思考過多の記録
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2008年02月20日(水) |
All or Nothing |
僕の思考の癖として、「All or Nothing」がある。 特に自分に関してだが、一部を否定されると、全てを否定されたかのように感じてしまうのだ。芝居の感想にしても、否定的な感想を述べる人が一人でもいると、その芝居が失敗だったように思われてしまうのだ。
そうやって僕は、いくつもの思いこみ、思い違いをしてきた。 共同イベントを「延期しましょう」と言われて、それを全面的な中止の意思だと受け取った。 「言った」「言わない」という水掛け論になったとき、相手が僕が言ったはずのことを「言われていない」と言ったのは、僕と僕のプロジェクトを軽んじられたか全面否定されたと思った。「あなたの芝居とは方向性が違うので、もう出演しない」と言われて、自分の芝居自体の価値を否定されたと思った。 「あなたとの間に溝を感じる」と言われて、それを絶縁宣言だと受け取った。
その度に、僕は相手との関係を失ったり、悪化させたりしてきた。 勿論、病気がこれを助長しているのは確かだ。しかし、僕の中に元々そういう傾向があることは否定できない。それも、全面的にプラスに受け取ることは圧倒的に少なく、たいていの場合は全面的にマイナスに受け取る。これは、一時話題になったアダルト・チルドレンの思考回路にちょっと似ている。自分で自分になかなか肯定感が持てない。
しかし、世の中のことは全て白黒がはっきりしているとか、善悪にはっきり分かれるわけもない。というか、そんなことなど一つもなく、全てはグレーゾーンだといった方がいいだろう。 「All」と「Nothing」の間には無限の段階があるのだ。 「All or Nothing」と割り切ってしまえば楽である。ある意味、思考停止状態になる。「正義」か「悪」か、「肯定」か「否定」か。決めつけてしまえば、取り敢えず何かが分かった気になる。それ以上は何処にも進めない。
「あなたとの間に溝を感じる」と僕に告げた人は、僕からの返事を待っていた。 僕は今、その溝を埋める言葉を必死に探している。 それは、「All」と「Nothing」の間を埋める言葉なのだと思う。
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