの役につくことになった。僕が「チャレンジャー」と言われる所以であるが、失敗してもおかしくないシチュエーションだった。
 しかし、結果的に、この全くの偶然の顔合わせが、僕が想像していた以上のチームワークと「熱」を生み出した。稽古場では全員が手探り状態で、貪欲によりよい表現を探っていった。その前向きな姿勢をお互いが評価し合い、信頼感が生まれた。そのことで、演技の完成度を高めていくことができたのだ。
 そしてまた、役者さん達の色が見事にこの作品にはまっていた。今回メンバーを変えようと思ったのは、これまで出てもらっていた役者さんの色では、この作品は難しいと思っていたからなのだが、それが見事にはまった。当初のこちらの意図していた方向性とは違うものを作ってきた役者さんもいたけれど、それはそれできちんと成立していたし、率直に面白かった。こうして徐々に形になっていく作品を見ながら、これこそが芝居作りの醍醐味なのだと思えた。前にも僕の関わってくれて、今回演出助手で参加してくれた人が、
「今までで一番楽しそうにやっている。」
と言ってくれたが、実際僕は心の底から楽しかったのである。
 スタッフさんも初めてやっていただく方が多かった。みなさん多忙な方で、事前に綿密に打ち合わせをする時間が持てなかったのだが、それもでも全てがはまった。映像・音響・照明・舞台美術、そして、オリジナルの主題歌。どれも作品世界に呼応するものだったし、公演自体を支えてくれたスタッフさんも強力で、初日から楽日までつつがなく進めることができた。



 この脚本は、今から4年前に構想があり、3年前には途中まで書き進められていた。上記のような理由と、もう一つ大きな理由があって(このことはまた別に書こうと思う)これまで上演の機会がなかったのだが、僕が処女作を書いてから今年で20年という節目の年にこういう形で実現したことは、本当に感無量である。
 脚本の出来も舞台の完成度もこれまでの中で最も高かったし、お客様の評価も、賛否両論あったものの、やはり一番高かったと思う。また、これまでで一番たくさんのお客様に見ていただいた公演となった。お客様や関わった人達の満足度も一番高かったと感じている。勿論、僕自身もそうだ。「20周年」を最高の形で締めくくることができたと思う。



 20年前、全くの手探りでレポート用紙を埋めていったあの夏。それが、千葉県教育会館のホールでの後輩達の上演に結実した晩秋のあの日。その時、こんな機会が持てることを僕は想像していなかった。
 プロになっているわけでも、多くの人から認知され、高い評価を受けているわけでもない。大きくて名の知れたホールで芝居が打てているわけでもない。しかし、それでも僕はこの舞台までたどり着けたのだ。
 いろいろあったが、本当に続けていてよかったと思う。
 今まで僕の芝居に関わってくれた全ての人達、そして、この『Unforgettable』に携わってくれた全ての人達に、心から御礼を言いたい。
 本当に有り難う。
 この芝居に関わっていた全ての時間の、全ての瞬間が愛しい。本当に幸福な時間を過ごすことができたと思う。この先どんな苦しいことがあろうとも、今回のこの時間が僕を励ましてくれるだろう。そして、この先どんなに素晴らしい成功を収めようとも、そのことで今回のことの価値が下がることはない。この時間は色褪せることなく、いつまでも、おそらく僕の死の瞬間まで僕の中に生き続けるだろう。この芝居に携わった一人一人のことを、あの笑顔を、あの涙を、僕は死ぬまで忘れない。





 「世界を切り裂く鋭利なナイフのような芝居を目指す」と、僕はかつて宣言した。その具体的な形が、この作品で漸く見えてきたような気がする。
 僕は、新しい仲間と出会い、新しいスタートラインに立った。
 そして、僕の活動は、21年目に入るのである。


hajime |MAILHomePage

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