スナックおのれ
毛。

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■ 衝撃!生リポート!「四半世紀を生きて」。

誕生日を迎え、生まれて四半世紀がたちました。まどろっこしい言い方ですみません。25歳です、25歳ですわ。これがなかなか考え深いもんで、向かえることに心構えをしてしまいました。二五年。母親にも言われましたが、大きな病気もせず、よく生きたもんです。当初は、23くらいで死ぬつもりだったんですけれどもね。今となっては笑い話です。話をもどして、25歳。考え深い理由は、1/4世紀、と言うことに他なりません。

いくら人が長生きするようになったといっても、一世紀をいきるのはやっぱり稀な話です。日本人の女性がだいたい80歳くらいまで生きると仮定すれば、私の場合、残すところ、今までの2倍くらい。そう考えると、短い時間です。働いたり、遊んだり、呆けてたりすると、時間なんて余りあるくらいに感じられてしまいますが、こうしてじっくり対面してみると以外に少ないと気付きました。まだ行ったことのない場所や食べたいもの、やりたいこと、成し遂げたいこと、すべてできるのだろうか、とても不安に思います。

阿呆な話。最近、自分なんていない方が世の中的にはいいのか?と思うことがあります。笑えない話なので、本当に馬鹿だなあ、と思います。あ、別に不幸せってわけじゃないですよ。めげてるんでしょ、単に。ほんと、つまんない話。

明日が始まります。今日の終りに明日が続いて、明日の終りにあさってが続く。当たり前の話だなあ、と思いますが、その先に死ぬ自分がいる。もちろん、その間に人との別れだとか、死だとか様々な出来事も保有してです。私は、残り2倍です。今、私がいると言うことは、私の最後があるということです。これまで、死んでしまった人を見たけれど、死ぬ間際の気持ちを予想をすることもできません。自分がどんな気持ちで死んでいくか、例えば、それは今の自分を仮定しても想像がつきません。

先日の取材の折、「今、死んでも後悔はないなあ」という人がいました。羨ましいと思う反面、動揺しました。死んでも後悔はない。よく考えると、たぶん、私もない。むしろ、安心するかもしれない。でも、自分が哀しいなあ、と思いました。その人とは、多分違う考えです。けれど、私はもっと生きることに貪欲でありたい。本来、自分が目指す人間としては、あれもこれも、と思えるくらいにやりたいことがいっぱいあって前向きな方が、なりたい自分、なんじゃないかな、と改めて思ったわけです。

どう考えても、あと2倍。私はなにを成せるのか。どこかから、「成す」とかかんがえるな、こわっぱが!という声が聞こえてきそうですが、やっぱり私の根っこ部分が謙虚な人間ではないから、そう考えてしまう。そう考えなきゃ、毎日の活力がかけてしまう、哀しい自分が、まだいます。これから、長いのかな、短いのかな?幸せなのかな?どうなのかな?

2002年06月30日(日)

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■ 梅雨VSワールドカップ

梅雨が嫌いです。雨でジトジトする、カビが生える、黒い来訪者がよくやってくる等、様々な梅雨嫌いの要因が思いつきますが、私はさむくて嫌いです。せっかく下ろしたタオルケットも、Tシャツも、もはやその心地よさを発揮しない。下手をすれば、しまい込んでいたジャケットや毛布を取り出す始末。せっかくきれいに洗って、意を決する思いでしまいこんだのに、この仕打ちはひどい。
かといって、季節に文句をいっても仕方がない。雨音に一層、気が滅入るだけです。なので、私はこの梅雨をどう楽しく過ごしてやるかを考え中です。それが唯一の反抗だと思うし、それしか方法がないから。でも、世の中の人々は今年の梅雨は少し忘れているんじゃないかな。ワールドカップなんてお祭りがあったから。まだ終わってはないけれど、いよいよ今週末決勝戦だそうじゃないですか。私もそれを見て、少し梅雨を忘れようかな。忘れられるかな?


2002年06月27日(木)

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■ 芥川龍之介に関する追憶

なぜか、高校に入学するや否や、私の親しい友人たちは芥川龍之介を読み始め、太宰にも手をだし、「カンダタがどうの」だの、「人間失格がどうの」だのという話をしはじめた事がある。もともと、彼女たちは自分たちを他の思春期の者どもと差別化をはかるために行っていたことだった。しかし、彼女たちの文学談義は、その枠を飛び越えて、なぜか芥川の顔と太宰の顔を比較し始め、私はと言えば、そんな彼女たちになんとなく鼻じろんでしまった、そんな記憶がある。
当時の私は、女子の帳尻併せのために努力するなどということに、すでに飽きていた。だいたい、すでに高校の違う彼女たちとつながりを持っていた理由は、そんなことがあったにもかかわらず、やっぱりそこにいくのか、という諦めのような気持ちと女子の交友に関する落胆のものが漂い始めていた。
高校時代の友人。実に私の交友関係は狭い。今も付き合う友人はいるが、その人数はひとり。クラスに目を向ければ、明らかに恋愛談義に華を咲かせる女子とネクラなクラスメイト、そして、そのふたつからはみ出てしまった者たちがいた。私は、校外で付き合う先の文学談義の友人と付き合いながら、ともすれば恋愛談義に走る輩、ネクラ、はみ出しぐみをわけもわからず、飛び飛びで掛け持ちすることになる。おそらく、一番中途半端で可哀相だったのは私自身だろう。
芥川龍之介に関しては、今だにそのページを開いたことはない。そう、私は文学談義の友人に影で反抗するため、ドフトエフスキーの「白夜」を読んだ。難しい文章にめげずに、一応、すべてに目を通せたのは、そんな反抗があったからかもしれない。



2002年06月24日(月)

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■ 黒い夏の使者。

大嫌いで、ある。黒くて、羽がついてて、手足が6本、気がちょびちょびっと生えてて、爪があって、光沢があって、人の目以上に鋭い目線を持ってて、時には飛んでみたりなんかして。もう、ひどい!の一言しか言えません。

でも、外で会う分には大丈夫だったりするんですよね。たとえば、森で樹液を吸っていたりして、あらあら森の掃除やさん、がんばってね、なんてちょっと応援しちゃったりして。でもね、森で見るのと家で見るのとでは具合が違います。

動物にはテリトリーってものがあるでしょう?同じ種族間だけじゃなくて、それは住み分けってカタチで異種族の間にもあるものでしょう?それなのに、奴は平気なカオして、入りこんでくるでしょ。「よ、まいど!」くらいに小粋にのっそりと、そして、ひっそりと。そりゃあね、もとは人間が森を切り開き、川をせき止め、色々な動物の住みかを理不尽にも奪い取ってきた、ごめんね。でもね、奴は入ってくるでしょ。いけしゃあしゃあと。本当は棲家は森にあるにもかかわらず。

要するに、嫌いなんですね。私。家にやってくる奴らが本当に嫌いなんです。そのうち、卒倒するくらいに嫌いです。でも、それは、こんな話からきているものかもしれません。
「原子爆弾を落としても、ゴキブリは生き残る。」

そうです。奴らは、人間なんかより、ずっとずっと強い生き物なのです。

2002年06月23日(日)

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■ ゲロを踏んだ。

ゲロを踏んだ。
うんこを踏んだら、ウンがつく、なんて憂鬱でいながらもおもしろ半分なレジェンドのひとつにでも仕立て上げられるけれど、いかんせん、ゲロじゃ洒落にもなんないし、なんにもつかない。オマケのようなヒールの靴が滑って、その後はペタペタ、ホームにくっついた。不愉快。

ゲロを踏んだ。
飯田橋、午後11時53分のこと。私の黒い靴には、嘔吐物が接近。もし、足に鼻があったら気付くことのできた、この災害の前兆も、1m60cm離れた頭部付近の鼻では、認めることができず、被害甚大。無念。

ゲロを踏んだ。
東京都内では、糞の�

2002年06月19日(水)

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■ ゲロを踏んだ。

ゲロを踏んだ。
うんこを踏んだら、ウンがつく、なんて憂鬱でいながらもおもしろ半分なレジェンドのひとつにでも仕立て上げられるけれど、いかんせん、ゲロじゃ洒落にもなんないし、なんにもつかない。オマケのようなヒールの靴が滑って、その後はペタペタ、ホームにくっついた。不愉快。

ゲロを踏んだ。
飯田橋、午後11時53分のこと。私の黒い靴には、嘔吐物が接近。もし、足に鼻があったら気付くことのできた、この災害の前兆も、1m60cm離れた頭部付近の鼻では、認めることができず、被害甚大。無念。

ゲロを踏んだ。
東京都内では、糞の類よりもよく発見しうるこの汚物は、「犬の糞、お断り」のように大々的に非難されることもなく、その存在をひっそりと、そして、赤裸々に道端にホームに建物内に、車内に身を曝す。

ゲロを踏んだ。
かつて体の一部を更正しうる工作員の一部であった、この細胞予備軍も今や、人体に入ることもかなわず、私の靴に踏みつけられて、個々の小さな極小の小粒細胞を撒き散らして、人工物の上に堆積する。

そして、いつか東京の土はすべて、人の体内に入ることの叶わなかった哀しき第三者的な動物の植物のちりじりの破片によって構成しうることになるだろう。

2002年06月18日(火)

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■ セレクトインキムラヤ・リニューアル。

新橋界隈で働く私としては、帰路にあって嬉しいのがセレクトインキムラヤ。しかしながら、先日まで改装中とあって、なんだか寂しい気分の帰路でした。ところが、今日、ふと見てみると新装開店・リニューアルオープン。見た目はさして変わらないけれど、中身はいささか変わっているっぽい。よって、夜の楽しみであるサロンパスの類も切れていることだし、寄ってみました。

まず、以前、1階部分にあった化粧品の類がB1Fに移動したことがわかりました。1F部分は薬コーナーに大変化です。ところが、それだけではなかったんです。実は1F部分では、輸入食料品まで売られるようになっていたんですね。帰りが遅いわたし的には大変嬉しいことですが、実際、ここで大きな買い物をしてしまったら、大崎の家までの道すがら、困窮することは必須。間違って、ポン酢やオリーブ油の類でも買おうものなら、既に可哀相な様相を呈し始めた私の鞄は破壊宣告を免れないでしょう。しかしですよ、私ね、食料品とか買い込むの大好きなの。オリーブ油なんて398で売ってるの。これはこわいことですよ。鞄はこわれるわ、財布には穴があいたようにお金をおとしていくわ。恐ろしい。

便利になるのは大変嬉しいことですが、それによって直面する経済問題を無視するわけにはいきません。これからは、いかにその誘惑に勝利を収めるかが問題になっていくことでしょう。

2002年06月17日(月)

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■ 観覧車から見る観覧的内情。

珍しくアクティブに過ごした土日。土曜日なんぞは葛西臨海公園に行って参りました。端では葛西が好きだ好きだと言っている私ですが、実は3年ぶりくらいの来訪。公園自体はあまり変わっていませんでしたが、大好きだった水族館が少し変わったような気がします。以前の記憶に寄れば、一番始めにラッコとかの水槽があって、水槽の中に通したパイプ・エスカレーターもあったはず。もしかしたら、恋する宝島の水族館と交錯しているのかもしれませんが、なかったんですよね。最後の方にある潮溜りエリアも小さくなって触れなくなっていたし、お楽しみ部分のアテがすべてはずれてしまいました。

しかしながら、水族館で過ごした時は四時間。ゆっくり全部の水槽を眺めて、そこに書いてある説明書きを読んで、最後には資料室でビデオ2本を観賞。もちろん、その日に開催していたオリエンテーリングにも参加。記念品の絵葉書までせしめましたよ。(いらないけど)入場料の700円は、優に取り返すことができたかと思います。

帰り、公園をブラブラした後、葛西臨海公園のシンボルともなっている観覧車に乗りました。私、子供の頃から観覧車って苦手なんですけれど、ついつい国内最大級ってフレーズとか、対岸に見えているディズニーランドが気になって乗っちゃったんですよね。案の定、そわそわして始終落ち着きませんでした。落ちたらどうしよう、という疑惑の念ばかり込み上げてくるんです。曇りの日とは言えど、腐っても地上120M。そりゃあ、遠くまでみえましたよ。人間なんてコメツブです。それを見て「高いねぇ」とか「あの駐車場はなにかな?」とか、上っ面な会話を実に饒舌に話す私。そうでもしてないと、不安でたまらなかったんです。でもね、隣の家族連れとか、さも楽しそうに乗っているんですよ。「○○ちゃん、ディズニーランドが見えるねぇ」とかそんな会話が聞こえてきそうなくらい、楽しそうに。それなのに、なんでしょう。どうやら、同席者も私の不安に感染した様子で、私の乗っている観覧車には重苦しい空気がたちこめています。いっそ、観覧車じゃなくてジェットコースターだったら良かったのに。そんなことを考えました。

どうやら、私は人の作ったモノに対して、信頼を置いていないみたいですね。しかも、観覧車の場合、乗っていると動いているか動いていないかわからないくらいのスピードで進むもんだから、余計に不安は募ります。不安をもったまま、じりじり動くものに乗るもんだから、どうもいけない。きっと世の中の人の多くは、人の作ったものに対して、無条件で信頼できるから、はしゃいでいられるに違いない。そう思ったら、何事にも疑ってかかる自分の性分がとても嫌になりました。

ああ、観覧車ひとつで気づいてしまった自分の内情。
ゆっくりゆっくりまわれ。

2002年06月16日(日)

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■ 2チャンネル、デヴュー。

結局、インターネットに馴れることのできない私。自分の興味のことを検索したりすることはありますが、自ら、おもしろいサイトをみつけてやろう、とかいう欲求がさっぱりないんです。だから、まわりの人の口からたまにでる「2チャンネル」と言うサイトに関しても、今だに1回も行ったことがなかった。でも、先ほど、ひょんなきっかけから訪問してみたました。・・・まんまですねぇ。人って相手が見えないと、こうも気をつかわぬものか。本当に無粋な社交場で、発見は「2チャンネル」のチャンネルが平仮名表記だったことくらいでした。
自分以外の人間と交わりを持つという点から言えば、インターネットだって、社会と交わりを持つところのはずです。でも、ゲームをやっている感覚そのまんまで、ソコに乗り込んでくる人がいるでしょう?顔が見えないから、どうせ1度しか接点を持たないから、身の回りの人間じゃないから・・・とか、色々なファクターがあってですが、衝動だけで行動できちゃうみたいで。そう言う面で、インターネットって、コミュニケーションツールになりにくい側面を持っているのかもしれません。私としては、インターネットって言う新しいコミュニケーションツールは、インドア派の救済処置になると思ってたんです。もちろん、行動派の人たちにも新しい発見とか、経験も含めてですけれど。でもね、マイナス面の助長作用の方が強かったのかなあ。インターネットで経済は活性化するなんていうけれど、結局、当の人間たちがぎくしゃくするんじゃ、ちょっと哀しいですね。

2002年06月15日(土)

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■ 青い国、ニッポンで。

町をあるいておりますと、たくさんの青い人に出会います。サッカーファンってこんなにいましたっけ?と言うほどの青人口。今年の夏は、青いTシャツなしには語れないって程の青Tばやり。ここまでいくと、犬に服を着せる現象と対して変わらない気がしてきます。とりあえずお座敷犬だからって感じで、とりあえず、ニッポンの若者だからねって感じが。

私ね、今日ひとつだけ、どうかと思ったことがあったんです。公務員がサッカー見てたらしいじゃないですか。山形県庁ではサッカー観戦が禁止されて、全国から苦情が寄せられたみたいだし。それってどうなのかな?かたやね、神戸でサッカー関連のプロジェクトに関わっている人は、「勝って欲しい」って感情と2位になって神戸で戦って欲しい職業意識から「勝たないで欲しい」って感情の間で揺れ動いていたワケですよ。最近、どの職業においてもそうですけれど、権利ばっかり主張して意識が少ない方が多いですね。特に公務員は、今の不況の世の中的には、「逃げ道」でもあったりして、ちょっと意識がたりないかな、と思うことが多いです。

かといって、今に始まったことじゃないんでしょうね。実際、50代くらいの方でも気薄な人が多いくらいですから。でも、そんなこと言ってたんじゃ、いざとなった時にたよりになんない。例えば、なにか災害があった時に、私たちを助けてくれる公務員はほとんどいなくなってしまうような気がします。

「ソレとこれとはベツ」。
あ、そうですか。だったらいいんですけれど、あなたたちも所詮人間ですから、ある程度、意識持っていかないと、例えば、窓口で誰か待っているのに、サッカーで気もそぞろ、そんなこともあったんじゃないですか?

「公僕」。
企業人じゃないんです。企業人やその他の国民をプライベートまでを投げ打って、本当はサポートしていかなけりゃいけない職業なんです。自由なんて、制限されているんです。とてもつらい。自分を犠牲にして。そう考えると、誇るべき職業のはずです。でも、今、公務員が誇るべき職業でなくなってしまったのは、公務員ひとりひとりの職業意識の欠落に他ならないと思いますよ。

だいたい、一般人も「サッカー見せてやれよ」なんて、言わないで下さいよ。仕事そっちのけでゴルフやってました、ってな話題には食らいつくくせに。仕事やりながらサッカー見てました、ってのも被害の大小だけであんまり買わんないと思うんですけれどもねぇ。

なんにしても、みんなサッカー馬鹿になりすぎです。老いも若きも好きも嫌いも、みんないっしょになって。確かにね、どんな理由があったにせよ、団結することは良いこと。同じニッポンジンを意識できるなんて、嬉しい。ニッポンのアイデンティティの復興です。でもね、このサッカーフィーバーがすぎたら、なくなっちゃうんでしょ?一時だけの騒ぎたさ、自己満足だけのために徒党を組むなんて、少し違う話じゃないのかな。
なんにしても、これがきっかけでそう言う方向に行くとしたら、私は嬉しいけれど、どうなんだろう。結局、フィーバーだけで終わっちゃうんじゃないの?日々の忙しさと雑踏と怠慢にまぎれて。

2002年06月14日(金)

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■ ベッカム人口爆発の危機に際して。

ベッカム・ヘアーが増えています。いや、増えすぎています。最近、1日に2人は見ます。これはすごい確立だと思うんですよ。だって、女の人が流行の髪形を気にして、同じ場の人とバッティングするのはよくある話。でもね、男の人のヘアーでは、そうはないでしょう。だのに、現在のベッカムヘアー増加、もしくは、にわかベッカム人口の爆発を見ておりますと、そんなバッティングもありえないことではないはずです。

このベッカムフィーバー。その被害の予兆はすでに出始めています。例えば、今朝、私が電車で見たベッカムは、ちょっぴりハゲ気質の方で、せりあがった頭髪のサイドが少し透けて見えていました。あのヘアーは、真中を隠せると言う利点があるようですが、いかんせん、サイドを強調してしまう。なおかつ、本人が鏡で顔を覗き見る程度ではわからない。「もてたい」、ってのはわかるんですけれど、ベッカムの力に頼ろうとすると、不具合がでるみたい。そして、それは思わぬ勘違いを生み出しているみたい。

ところで、最初にベッカムヘアーのバッティングの話をしました。それでも、別にいいじゃんん、好きにさせてよ、と思う人もいるかもしれません。でもそれは、個人のパーソナリティの欠落を意味するんですよ。たとえば、コンパ等で男性全員がベッカムだった場合。女どもが「私、左のベッカム」、「私は真中ベッカムかな?」、「えー私も真中のベッカムが、イイ〜」と言い出す。個人のパーソナリティ。それは生まれてすぐにつけてもらえた名前が基本にあります。名前を失うことは、「あなた自身」を無くす、ことにつながりかねません。

そもそも、私たちが日本人でいる限り、ベッカムにはなれません。あんな長身も青い目も、金色に輝く髪の毛も手に入るわけがないのです。もちろん、それは人工的に作り出すことはできますよ。脱色してカラーコンタクトつけて、白いシューズをシークレットブーツに改造して。子供だったら、「別歌夢」なんて名前つけて。でもね、それでいいのか、と。キムラタクヤぐらいで満足しといた方が無難だぞ、と。私は思っておるのです。

「別歌夢」ってよ・・・。

2002年06月13日(木)

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■ 社会と資本とがんばる人と。

がんばるって辛いなあ。
辛いのに突き進んでいるから、がんばっているわけで、
苦にもしてないのに進んでいても、がんばったなんて言えないし。
かといって、がんばりを計る単位なんてないわけで、
それでいくと、がんばりは比較するものにもとからできてないわけで。
なにはともあれ、がんばっている最中の充実感なんて、
自分の中にしか見出せないし。
がんばったからいいじゃないか、なんて言われても、空虚感が残るだけで、
要するにそれは、負けを認めろと、宣告されていることと変わらなかったりするし。
やっぱり、勝たなきゃ駄目なんですね。
人間は群れる生物で、助け合う生物で、
そうなると、社会主義が私たちの道徳に一番近いものですか?
資本主義は私たちの本能ですか。
結局、どっちにも無理があるくせに。

2002年06月11日(火)

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■ 敵を増やす2002

 手前味噌はギャグになるまで、としている。

 そもそも、インターネット上はユルイのです。
 こんな私でもこうしてHPを立ち上げて好き勝手できるのだから、
 そう、ユルイ。
 でもね、いつ別れるかもわからない彼氏の話をしてどうなるの。
 そんなにわかってもらいたいの。
 わかってくれる人がいないの。
 ああ、そうなの。

考えてもみて下さい。HPを立ち上げるってことは、道端に店を立ち上げるってこ とに似ているんです。コンテンツは、たとえ売っていなくても商品です。なのに あなたはそこで、自分の恋愛事情を曝すのか。ノロケですましてしまうのか。確かに需要はあるやね。同じことをしそうな人たちが集まってきます。でも、ソレは結局、なんの足しになるというのでしょう。

 恋愛軸で生きている人がいますね。
 私はそう言う人を理解はするけれど、そうはなりたくない。
 「恋愛は素晴らしい」
 理解しているけれど、それだけに生きるとなると自分が哀しい。
 それだけにしか、自分を見出せないなんて哀しいじゃない。

じゃあ、泣きつくな。恋に生きるのなら、恋に生きなさい。だから、泣きつくな。結果をきちんと受け止めて、すがりつくな。そして、すがりつかれた人も
「かわいそう」
「がんばって」
なんて、遠いところから近寄ろうとするな。
所詮、ネット上の関係はネット上の関係。
「ネットがなかったなら、会えなかった」なんて、「同じクラスにいてもきっとはなさなかったのにね」なんてことにつながりかねないのですよ。

馬鹿なことはやめて、明るい道を歩みなさいよ。

2002年06月10日(月)

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■ 奮闘、憤怒。

 もともと、気負っては行けない性格、気質、ではある。
 でも気負いと言うものは、哀しいかな。
 いつの間にかしてしまうもので。
 仕方がないじゃん、と考えたところで、いかんせん。

 ここのところ、おかしい。

 どうも具合が悪い。

 そうも言ってられないという思いがより気負いとなる。 
 確かに。

 緊張感がない性格だと言われる。
 しかしな、いつも私が緊張してたら、ボロボロなのですよ。
 それにくらべりゃ、緊張感なくしておいた方が物事がとんとんとんと進むワケ。

 楽しめるうちが、私が私でいられる時なんて、
 社会人、失格ですな。

2002年06月09日(日)

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■ 寝・ライフ。

今日は、まったくもって怠慢な、寝・ライフでした。
起きたら3時でした。でも、ココロの中では1時のつもりでいたのです。
いつも通りに起きたつもりでいたのです。
不思議です。
体の中のタイマーと現実のタイマーがおもいきり、ズレいています。
月曜日から金曜日まで、一応、まっとうな社会人として日本時間で生きているつもりですが、なぜこうも土日になると、いっきに異国時間に合わせてしまうのか。
おそるべし。

2002年06月08日(土)

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■ ねむいだなんて。

ねむいだなんて、言ってられないじゃない。だって、睡眠時間2時間程度で車に乗って、お客サンをまわって、駄目な先人のための伝票処理をする人がいるんだもの。私って、幸福じゃない。まだまだぜんぜん、自分で歩を進めて行く自由を与えられているじゃない。私、幸福じゃない。

いかんせん、日々の暮らし、仕事に埋没しておりますと、自分の享受している幸せが見えないことがありますね。「○○が、がんばっているから」とか、そんなんじゃなくて、もっと悲痛に私はいかんなあ、と思う瞬間です。もっとやらなきゃ駄目よ、と思う刹那の時です。人間、自分しか見えなくなっている時が1番、怖い。その通り。比較級で、幸福を計るつもりはありませんが、自分の不甲斐なさだけが、表層にプカリと浮かんで、ハッとします。

同じ歳で同じような時間を刻んでいても、私は、ずっと「子供」です。これが何年後かに解消されるとかいう甘い願いすらみえません。自分が何のために働くのか、働くことによって何が得られるのか、そんなことを考えている暇があったら、一心不乱に働くべきです。

でも、結局、馬鹿な私は、考えてしまいます。
働いた先には何があるのかな?
とりあえず、何年後かには東京にいません。

たぶん。

2002年06月06日(木)

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■ それまで話さなかった生きっ恥を、笑いながらはなすのは、もっと恥ずかしいみたい。

ついせんだって、私がココロを許している輩に恥ずかしいことを告白しました。言わなくても良いことだったんですけれど、言わなけりゃ、いけないような気がして、それを言わないでも、実践することはできたけれど、宣言しておかなきゃいけないような気がして、そんな必然のもと、ついに告白。いや、もはや吐露。

それはね、誰にも言わない方が良いって自分でもわかっているような、恥ずかしいこと。アレが欲しいなんて、私の中では人ピ人の扱いです。自分でも、そんな感情が表れたことに対して、今だに謎が解けないばかりか、困惑。困惑。ただただ困惑。自分がなぜ!?と、いう感覚。

でもね、もはや止められなかったんです。告白する前にもすでに、それ欲しさに私は2軒のCD屋をうろつき、買おうかかわまいか、迷っていたところだったんですから。これは、もはや時間の問題。後々、隠しておいたソレが(最初っから、江戸時代のドブロクが如く隠そうと決めていました)見つかってしまった場合、お互いの溝が深まってしまうと思ったので。

で、一念発起して告白。どうしていいかわからなくて、はしゃいで告白。不思議と気分は高揚し、なんだかウキウキ気分で告白。ココロのなかの温度は下がりっぱなし、でももはやあの高揚は何者にも止めることは出来なかった。

恥ずかしいことをはしゃいで告白した。それが、奴に真実を教えてしまったようです。「本当に欲しがってるんだ、コイツ!」。ギャグにもしようがないほどの恥ずかしいゲリラ的告白でした。おかげで、奴と私の心的温度のギャップはすさまじいものに。
ああ、でも、本当に欲しいの。だって、会社にいるときもふと、欲しいなあ、と思う自分がいるんですもん。でも、買えない。だって、とっても恥ずかしいもん。恥ずかしくて、もう耐えられなくて、ここに書いているけれど、どうしようもないでしょ。何が欲しいかは書けません。だって、はしゃいじゃう。はしゃいで、はしゃいで、サムい事実をさらけ出すばかりだから。

ああ、私の人生。生きっぱじ。

2002年06月05日(水)

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■ もうれつに。

最近、もうれつにつかれます。以前ならば、そんなに時間を労しなかった仕事に1時間、取られてみたりしてます。これはですね、実は会社と取引のある会社のシステムがガラリとかわり、そのしわ寄せ的なものがどどっと押し寄せているからだと思われます。通常、システムのバージョンアップと言いますと、人にやさしい、私たちが楽になるものと相場は決まっていますが、これが逆です。まるでお役所仕事かい!と言いたくなるほどに、使えないシステム。いやいや、これがですね、5年前とかだったら、画期的だったのかもしれない。けれど、現状、時間をむしゃむしゃと食らうこのシステムは、シエスタのあるような国ならまだしも、この日本においては、ありえないシステムです。

最初はね、馴れてないからだと思っておりました。実際、馴れてみて良い部分も少しだけあります。けれど、けれどですね、肝心な部分がすべて、駄目なんですね。笑っちゃいますよ、ハハ。疲れちゃいますよ、フフ。ってか、どうにかして。

2002年06月03日(月)

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■ ヘアースタイルの問題。

土日にそろそろ髪の毛を切らなければ、いいかげん社会人として、女として、人間としていけない、という危機感に襲われ、そのように時間設定して日々のよしなしごとを行っていましたが、やんごとなき事情が次々と浮上して、なすことができませんでした。

まず土曜日です。洗濯物に突然の断水。いつのまにか、アパートを代表して動いてしまった私は、大家に「あとで電話するから」とか「あとでまた、くる」と言われてしまい、家から出られなかった。しかも、その後には以前より決定していた、友人との約束。土曜日の昼下がりに、髪の毛を切る夢も服を見に行くこともかなわず、約束の時間までふてね。

日曜日。いつもお世話になっている下北沢の髪の毛屋さんまで行くのには、時間もないし、日曜日に行動することを私は好まないので、近場で住ませようと思いました。ですが、どこの髪の毛屋もいっぱい。明日、祭ですか?と聞きたくなるほどに、パーマ液に髪の毛を浸している女が多かった。くっそーと思いながら、近所の雑貨屋を散策、CD屋にとりあえず入店、そして、夕飯の買い物をして帰ったのであります。

なんか違う。どうも違う。そういえば、この間も「ああ、早く帰れるなあ」と思いきや、山手線が止まっていたりした。なんだ?なんだ?なんか運が悪いぞ。微妙に運が悪い。不幸まで行かない、このどうしようもない日常は、きっと運が悪いということ。こまったな。

2002年06月02日(日)
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