ブルーにこんがらかって...月人

 

 

イマジン - 2004年04月19日(月)

ある感情について訊かれた。
「それって、どんな感じ?」
心臓をわしづかみされたような感じ、と答えた。
よくわからない、と言われたのでたとえをいろいろ言ってみた。
仕事やなんかで重大なミスをしたときに、内臓がぎゅうっと縮むような感じ。
大事なものを誤って壊してしまった、傷つけてしまったときのような感じ。
インフルエンザにかかったような感じ。
思いつく限りいろいろ挙げてみたけど、結局、
「そんな風になったことないからわかんない」
と言われてしまった。
私の話し方が悪かったのかもしれない。でも、あっさり「わかんない」と言われたらなんだかがっくりしてしまった(わかったふりをされるよりはマシなのだけれど)。
経験したことがないからわからない。
それは確かにそうだろう。何にしたってわからないものはわからない。当たり前だ。
でも、経験したことがないなら、想像してみればいいと思うわけで。
想像したって本当のところは理解できないだろうけど、それでも想像してみるというのが自分にとっては至極当たり前だったので、言ってみれば「“経験したことがないことはわからない”とあっさり放り投げる気持ち」こそが、私にとっては「どんな感じかよくわかんない」のかもしれない。

想像してみることは必ずしも意味があるとは限らない。
決して難しい作業ではないのだけれど、ついついやり方を間違えてしまうし、間違えていなくても正しく作用するとは限らない。
それでも想像することは大事なことなんじゃないかと今までずっと思ってきたしたぶんこれからもそれは変わらない。
相手の気持ちになってみる、ってことは相手を自分の都合のいいように解釈することではもちろんなくて、自分の感情を押し付けることでもなくて。
その人がどんな思いで行動したのか。
どんな状況でどんな経験をしてきたのか。
どんな思いで発言したのか。
いくら考えてみたところで結局当事者以外にはわからないのかもしれないけれど、それでも、ほんの少し考えればわかりそうなことはいくつもある。ほんの少し想像してみれば、相手に対して今こんなことを言うべきじゃないするべきじゃない、そのくらいのことはわかる。それはむしろわかるわからない以前の、至極常識的なことに思える。

相手の発言が自分にとって不愉快だったとしても、相手のおかれた立場を考慮したらこちらが抑えるべきという場合もあるんじゃないか。
相手がどれだけ混乱しているか不安でいるか苦しんでいるか、少し考えれば分かる筈だ。そんな状況で万人が満足するようなことを言えっていうのはあまりにも酷だ。ましてや自分の不愉快さを相手にぶつけて更に傷つけるなんて論外だ。
どうしてこんなことができるんだろう。どうしてこんな話になってしまうんだろう。その議論が正しくても正しくなくても、今言うべきこととは到底思えないのに。
傷口に塩を塗るようなこんな話が「常識」としてまかり通ってしまうのだとしたら、と考えると鳥肌が立つ。
それは相手を武器で脅かすことよりももっとずっと、恐ろしい。



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