思考過多の記録
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2007年12月04日(火) 闘病生活

 僕の病気はストレスから遠ざかっていたお陰でだいぶ改善の方向に向かい、来年1月7日から出社できることになった。ただ、どんな部署でどんな仕事をするのかは、今月下旬の話し合いで提示されることになっている。



 色々な経験をし、色々考えることが出来たこの休職期間だったが、その終わりにちょっとしたハプニングが起きた。内容を詳しく書いてもあまり意味はないので省略するが、僕がはっとしたのは、相手が僕に対して送ってきたメールの言葉だった。
「自己防衛のために他人を攻撃する人は恐いので、以後関わりたくありません。」
 この女性は何回も僕に批難のメールをくれたが、「自己保身・自己正当化のための攻撃」といった言葉を何回も使った。考えようによっては彼女のその行為自体が、自己保身のための攻撃なのだが、確かにそういわれても仕方がない面が僕にあることも股事実だ。



 これは、病気の後遺症だと僕は思っている。
 「神経症」という病気は、周囲に対して神経質になり、攻撃的な態度に出ることが多くなるようだ。これは、実感として分かるのだが、確実に事故の崩壊を食い止めるための防衛本能が過敏に働くために起きるものと思われる。自分では制御が効かない。「攻撃された」と思うと、心がハリネズミ状態になってしまうのだ。
「攻撃は最大の防御」という言葉通りの反応である。
 そういえば、この病気に罹って以来、全て芝居絡みだが、僕は2人の人間と喧嘩別れした。それ以前の僕ではあまり考えられないことだ。どちらの場合も、僕の攻撃によって亀裂が一気に深まり、修復不能になったものである。



 この病気になる以前の僕はどう対処していたのだろうか。
 極力争いごとにならないように、できるだけ建設的に、相手を立てる形で譲歩していたことが多かったように思う。しかしそのことが、自分の中にマグマのようにストレスを蓄積し、結局爆発するに至ったのだ。
 しかし、だからといっていちいち攻撃していたのではどんどん人間関係を切っていくばかりだし、自分の身も持たない。「キレやすい人間」というレッテルも貼られてしまう。
 しかし、繰り返すがこれは自分のコントロール外のことである。一度暴走し始めると、本当に止められないのだ。精神安定剤はこれを防ぐために投与されているのだろうが、それも万能ではない。



 一体どうすればよいのだろうか。
 僕自身関係が切れることを望んではいなかったはずの人間との関係が切れていく。
 復帰の時期は決まったが、僕の密かな闘病生活はまだまだ続くのかも知れない。



 そして、今の世の中を見れば、全体が「神経症」に陥っているのではないかとすら思われる事件が、今日もマスコミを賑わしている。


hajime |MAILHomePage

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