2002年7月30日(http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=9058&pg=20020730)の日記を読み返していて驚いた。なんだ4年前から脳科学における心と脳について考えていたのか。「個々の主体的な感覚です。」なんて書いてあるのを見てなぜか大笑いした。なぜなら、今僕が一番関心を持っているのが、患者さんの主体的な感覚とリハビリの療法との関係性だからだ。
しかも、その題材は小林秀雄じゃないか。今、僕は茂木健一郎にはまっているが、彼も小林秀雄の思想に大きな影響を受けているし、彼が書いた「脳と仮想」は小林秀雄賞まで受賞している。待てよ。もしかして、雑誌「考える人」に小林秀雄の言葉を借りて、心と脳の問題を提起していたのは、もしかして茂木健一郎だったのか。
で、「考える人」のバックナンバー(http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mokuji/01.html)を見てみたら、どんぴしゃである。なんだ、この頃から茂木健一郎の書く文章が好きだったんだな。今の僕の日課は茂木健一郎のブログを毎日チェックすることである。この人、脳科学者なのか哲学者なのか芸術家なのか小説家なのか良く分からないくらいに、その才能が伺える文章を書くのだ。あこがれる。僕には今のところこの才能を真似することでさえ不可能だが。彼の唱えるクオリアというものを、彼の文章から体感するのだ。もしかして、彼はそれを意識して書いているのだろうか。もしそうなら、恐ろしい。
今からジムに走りに行ってくる。30分にするか1時間にするか、本番を四日後に控えて、どれくらいのトレーニングが適しているのか良く分からない。ただ、ハードにやるには今日が最後くらいにしとくべきか。じゃあ、1時間だな。走っている間、一体、自分は何を考えているのだろうかと思い、いつも覚えておこうとするのだが、走り終わった爽快感がその記憶を完全に消し去ってしまう。あの爽快感は一種のストレス除去剤みたいなものだな。
自分の考えていることなんて時間とともに消えてなくなる。ところが、日記を読み返してみると、おいおい、昔から考えてたことじゃんかって気がつく。この過去と現在の自分の考えがリンクするってのも、これまた新たな発見で面白い。
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