思考過多の記録
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2008年06月09日(月) |
秋葉原の事件をめぐって |
秋葉原で無差別殺傷事件が起こった。 加害者は25歳の派遣社員だとのことである。 報道では、その動機は「世の中が嫌になった。生活に疲れて人を殺そうと思った。誰でもよかった。」ということだ。いつもながらに、論理的な飛躍があるが、犯罪はえてしてそうである。
加害者の男は、主に工場労働に従事していたようである。工場の現場における派遣労働者の扱いが人間以下だということは、最近あちこちで報道されている。仕事中の事故で怪我をしたのに、違法な二重派遣がばれるのを恐れて救急車を呼んでもらえなかった人の話が何処かに載っていた。 以前読んだ雨宮花凜の『生きさせろ!』という本には、こうした派遣労働者の、まさに『蟹工船』的な実態が赤裸々に書かれていた。 加害者の男も、派遣先でそうした扱いを受けていたのではないかと推測することは、それ程的外れではないと思う。しかも、報酬は所謂「ワーキングプア」のレベルであったことは、「生活に疲れた」という供述から間違いがない。
問題は、こうした日々の閉塞感により溜まった鬱憤が、自分をそういう状況に置いている社会制度への怒りや変革へのエネルギーに向かず、無差別殺人という他人への攻撃のベクトルに向いてしまうことである。 おそらく男は、この社会に絶望していたに違いない。 どこに対しても晴らせない鬱憤は、不特定多数への攻撃へと反転する。 最近、こうした人達の労働組合ができたり、「プレカリアート」のデモがあったりするが、大きく社会システムを変える力にはまだなり得ていない。何しろ、この国の社会システムを作っているのは、資本家達や「勝ち組」連中に操られている人々なのだから。
17人もの人間を巻き添えにした今回の事件は、日本の通り魔至上最悪だという。 それにしても、ここのところ、こうした通り魔事件が続く。 社会への鬱憤が、他人への攻撃につながる回路が、着実に定着しつつあるのだ。 そうした鬱憤を、何とか社会変革の方向に向けて束ねていく運動が必要である。そしてそれが、目に見える成果を生み出すことが、何よりも重要である。 そうでない限り、今回のような事件は、人を変え、場所を変えて起こり続けるだろう。
僕達は今、そういう危うい、そして悲しい社会を生きているのだ。
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