思考過多の記録
DiaryINDEX|past|will
1年前の今頃、何をしていたのか全く思い出せない。 おそらく、日がな1日、家の中に閉じこもってぼんやりしていたり、布団に寝込んでいたりしていたのだろう。 5月に2回ほど、今年の9月に予定していた芝居のオーディションで役者さん達に会ったりしたが、その後は特に何もしていなかった気がする。
もともと僕から芝居をとったら何が残るのかという状態の中で、2007年12月以来芝居を打っていなかった上に、健康上のことがあって2008年7月と今年の9月の2回の芝居を流してしまった。 その間に、僕の芝居に出てくれた役者さん達、またオーディションに参加してくれた役者さん達は、様々に動いていた。 いろんな舞台に出演する人、新たに仲間とユニットを結成した人、映像やナレーションを中心にした事務所に所属した人、またフリーから劇団所属になった人…。 実に様々である。 これまでよりも大きな劇場で公演をするようになった人達もいる。 また、その活動をブログで報告したり、「いつからいつまで、こういう芝居に出ますので見に来ませんか」というお誘いのメールをくれるなど、自分の活動のアピールに余念がない。
こういう動きを見ていると、何だか自分だけが何年も前から動きを止めてしまっているように思えてくる。 確かに昨年、僕は自分の劇作方法を見つめ直そうと、日本劇作家協会主催の戯曲セミナーに参加した。が、これも病気のお陰で、かなり中途半端な参加になってしまい、全日程の半分ほどしか受講できなかったばかりか、受講生の最終的な課題である、上演時間60分の戯曲を書き、希望する講師(劇作家)に提出するということもできなかった。 結局、2008年、2009年、そして2010年の半分を、僕は何もせずに過ごしていたようなものである。
「時は金なり」という。過ぎ去った時間を取り戻すことはできない。 それ以上に、僕が止まっていた間に、今まで僕と絡んだ人達が充実した時間を過ごし、それぞれにいろんなものを得て成長していった、その差を縮めることはできない。 その事実が、僕を焦らせる。 その上、僕はこのところ、自分が確実に年老いているという事実を再確認させられ続けている。 何しろ、気力・体力が続かないのである。 休みの日でも、平日に時間がないために書けなかった文章を書こうと思うのだが、思うだけで、まるきり頭が働かない。それに、文章をまとめる作業が億劫に感じてしまうのだ。こんなことは、10年前には考えられなかったことだ。 あんなに楽しかった劇作も、遅々としてすすまない。 物事を構想する力、そしてそれを作品として構築していく力が、確実に落ちているのを感じる。
そうはいっても、最近亡くなった井上ひさしさんなどは、僕よりも随分年上で、なおかつ最後まで現役でいらっしゃった。「遅筆道」と自ら名乗りながら、ちゃんと最後には素晴らしい作品を毎回作り上げていた。 年齢的な限界は人それぞれだとは思うが、僕もまだまだ終わりというわけではない。 そう思いたい。
それでもやはり、焦りは募る。 僕はどこまで行けるのか。 僕は、先に行ってしまった彼等に追いつくことができるのか。 誰にも答えが分からないだけに、なおさら焦る。 焦っても焦っても、今はまるで夢の中で必死に走っても足がもつれて動かないような状態。 何かきっかけがあれば動き出せそうな気もするのだが、誰がそのきっかけを与えてくれるのか、それさえも分からない。
夢ならば、早く醒めて欲しい。
|