2001年05月08日(火)
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田舎と都会の背中あわせ |
たくさん寝ました。
ですが、この睡眠の間に、私は何度時計を見たでしょう。 ある時は、15分しか経っていなくて、 またある時は、ピッタリ90分・・・・。 起きるたびに、自分の呼吸が自分のものではない錯覚に陥り、 認めたくはないのですが、 そうやって、発作が起きることで手足がびりびりと痺れてしまっているので 起き上がることすらできず、 店から電話がかかってきて、何とか体を起こすのに 6コールもかかってしまいました。
恐ろしいので、あんまり考えたくはなかったのですが 発作を起こしては、意識が遠のき、 目覚めればまた発作・・・・って とっても意味のないことのように思えて、 処方された薬は、1日に1回しか飲めないものだから、 どうしていいのかわからずに、ただそのままでいました。 まだマシなのは、 処方箋に書かれた以外の飲み方で薬を飲まないことでしょう。
これは私のプライドです。
苦しくても、自分を貶めるようなことだけはしてはならない。 同じような病気の友人が、薬をがぶ飲みする姿 いやだと思っても、何だか自分にも起こりうることのような気がして、 怖くても目をそらせなかった。 そういう人のことを、激昂して、 諭したりもした。
そんな私が 薬をがぶ飲みするわけにはいきません。
くだらないプライドです。
苦しいんだから、 それから逃れるために それを払拭するために もっと、もがけばよいものを・・・・ 自分でもそう思うことがある。 例えば、薬を飲むことでそれが緩和されるのだったら そうすることを選べばよいのに 自分でもそう思うことがある。
単純に考えよ。 何がプライドだ・・・・? 捻じ曲がった何かが、私のこの生真面目さを支えているのだとしたら、 これほどくだらないものもないだろうなぁ。
母・サヨコが血相を変えて電話してきました。 この日記を読んでいるからです。
これから毎日、電話をすると言ってました。 親心です。
(これを読んだら、天邪鬼に電話するのをやめるだろうか)(爆)
ここ何年か「帰る」「帰らない」「帰ってこい」のやりとりをしていて 私は帰ったときに待っている田舎の暮らしが たまらなく嫌になることがあって、 ここまで焦らしてきました。
昨年、とうとう本格的にぶっ倒れて 実家に1ヶ月ほど強制送還されてしまったとき そのことを強く思いました。
この都会にも居場所らしい居場所がない私には、 帰ったときにも、同じように思うことを気づいてしまったからです。
単なるわがままなんだけれど そういう事実は、余計にここを引き揚げることに 恐怖感を抱かせます。
だったら、ここにいてもいいんじゃないか・・・・? と、そうして自分を騙すしかないのです。
騙されてくれないかなぁ・・・・。 私。
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