思考過多の記録
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2008年02月09日(土) 「食」の豊かさの実態とは

 このところ話題になっている中国製の冷凍餃子の事件を見ていると、我々の「食」についていろいろと考えさせられる。ことは「中国産」だからというだけではない。アメリカ産牛肉の問題で牛丼が食べられなくなったり、牛肉の生産地に対してみんなが敏感になったのはそんなに前のことではない。



 「食糧安保」という言葉をよく聞くようになった。日本の食糧自給率は先進国中極めて低い。安い外国産の原料や製品を大量に輸入・消費するようになった結果、国内産が駆逐され、国内の第1次産業が「破壊」されつつあるのだ。今になって「地産地消」などと言っても、もう後戻りできる水準ではないと思う。
 ひとえに消費者である我々が、「安く、便利なもの」を追及してきた結果である。「飽食の時代」とか「グルメ社会」などと言われたこともあった。しかし、それが如何に脆弱なものであるのかが、今回の騒動で明らかになったと言ってよい。
 また、これは何も日本だけの問題ではなく、例えば中国産の野菜は世界各国に輸出されている訳なので、ことは国際的な「食」の問題となる。「食」に関しては、まさしく世界は一つであり、どこかで問題が起きると、それはあっという間に世界に広がるのだ。



 ファミレスやファストフードなど、飢餓に苦しむ国々から見れば羨まれるほど、僕達は24時間「食」にアクセスすることができる。また、冷凍食品やコンビニなどで様々な料理を手軽に手に入れ、食べることができる。しかし、その食材の原料が何処から来たのか、一体何を食べさせられているのか、口に入れる瞬間もその後も、僕達は知らないことが多い。もしかすると、知らないからこそ食べられているという実態があるのかも知れないのだ。
 昨年は消費期限や品質表示の偽装が相次いだが、事件として表に出ない限り、我々はそれを知る術がない。今回の餃子の件も、被害者が出て初めて表沙汰になったものであり、しかもことの全容がはっきりするまで一月の時間を要している。
 なおかつ、原因はまだ掴めていない。



 人間は食べなければ生きていけない。そして、人口は増え、物流のネットワークは世界中に張り巡らされている。今さら江戸時代に戻るわけにはいかない。
 今回の事件から我々が引き出すべき教訓は多いが、一消費者が自衛手段をとればすむ問題ではない(勿論、それは必要だろうが)。
 温暖化対策に今漸く世界各国は取り組み始めているが、同じくらいの真剣さで「食の安全」についても、知恵を出し合い、システムを整えていくべきではないだろうか。中国を悪者にすればそれで終わりというのでは、この先、第2,第3の「餃子事件」が起きることを止めることはできないと思う。



 それにしても、である。
 そうやって一生懸命守らなければならない「豊かさ」とは、一体何なのだろうか。


hajime |MAILHomePage

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