”BLACK BEAUTY”な日々
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Boogie
自民党の総裁候補がより具体的になってきたというのに、我がバンドは未だ明確な候補者が決定せず、ソフト君との無為なスタジオを重ねていくばかりだった。
これはソフト君に対し、失礼極まりない行為だ。正式メンバーである事を一切告げず、俺とベーシストのかすかなモチベーション維持の為だけにスタジオに入っているにすぎないからだ。
ある時、一人のドラマーが心に浮かんだ。
そのドラマーはこの日記を読んでいてくれて、かつて俺にこんな質問をした。
『俺は仁さんのバンドの何番目のドラマー候補者なんですか?』
あるいは、こうも聞かれた事がある。
『俺じゃダメですか?』
そのドラマーの名は吉田昌弘。現在、風林火山、タイガーバンドでドラムを叩いている。先日ライブを行った自慢☆毛のドラマーでもある。
吉田氏に大変失礼な事に、俺は彼のこれらの質問は完全なギャグだと思っていた。 だが、その逆の可能性もない訳ではない。俺は思い切って彼にメールを送った。
すると間もなく返事がきた。
「だーからずーっと言ってたでしょ。とりあえず音源を聞かせて下さい。俺もまだまだ勉強したいんで」
ここから先は話が早かった。渡した音源に対し吉田氏から「カッコイイです。リスペクトします」という評価を貰った。
そして、風林火山の打ち上げの席で吉田氏と活動条件について話し合った。
俺は「バンドを組む」という事は3ピースのバンドであれば、3者がそれぞれ残りの二人と契約を締結する事と近似だと思っている。
契約の内容はごくシンプルな「自分以外のメンバーの楽しみを決して奪ってはならない事」だ。
俺はギターを弾き、歌を歌う。この行為は当然、一人でも可能である。 しかし、そこにベース、ドラムが加わることでその「楽しみ」は倍加する。 同様にベーシストもドラマーもバンドを組む事によって楽しみを倍加させていく。
そうであるならば、メンバー各人は決して他者の領域を侵しては決してならない。
この事を前提に、吉田氏と下記のように活動の方向性を決めていった。
1.スタジオ、ライブの入り時間を厳格に守る事 2.スタジオ練習は日曜日とする事 3.ライブは月一回とし、土日祝祭日に限る事 4.自分のバンドへの不満、悪口をメンバーのいない場所で漏らさない事 5.逆にメンバーへのダメ出し、要望はスタジオ内かミーティングの席のみで表明する事。 6.バンドの精神的一体感が演奏面に具体化される、即ちバンドの演奏にグルーブ感が醸成されるには少なくとも1年以上の期間が必要である事を認識する事。 7.スタジオ、ライブ等のスケジュール管理は各人が責任を持って、かつ迅速に行う事 8.スタジオのエアコンは入れない事
以上、8を除けばごくごく当然の事項をお互いに確認していった。 なお、8については吉田氏のバンド哲学に由来するもので、詳細は別の機会に話そうと思う。
まず、3について。バンドのクオリティーを図る際、「月あたり、あるいは年あたりのライブの本数」を基準とする姿が見受けられる。 俺も25歳頃の頃、この法則に則り、「我々こそ真のライブバンドだ」と思い込んでいた。 けれど、どんなにライブを重ねても、動員は増えることはなく、自腹を切ってのライブを繰り返すばかりだった。そして累積する赤字は5年後、10年後の自分達への先行投資と考え、自分達を半ば強引に納得させていた。
しかし、この事実はバンドのモチベーションをじわじわと低下させ、1回あたりのライブのインフレ化を招いた。自分達のライブに対する需要を供給が大幅に上回っているのだから当然の結果である。
今になって切実に思うのは、もしあるバンドがメジャーを目指すならば、まず問われるべきはバンドの動員力であるという事だ。動員力はそのバンドの商品価値そのものだから、それが高ければ高いほどバイヤーである音楽事務所、レコード会社との接触の機会は増えていく。しかも現在は音楽業界は不況の真っ只中にある。かつてのバンドブーム期のように「日本のロックシーンを育てていこう」などという余裕はどこにもない。シーンなど関係なく、リスナーはロックだのポップスだのといったジャンル分けに無関心となり、「大衆が好む音楽=良い音楽」という構図が完成しつつある。
今、25歳に戻れるならば、当時とは全く異なる戦略をとったろうにと思うのだが、そんな事を並べても仕方のない事だ。
俺は当然の事だが、プロ志向ではない。また30歳を超え、「最小の投資で最大のリターンを狙う」一人の経済人としての知恵も身につけた。
だからこそ、ライブは月1回を限度とし、観に来てくれる仲間、友人達に常に新鮮なライブ空間を提供できるようにと考えた。
また、6についてだが、これを実践できているアマチュアバンドは俺の知る限り美穂ちゃんが参加している「ダニー」だけである。2回ほど観させて頂いたが、自分の甘さが嫌というほど身にしみる素晴らしいライブだった。 多くのバンドがバンドの精神的一体感を演奏に反映させる事に無関心でTシャツ作り、音源作りに励んでいる。これでは精神的一体感を客に押し付けているだけだ。そしてグルーブの感じられない演奏が収録されているCDを誰が買うというのだろうか。
以上、こんなにも当然な事を守れない人間とは彼にどれだけのスキル、センスがあったとしても俺は組もうとは思わなかった。
事実、「あと2回のスタジオ練習でライブができる」と豪語した方もいたが、それはライブではない。ただ記憶した曲を演奏したにすぎない。それをライブと称するのは思い上がりにもほどがある。よって丁重にお断りさせて頂いた。
さて、ここまでの経緯から、次のような推論が成り立ち得る。
『そうか、あいつは吉田氏のドラムが欲しいが為に、自慢☆毛にあれほど肩入れしていたのか』といった類の話だ。
タイミングを考えればそう思われても仕方ない。実際、俺が自慢☆毛のライブ告知をしているのを訝しく思っている人がいる事も知っている。
だが吉田氏は俺がたとえどんなに自慢☆毛に尽くしたとしても、渡した音源のクオリティーが彼を満足させるに至らなかった場合、即座にNOと言う人である。 従って、もし彼がNOと言ったとしても、感情に訴え、説得を試みようとは全く考えなかった。答えが分かっていたからだ。
「それはそれ。これはこれ。」バンドへの協力と加入要請、両者は全く別次元の話だからだ。
それでも吉田氏の加入には何らかの感情、例えば俺の音楽活動復帰に協力したい、等の感情が働いたと思う方もいるかと思う。
なるほど、ある意思決定を下す際、感情を全く介さずに行うことができるほど、人間は器用な生き物ではない。
では、俺は俺の音楽活動復帰に協力してくれた吉田氏の差し出す手を強く握り締め、涙を流せばよいのだろうか。
それはある種の「美談」となり得る。しかしその瞬間に吉田氏はバンドでドラムを「叩く」のではなく「叩いてあげる」立場に変貌を遂げる。
吉田氏は俺の復活だとかその為のサポートだとかの類の発言は一切しなかった。
それは、彼が「叩いてあげる」などといった思い上がりをこれっぽっちも持っていなかった事を意味する。彼は俺が俺の為にギターを弾くのと同様、彼はあくまで「自分の為に」ドラムを叩く。そうあって然るべきなのだ。
これでもなお、何らかの疑義を思う方は、この話を肴に酒でも飲んで欲しい。 この酒の肴は幸い食べ放題のうえ、無料である。存分に楽しんで欲しい。
ただ、俺達は仮に何らかの揶揄を耳にしたとしても、心がピクリとも動揺しない絶対的な自信がある。
何故なら、その程度のプライドなど、悪いがとうの昔から持ち合わせているからだ。
業を知れ。後はやりたいことを真剣に楽しむだけだ。
『SISTER RAY』
G/Vo 石川 仁 B 大橋昭一 Dr 吉田昌弘
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