思考過多の記録
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2008年06月03日(火) |
人殺しに荷担する人々 |
クラスター爆弾の使用を、「人道的な」最新型を除いて全面禁止する(この表現も何か妙だが)条約が、紆余曲折を経て採択された。 ただし、ここにはアメリカやロシアといった大量に所持している大国は参加していないそうである。それでも、貴重な一歩には違いない。 使用しにくい空気を作り出せるからである。
それにしても、いつも思うことは、こういう兵器を研究・開発している人間は、どういう感覚をしているのか、ということである。 いくら自分が食べていくための仕事とはいえ、自分が考え出した兵器で、世界中で何万、何十万という人間が傷付き、あるいは死んでいく。そう考えたら、平常心を保つことは難しいのではないか。 不眠症にでもなって、ノイローゼになってしまうかも知れない。 ことによったら、自分の仕事を呪い、自分がその仕事に従事せざるを得ないことを悲観して、自殺を図るかも知れない。
しかし、ついぞそんな話は聞いたことがない。 おそらく兵器の開発人たちは、まるで家電製品でも考案するかのように技術を磨き、企画(!)を考え、提案し、設計図を書いていくのだろう。 それは、戦場で敵を攻撃する兵士の精神状態にも似ているかも知れない。 自分を麻痺させなければやっていられない。というか、正気を保てない世界なのではないだろうか。 勿論、進んでその仕事を志願し、やりがいを感じながら働いている人間も少なからずいるだろう。 彼らは、「国」だの「愛する人」だのを守るために、敵を出来るだけ効果的に殲滅する方法を考え続ける。
だが、彼らの想像力は、その「敵」には及ばないのだろうか。 どんな理由があろうと、自分達は誰かを傷付け、その命を奪う行為の重要な担い手となっているのである。 勇気を持って、そのことに向き合って欲しい。 そうすれば、新しい兵器などこの世の中には現れなくなるはずだ。 それができないのは、人間の愚かさ、弱さの表れに他ならない。
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