2001年11月28日(水)
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祐天寺の踊子から西美濃の踊子へ |
昨日の時点での岐阜県西濃地方の本日、予想最高気温・・・・11℃。最低気温2℃。 さっ・・・・・・さぶっっ!!!! 何で?? ついこの間まで、この日記にも 「暑いから、体温も上昇してしまって適わない・・・・」 などと書いていたというのに、 この寒さの中、あたくしの体温は、まだ37℃台です。 もういい。 もう知らん(笑)。 暑かろうが、寒かろうが、あたしの体は そうそう簡単に適応してくれないということがこれでよくわかった。
そんなわけで、本日、起床は12時。 動き始めるのに時間がかかってしまったので、リタリンは飲むのをやめました。 眠れなくなるのは何より怖いです。 あまりの寒さに、昨夜より電気毛布を使用し始めました。 この部屋、 夏はほっとくとガンガンに煮えたぎるくせに 冬は外気温と同じだけ冷える仕組みになっているので、 いくら屋根や壁があるとはいえ、ちゃんと防寒対策しないと 眠っている間に、凍死しかねません。
リタリンを飲まなかったので、何とかして目を覚まさねばと思いつつ、 コーヒーを1杯だけ飲んだ。 それから、あまり動かないようにして、ゆっくりと薬を体から抜いた。 昔のビデオとか見ながら・・・・。
むむむ・・・・。 子供を産む前の安室ちゃんは、やっぱり可愛いなぁ。 撮りためておいた安室ちゃんビデオを眺めながら、 昔、よく彼女の真似をして踊ったことを思い出していた。
大学時代、実習と称されて、1年と2年の時はダンスの授業があった。 週に1度、135分枠でひたすら踊る(爆)。 ウォーミングアップでストレッチをして身体を十分に解してから、 バレエでいう、基礎のバーレッスンや ジャズダンスでいう、コンビネーションなどをやる。 先生が日本女子体育大学の新体操専攻なんて処から講師としてやってくるので やることなすこと、半端でない(爆)。 普通に踊っていたうちはよかったが、手具を使うとなると えらい大変になり、 最終的には、創作ダンスまでするというところまでいくと 授業枠だけではどうにもならず、 休日返上で振り入れ・・・・なんてこともあった。
うちの大学(学部・学科)には洋舞を専門に学べるところもあって そういう人たちは、プロの舞踊家なんかを目指していたりするので、 とんでもなくレベルが高い。 体も柔らかく、しなやかで、基本的に容姿も美しい。 幼い頃からバレエを嗜んでいるのは当然のこと、 入試の実技試験でも、踊らされるのである<彼女たちは。
そんな「洋舞さん」(通称)らが作ったらしい、ダンスグループなるものが 昔からこの大学にはサークルとして存在した。 演技コースからもこのサークルに参加している人たちが何人かいて、 そういう人たちは、やっぱり基本的に「洋舞さん」たちみたいに 体躯的要素を十分に満たし、昔からバレエ(ダンス)を・・・・という人が多かった。 あたくしはそんな環境の中で、ダンスの素質や成績はあんまり芳しくなかったけれど 踊るのは大好きだった。
祐天寺の某養成所では、カリキュラムの中にダンスはなかったが、 別途実費を払えば、スタジオを使ってのダンスレッスンに参加することができた。 これも週1回。2時間半で1枠である。 これはとっても楽しかった。 (ダンスの)先生も無理なことは要求しないし、 とにかく、楽しんでレッスンしましょう♪みたいなスタンスが好きだった。 1期上の人たちも一緒に参加してやるのだが、 その中に、とても面白い人がいた。 MAXの振りをとても上手にコピーして披露してくれる男性(爆)。 半端じゃなくうまいので、皆の人気者だった。
さて。 週5回、朝10時から昼1時までの3時間のレッスンの他に 別途週1回、2時間半のダンスレッスン・・・・ 金がかかって仕方がない。 無論、バイトをしなければやってられない。 しかし、ダンスだけはどんな状況でも休まなかったなぁ・・・・。 踊っていると、まず楽しかったし、 肉体的疲労を覚えても、それがイコール 体脂肪の燃焼を直接に感じるにつながり、 やみつきになっていたのである。
大学時代と同じように、バーレッスンや、コンビネーションをこなしていると 真冬でも、汗はダラダラと出る。 水分と体脂肪を身体の外へ放出させるためなら何だってしてやる、と レオタードの上にTシャツを着て、 更にトレーナーか何かの上にポリのスウェットやサウナスーツを身に纏うのは、 何もあたくしだけがやっていたことではなかった。 限界まで厚着をして、まるでボクサーみたいなトレーニング状況を 「楽しんで」やっていた気がする。 ここでも、最終的には課題曲のコンビネーションに加え 創作ダンスもやらされたが、 やっぱり週に1度のレッスンだけで振りが入るものではなく 通常のカリキュラムがあがるや否や、スタジオの近所の公園へラジカセ持参で行き、 子供たちが囃したてるのを、敢えて無視して 必死にダンスに勤しんでいた。
当時は奇しくも、前述のMAXやらSPEED、 まだ安室ちゃんの余波も残っている、ダンス全盛期・・・・。 (沖縄系ライジングプロ花盛りだった)
無論、流行の振りに飛びつくのは極々当然のこと。 目指すは、あの力強さと切れの良い動きである。
で、ここ最近・・・・。 目を惹くダンスをしている集団といえばモーニング娘。かもしれない。 先月から13人に増えて、曲のコンビネーションも複雑になってきているように見えるが、 実は、それは錯覚であるというのに本日気づいた(爆)。
昔から、前述のような環境で、 自分で振りを入れなければならないときに、参考にしていたのは やっぱりタレント各人の動きである。 ビデオで歌番組などを撮っておき、 全てコピーすることは出来なくても、使えそうなパートは8カウント毎くらいに 区分して、頭と身体に叩き込むのである。 で、当時、その参考資料としていたのは 前述の沖縄系ライジングプロ(爆)の皆様の 難度超A級のコンビネーションばかりであった。 難しすぎる・・・・・よっぽど某J事務所の人たちの、トリプルピルレットの方が 簡単に思えるくらいである。<当時から、そんな難しい技は出来なかったけど・・・・。 (せいぜいダブルがうまく決められる程度でした・・・・( ̄∇ ̄;))
そんな難しいコワザの応酬の中、必死に形にしようと努力したあたくしたち・・・・。 云うなら、モーニング娘。の振りそのものはメじゃありません(笑)。
最近取り残しておいたVがあったので、 ちょっと眺めていた。<「恋愛レボリューション21」 ふむ・・・・・。 このくらいならいけそうだな。 13人のフォーメーションを無視していくのであれば 振りそのものは、今でも入れられそうである。
いざ、挑戦
完璧ではありませんが、2時間くらいで、何とかなりました。 間奏のラップ部分は、あと3日頂ければ、何とかなるでしょう(笑)。 オチとしては全然面白くありません(爆)。 安室ちゃん(スーパーモンキーズ)をコピーしようとした時は、 当時の体力でもってしても、ゆうに1週間はかかりましたから(爆)。 そうやって、何度も反復していれた振りも、 今は、曲がかかっても部分的にしか思い出せませんが( ̄∇ ̄;)。 (8カウント毎の切り貼り振り入れがこういう風な影響となって表れる)
これが宴会芸にできるようになるには もう少し努力が必要ですが、 こっちに帰ってきてから、事務所を探しつつも、歌がやりたいなぁと思っていたのを また、ダンスでもやりたいなぁ・・・・と修正された思いを抱えてしまいます。 当時できなかったトリプルピルレットですが、 あの頃は今よりゆうに10kgは体重が重かったのです。
ひょっとしたら、今からレッスンを再開すれば、 出来るようになるやもしれぬ・・・・(-。-) ボソッ
電気毛布ではなかなか身体が温まらないことを悟り 1人自室で踊っていたあたくし・・・・・マヌケでございます。 祐天寺のスタジオの踊子だったあたくしは ここ西美濃でも踊子として復活しようと 密かに(フォント拡大する時点で全然密かでない)企んでいるのでございます・・・・。
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