まったく日記ってのは気が楽ですね。これはエッセイのようですが、日記なので、もうノンフィクション、そして推敲なし。思ったことをそのまま書いて矛盾があろうがなんだろうが、終わり。 とまあ、昨日の日記のいいわけでした。
それはそうと、みなさん食べ物ネタが好きですね。数少ないリアクションは全部食べ物でした。おいなりさん とかね、パンとかね。トイレネタは駄目か。大事なのに。ほんと大事だよ。普通の状態とはなにか。面倒なことやロマンチックなことを考えている時、それは排泄の欲求がない時。人間はいっぱい溜められてよかったよねえ。お腹が痛いとき 「トイレ トイレ トイレ・・・エンドレス」の他になにが考えられますか。
あ〜、それはそうと弟たちが家を買うんだよね。もうびっくり。そりゃあローンさえ組めれば誰だって買える、というのは分かっていたけど そんなことはちゃんとしたオトナのすることだと思っていた。ちゃんとしてないのは姉だけだったんだねえ。ちゃんとならないのは、結婚してない ゆえになんとなくいつまでも○○さんちの娘、扶養家族(恥ずかしい・・・)と自分が一番そこに安住しているんだろうなと。
で、ことばというものは使われなくなると、すぐに忘れ去られるものですが、今日わたしは掘り起こしました。 わたしは オールドミス なのです。 老嬢ですよ! 毎日1冊アガサ・クリスティーを読んでいるおかげです。 まあ、20世紀初頭のことばに思えるので、このミスには結婚していない=バージンである、老いたる処女 という気持ち悪い意味合いもテンコモリのような気がします。「麗子像」のようなばあさんが浮かんでくるではないですか。
我ながらぴったりだ。そうだ、わたしはオールドミスなのだ。年増と呼ばれるよりはいい。小説ではたいていオールドミスは年老いて、親族の家に平然とやっかいになっていて、余裕のある親族はそれが当然の義務なのだけれど、両親なきあと弟夫婦はわたしを面倒みてくれるでしょうか。 そんなわけない。 ちょっと今一瞬でも考えちゃった自分が気持ち悪い。
物でも人でも なぜ 捨ててしまった 手放してしまったのか・・・ と後悔するものなんてない、と思っていたけど、ひとつだけありました。 本なんだよね。絶版になった文庫本ってのは古本屋でもみつからなものですね。 でも本気でネットを駆使してでも、再び手に入れようとは まだ思っていない。 いつどうやって、手放したかは覚えてないけど、これはもう捨てよう とはっきり決めて処分したことは覚えています。それにしがみつくのがもういやだったような、そういう部分を捨てたいと思っていたような。
ブラジルの小説家であり映画人でもある人の自伝的要素の強い本 2冊なんだけど。買ったのは小学生の頃。どこの本屋で買ったかも覚えている。何十回も読んでおとなになって何度ひっこししても持ち歩いていたけど、いつだったか自分で捨てた。不思議なことにどう処分したかまったく覚えていない。たぶんゴミとして捨てたんだろう。捨てる前の日の夜にこの2冊を読んで、その前の何十回かと同じように 泣いて泣いて でももう捨てようと決めたんだった。
”おとなは自分で太陽を暖めることはできない” 最後のフレーズに とうとう そうだ、と思ったのかもしれない。そして、あの白黒チェックのハンカチが ポルさんがゼゼの涙をぬぐってくれた、シュシュがリオに帰る船に港でふられた あのハンカチがほんとうに水平線の向こうに見えなくなった時だったのかもしれない。
わたしのことを ゼゼと呼んでください、でなければシュシュ もしくはグム。中学生の時にそう打ち明けられる友達がいたらどんなにか嬉しかっただろう。もしそんなgiftが訪れていたら、もっとゆっくりおとなになったんじゃないかな。
この話は 貧しい ということは辛い。貧しさゆえに笑ったり 夢見たり 優しくしたりできなくなってしまうから。そこからはじまる。そこから逃げる 抵抗するには小さな子供は想像力をつかうしかない。想像する力が強くなれば、早熟な子供にならざるをえない。自分の痛みで手いっぱいのなずの子供なのに、想像力ゆえに他人の痛みもわかってしまう。わかられてしまったおとなは辛い。早熟であることは子供にとって幸せなことではない。
でもそんなことはあちこちにどこにでもあること。だから、この話のどこがそんなに好きだったかといえば そんなことをわかってしまっている子供がわかっている自分をわかった上で 想像の中での 愛されること 愛すること の交歓の様子だ。 はじまりは 庭のスイートオレンジの木。ひきがえる。映画の中の紳士モーリス・シュバリエ。そして現実の女の子。それらを経て、わかっていても愛せなかった現実の家族の元へ帰っていく。 こうして書くと ほんとうに分かりやすい物語ですね。でも物語ではすべてのものが人間のように語り、ひきがえるも学校の先生も同じ むしろかえるか 重さをもつ存在として描かれている。すべてのものが語る言葉をもつ というのはわたし達にはむしろとても受け入れやすい安心する世界ではないですか? だから おとなになったら 庭にオレンジの木を植えよう と思ったし、かえるをみると、夜 枕元に尋ねてきてくれないか と思った。考えてみるとわたしのかえる好きは 大元はこの本なのかも。 ポルさんが死んで オレンジの木はなにも語らなくなったし、彼が女の子を好きになったとき、ひきがえるはさよならを言いにきたし、進路に迷い、リオに帰ろうとするとき、理想のパパ モーリスも去っていく。 現実 人間を選ぶ。その時 たしかに自分を暖めてくれていたものたちとの決別がある。おとなになってちょっと考えてみればそれらは自分の中にあったもの、作り出したもの、世界と交わろう伸ばした手だったのだとわかる。 でも もう おとなは自分で太陽を暖めることはできない。
とてもブラジル的。もう手が届かない。サウダージ。 ある時までわたしは オレンジやひきがえると語る言葉がすきですきで この本を繰り返し読んでいた。ある時、それらが失われる瞬間はもういい よくわかったからもう読まなくてもいい とこの本を捨てた。
いまは、手放したことを後悔している。でも、再び手に入れようとしているわけでもない。 金魚を飼い サボテンを育て かえるを自分のマスコットにして、人間を好きになろうと努力している。 怖い 醜いニュースに耳をふさぎ 世界を好きでいようとバランスをとっている。
わーい わーい 近所にパン屋さんができたよ。 新しいお店ができるのはいつでも楽しいものですが、大好きなパン屋さんだよ〜v
♪ 横丁の角から三軒目 不思議なパン屋さ〜ん 店番のおばあちゃん きっと魔法使いだよ ベーカリーって看板 きっとおまじないさ ふかふかほかほか ふかふかほかほか 不思議なパン屋〜
というポンキッキの歌がかなり人生 ベスト10に入るくらい好きな わたしは当然パン屋さんが大好きだ。パンが大好きだ。 今までどういうわけかパン屋さんが遠くて、つい山崎パンとpascoでお茶を濁してたけど、これからは毎日通っちゃおうv
とまあ、ここで終わりたかったんだけど、まだ味わってないんだよね。 開店翌日はお昼にいったのに、シャッター半分下りてて開店休業状態だし、今日はお昼少し前にいったのに、なんじゃあの品揃えは!ペストリー何品かと、ベーグルと食パンと・・・ お客さんいっぱいいるのに、みんな同じモノしか買ってない。だってそうだよ8品くらいしかないんだもん。しかもおやつみたいなものばっかり。 んがあ〜 店の前に花ばっかり並べてないで、もっと早起きして仕込みせんか! パン屋がお昼に間に合わなくてどうする。 職人さんが懸命にパンをこねてたけど、一人でやってんの?がんばってるけど開業するのにはちょっと早かったんじゃないの? と、プロフェッショナルの仕事に関しては辛口だよ。 腹が立ったので、山崎パンより100円高い食パンは買わずに、肉やのコロッケパンを買ってかえりました。おいしかった。
♪ 不思議なパン屋のショーケース 空っぽのショーケース なのに おいしそうな ショーケース〜
と、あの歌は続くんだけど、魔法のパン屋さんだからね。しかし現実のパン屋は 「もっと修行しろ。また来週も見にくるぞ。」
待望の松浦亜矢の新曲。 だめだった。もう あやや は終わっていた。っていうか つんく か。 あやや の掘り起こし もう飽きたの? 「ザ・★美学」 なんていうから期待してたのに。全然つまんない。秋冬ものだめなの? でも もう来年の夏は・・・
早い アイドルらしきアイドルなんて あやや しかいないのに、足が早すぎる。 このかんじ、むかし高橋由美子にも感じたわ。 そうか、この手は強力だけど、ピンポイント攻撃だからなあ。幅ひろげると、弱まりそうだし。 まあ、16歳くらいの奇妙に熱っぽい一時期を見せてくれただけで、良しとするか。
読書の秋。アガサ・クリスティ再発見の旅 なんて自分企画をはじめてしまい、どうしよう。何十冊あるんだっちゅうの。全部中学生の時読んだっちゅうの。 今回はスターシステム外のスパイものや単独長編ミステリーからせめていってるんだけど、同時に映像化されたものもビデオで全部拾おう、とサブ企画までたててしまったので、一日が40時間あってもたりない。 だいたい犯人は読んでいくうちにわりとすぐ思い出すので、じっくりトリックとレッド・へリングを文脈からさぐっていると、あっというまに朝になる。一日一作!連読禁止! でも12月までかかりそう。
| 2002年09月25日(水) |
ばあさんよりじいさんになりそうです |
わたしは街中でカップルをみるのが大好きです。にこにこと好々爺のように、ヨキカナ ヨキカナ ナカヨキコトハウルワシキカナ と見守ってしまいます。 あほっぽい高校生カップルでもにこにこです。ただし、あほっぽい会話が聞こえない程度の距離が必要です。特にあほどころか気持ち悪い声が聞こえないことが肝心です。あいつらの発音以上に発声が生理的不快感を呼ぶとしかいいようがないほど嫌いです。口呼吸的あの声が聞こえたとたん 死ね と好々爺から一転して呪いのことばを呟きながら立ち去ります。 あらあら。
さてさて、カップルの所作の中で一番好きなのは 手をつないでいる です。 手をつなぐ二人をみただけで、ヨキカナヨキカナ いいもん見せてもらってありがとうね、という気持ちです。 なんでこんなに好きなのかなあ。
自分ではあんまりしたことないなあ。恋人と歩く時でも(歩いた時でも)つかずはなれず が好き(だった)。肩をだかれたりまして腰を抱かれたりすると、歩きづらいのが先に立ってイライラしてしまう。(しまった。)あ〜、おぼれてのめりこむような恋愛をしたことないのがまるわかりですが。ははは。 どうしてか、手をにぎってくれる方とお付き合いしたことがあまりないので、わたしも自分から手をにぎるタイミングがよくわからないまま、いい大人になってしまった。いつも次にお付き合いするひとは手をつないでくれるひとがいいな、と思っています。チャーミーグリーン幻想でしょうか。
恋人にかぎらず、子供と親とか、兄弟とか 友達同士でも手をつないで道を歩く二人という図が大好きです。小さい女の子たちが手をつないでスキップしている光景をみちゃたりすると思わず ヨキカナ ヨ・キ・カ・ナ・・・ と涙ぐんでしまいそう。 「大好き、一緒にいこうね」の図。 群集の中の手をつないだカップルも 手をつないで買い物にいく兄弟も、周りの見知らぬひとたちのなかを、お互いに手をあずけて 一緒にいこうね、と無言で未知の世界に足を踏み込んでいく。 そのヘンゼルとグレーテルのような 稚さ おかしさ がたまらなく好きなのかも。いつも一人で がんばるもん と歩いているから、そんな二人が そうだよね、一人より二人のほうが怖くないよね、いいね 道連れがいるっていいね、にこにこ、あ、目頭が熱く・・・
日本では 大人になって手をつないで もう全然OKなのは ほぼ恋人限定だからなあ。わたしも決してスキンシップ上手な人間ではないけど、実はしたい。友達や親や恋人になるひととは 手をつないでおきたい。 amiの意識がなくなってからは、一方的に つまり相手の思惑を考えなくていい、と無意識に判断してたんだろうけど、ずっと手を握っていたのですが、多分ほかにこの横たわるひととの 話すことも見ることもしてくれないひととの繋がり 接点がなくなってしまったから。触るというのは最初で 最後の 人との繋がりなんだな、と。もったいない、元気な時にもっと手をにぎったりつないだりしておけばよかったと。そうすれば 握りかえしてくれたのに。 でもきっと 今 生きてそこにいても つながないかな。 自然にひとの手をにぎれる人、というのがわたしのあこがれ。
けだるい連休の最終日であった。この日も目覚めは爽やかでなかった。このところ涼しいせいか、眠くて眠くて 起きていてもだるくて眠くて店先でも自然と目が、 ”ロイヤルゼリー入り””タウリン2000�咫匹箸い辰進源�をおってしまう。 夏疲れか。やはり、夏のあいだ 夜明けの空をみるまでは眠れん たらなんたら無駄に夜更かししていたのは ただの夏躁であったか。
それにしても ロイヤルゼリーの他にもやけに ぼたもち が目に付く。秋のぼたもちフェア。西武の優勝とは関係なさそうだ。巨人か?決まったのか? 秋のわたしの頭の回路は接触がわるかった。素直に目に付いた物 ロイヤルゼリー入りカロリーオフドリンクと餡子と胡麻のぼたもち を買ってかえった。 こんなまずそうな組合せの買い物は普段ならしないけど、なにしろ接触が悪かった。 ごくごくっと飲んでぱくぱくっと食べて、さてお出かけするつもりだったけど、ゲイジュツを鑑賞する気力がない。洗濯物を持って実家に帰ろうか、そういえばママちゃんがお墓参りにいくから今日は留守にすると言っていたっけ、そういえばお盆は暑いからお彼岸に行くといっていたなあ、とここまできてやっと、秋のぼたもちフェア=お彼岸=おはぎ であることに気づいたのでした。
お墓参りにいくと、掃除して、お線香あげて おがんで さて、ともうやることがない。おがむのも、 「来ましたよ。元気ですよ。これからも見守ってくださいね。また来ますよ。」 と5秒で終わってしまう。やることがすんでしまったので、帰ろうかと思うけどあんまり早いのでそれもどうかと、特に連れがいると着いて10分もしないで帰ろうと言い出すのもどうかと、無駄にぶらぶらしたりなにか考えているふりをして蚊に食われたりしながら無理に時間をつぶしてみたりする。 お墓も仏壇もただの目印くらいに思っているので、真剣に語りかけたりはしない。ごあいさつ。挨拶は短めに。 世に中にはお墓参り好きなひともいて、母は典型的な墓好き記念碑好きなひとなので、わたしにも墓参りをすすめるけど、とりあえず黙っている。死んだひととの付き合い方は人それぞれよね。
実家に帰ってお風呂にはいってダランと伸びていますと、母が母姉からのお土産をいっぱい持って帰ってきました。お墓に水道が増設された、と墓好きは嬉しそうです。 お土産は、手作りの お赤飯とぼたもちでした。甘いか甘くないかの違い。もち米率100%。夕ご飯に両方食べました。手作りのもち米製品の重量感はたいしたものです。餅菓子屋さんやスーパーモノは 食べやすく うるち米が入っているのでぱくぱくっと食べられますが、手作りものはモギュモギュ噛んでも噛んでも もち米力は胃の中で最大限に発揮され、夜中には胃もたれで、ひとり起きだしサクロンのお世話になりました。実家にはわたしの信奉するキャベジンがなかったのです。 翌日もあんまりものを食べたくならない。体の中にまだもち米が詰まっているようです。いまいち信用のおけないサクロンをもう1回飲んでおきました。
おはぎなら昼間自分で買って食べたよ、と言えばよかったのに言わなかったのは、もしかしたらお墓参りに積極的でない後めたさか、なんだかんだいってお彼岸を忘れてないのね、と好意的に解釈されるのいやさか、自分でもよくわかりません。
トイレットペーパーの交換って好きなんだv 新品まっさきに使えてうれしいよねvvv
なんて奴は いない。
ラップのように、始めの切り口がはがしにくいとか、縦に裂けると延々と裂けてしまうとか、あわててると、逆巻きに付けてしまい、カッターに当たらず上手く切れなくて引き千切るとぐしゃぐしゃになるとか あげく背後からふんどしのようにぶらさがって床についたりして汚らしいとか、でも正しい向きに直すようなことでもないから放っておくとか、無事セットしたと思って引き出そうとしたらうまく芯がはまってなくてガチャンと落ちるとか、いろいろある。
いろいろあるけど、最大の理由は そういう結構気を使う何工程かあるわりと面倒な作業を大抵の場合 ”おしり丸出し” でやらねばならぬ、ということだ。 パンツを下ろす前に 「あら、ペーパー終わってる。交換しなきゃ」 といそいそと作業して、さてと・・・ なんて思い出す限りでは うむむ ナイワケデハナイ ガ オモイダセナイ。 だいたいホルダーの位置が洋和式とわず、座ってちょうどの位置にあるからちゃんと服をつけていても中腰での横向きでのいらただしい作業ではアル。
そう、大抵は座ってしまって、アラ紙がナイ と気づき ンモウ〜 とか チッ とか音をだしながら「なんで前の人全部使ったら交換しといてくれないんだよう」とか「なくなりそうだったら新しいのつければいいじゃんよう」 なんて自分は絶対しないことを見も知らぬ他人や家族や数時間前の自分に心の中で要求してみたりしながら おしり出したまましぶしぶ作業する。
生活の中の動作で お風呂でもないのに 生おしりを晒して そんな無防備な 大地震が今きたらどうしよう 早く本作業に入りたいのに(今回はそれほどせっぱつまっていない場面を想定しています)ああなんであたしだけこんな面倒な ああ生きるってカッコワルイ ああ人間ってマヌケだわ ああ etc・・・
ところで、 この人ちょっと許せないかんじよ、天罰よ くだれ 彼に呪いあれ な時、 「この先おまえの入るすべてのトイレのペーパーは切れていることだろう」 と思うとちょっとスッキリします。でも 「なんで俺ばっかり・・・」 とますますイヤなひとになるかもしれないね。
ああああっ! 今気づいたけど、もしかしてみんなは違うの?他の女の子は ンモウ〜 の後で1回パンツ上げたりしているの?!!!
どどどうしよう・・・ 恥をさらしただけ? いやっ いや いや 人間なんて 人間なんてしょせん そんなもんじゃないのぉ!?
(絶叫)
・・・・・・・・・・・・・・・・・幕・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この涼しいのに、大汗かいて、部屋の模様替え。 完成! ジャジャジャーン、と遠景で とは言っても2メートルほど離れてお部屋を眺めたところ、 「前の方がよかった・・・」
るるるるる〜 虚しいなあ。生きるって、なにかを形にするって、虚しい。 でも、もう戻さない。なぜなら、使いやすいから。 はああ、美より実を取ったわけね。 わたしは堕落しました。
でもね、「そうだおうち模様替えしたんだ〜」と思ったら早く帰りたくなったよ。 変化。小さな満足。うふふ。 でもやっぱり前の方がバランスがよかった。機能的(わたしなりに)って好きじゃないや。
模様替えなんて、簡単なのよ。ソトミを動かすぶんにはね。ナカミと溢れちまったものをどう処理するかだよね。 いっぱい不要物を捨てるぞ!と鼻息あらく 40リットルゴミ袋2つ用意したけど結局スカスカ。これが今回の敗因かなあ。 ナカミはほとんど、本と服と音楽テープ(90%内容不明)なんだもん。 本は、1月にいっぺんは実家に運び、クソ本をつかんだ と判明し次第図書館に善人ぶって寄付し、いつも本棚不要の量におさえているけど、だからこそ収納しにくい。
洋服はこの夏Tシャツ1枚しか買っていないのに、溢れて山をなしている。収納場所には いわゆる衣装がたんまり詰まっていて、普段着は山の上に布で覆ってごまかしている状態。 衣装は、ただ派手な服ではなくて、観ているひとにある印象を与えなくてはならん、という美学があり、かつ、ちびっこのわたしを大きく華やかにみせたいという意図もあり、何度もみても飽きないように、いろんな小道具もあり、かつ これはステージで使える!という確信を得られる服は、一期一会 絶対にその場でゲットし、またこの先10年使わなくても捨ててはいけない 同じものとは二度とあえない いつ、なにに使えるか分からない(その為仲間うちでは誰がどんな衣装を持っているか驚くほど知っているし、覚えている。一種の共有財産だね) そんなわけで、しまい場所にはいつ出番があるのかわからんようなケッタイなかさ張る服がつまっている。 普段着は、ものすごくお気に入りの服以外は買わないたちなので、同じ服を10年くらい(母に捨てろ!と言われても)着ることからなかなか減らない。 何年もこの問題に取り組み いっそいつも同じ服をきたらどうだろう、夏冬7パターン春秋兼用7パターンで、合計21パターンでいけるのでは・・・とアレンジを考えなくてもすむように、トータルコーディネイトで、全身虹の7色 かばんと靴は黒と茶と白、を実行に移そうと思ったこともあったのですが、同じ服って4色くらいしか売ってないのね。あと、素材による色の違いが気になる。 なによりも、考えてみたら、中間色が好き、柄on柄の和服的組み合わせが好き、柄同士を中和させる小道具も好き、グラデーション大好き モノトーン嫌い な好みでは もう頭の体操以外のなにものでもなかったのでした。 いいよ、毎日 山ほるよ。
テープはほとんどバンド用なので、普段聴いたりはしないものがほとんどなんだけど、これもみなオリジナルで同じ物は売ってないので、捨てられぬ。MD買わないの?とよく言われますが、お稽古や、確認には絶対テープがいいよ。
まあ、この隠れ家は基地みたいなものなので、これでいいのかもしれない。しかし楽器というのはみんな変な形で 収納とこれほど相容れないものもないね。 よっかからせる以外にない。ケースにいれて積んどいてもみんなへんに幅があってじゃまだ。倒れると ヒッー と冷や汗でるし。
いま、わたしの部屋には、ゆかた と インディアンの羽飾りと金ラメズボンとが一緒にぶら下がっております。
♪ 若い日はみな むむむむむ〜 むむむむむ〜 むむむむむむむむむ〜む〜 きっと なにかができる〜
あ・つ・い 心(思い か?) 燃やして むむむ(心 か?) む・む・む〜む〜 心はさわやかだ〜 ぼ〜く〜ら〜は〜 若い日はみな なにかを目指せ〜 勇気だして 自分をかえていけよ〜 それが青春なんだ〜
いっきに思い出したぞ! 思いだせてないけど。でもカンニングせずに書いてみました。
谷口キャプテン! また本屋で君に会えたなんて復刻版ブームとはいえびっくりだ。君の毎晩の神社での練習を忘れてなかったぞ。 おちょうしものの丸井・冷静なイガラシ・あほの近藤。みんな墨谷二中の主将だけど、ぼくらのキャプテンはやっぱり谷口さんだ。 谷口さんは今思うとなんと中学生なんだけど、いまでもやっぱりわたしには 原監督がハラ君のように 谷口くんは谷口さんなんだ。
わかってない?今回は放っておこうっと。アニメも良かった 上記はその主題歌だけど、地味な男性コーラスだったよな。エンディング曲も思い出したいなあ。 でも久しぶりに原作を読んだら、やっぱりマンガがいい。 コマが小さいなあ。ぎっしり人が描いてあるな。かっこいいキャラなんか一人もいない。中学生の地区大会なんだよな。天才もいない。モノローグも心理描写もない。でもスラムダンクと同じように読んで熱くなったよなあ。 弟がいたおかげで、子供の頃に熱い少年マンガをいっぱい読めてよかったなあ。 あ、キャプテン翼よりずっとまえだよ。キャプテン好きのわたしは、ライバル達より翼が好きだったけど、まあ小学校編までかな。 ちばあきお先生の「キャプテン」のメンバーはみんな特徴のない、ごろごろじゃがいもみたいな中学生だけど、でもちゃんと個性があった。
♪ 若い日は みな なにかを目指し〜 元気だして〜 むむむむむむむむむ〜む〜
だったかなあ。
育ち というものを考えました。 わたしは、性的な話が苦手です。嫌いとかじゃなくて、 「ひぃえ〜、やめてくれい」 つまり、たまらなく恥ずかしいのです。ほのめかす のはともかく、ズバリな単語は・・・、耳を塞いでパスさせてもらってます。 たぶん、羞恥プレイに ものすごく弱いはず。泣くかも。
同じように、生理的な話もあんまりしないです。 どちらも あまりにあまりに個人的な、生き物的な話が 駄目なのでしょう。 行為そのものではなく、そういうことを誰かと話あう、免疫が弱いのだろうと思います。 で、それはたぶん 育ちによるものではないかと。
わたしの根っこはいわゆる、下町のお嬢さん なので、大きくても小さくてもみんな一軒家に住んでいて、両親はだいたい堅気で、自営業が多く、親の働く姿をみながら大きくなって、みんな独立独歩で、よその家の事情にあまり興味がなく、お泊りしたこともほとんどなく、両親さえ、そういうことを匂わせなければ、いつのまにか自力で大人になっていく、という環境に育ったわけです。 そんな世の中にも、そんな世界だからこそか、よそのお兄さんという存在もあったわけで、そういうことを知るのは小学生の頃 かなり早かったとは思うけど、それでも それは秘め事 極個人的なことなのだ、というのが、クラスのだいたいの認識だったように薄っすらと思い出します。 だから、中学に入っての団地族の子供たちとの出会いが、人生最初のカルチャーショックでした。 彼らは、あからさまで それでいて自分達だけの言葉でしゃべっているようでした。その当時は彼らの方が大人っぽくて、自分たちが初心で子供っぽく感じたけれど、いま思うと、逆だったのではないか、わたし達がひどく早熟でませていて小さな大人のような心を持ってしまっていたのではないか、と思います。
その後 女子高育ちにまたショックをうけたりするんだけど、禁忌とまではいかなくても、ずっと男女ごっちゃに育ってきて、そういうことはつまびらかにするものではない、ひとには秘密があって当然だ、という意識はずっと後をひいて、今でもしっかりと残っているみたいです。
そこまでくどく言っておいてなんなんだけど、放出の快感。世間には 我慢するのがいい、とかいう人もいますが、喉をひらいて大声で歌うのも、オープンコードでジャーンと鳴らすのも、ブビッーとはなをかむのも、抑えずに、開放する というのは気持ちいいものざんす。 本日タイミングをのがし、我慢に我慢をかさね、ひさしぶりに危ない・・・ と上目遣いになりながらも我が家に辿り着き、開放 すべての筋肉がゆるんだ瞬間は、 「ものすごくモッテマワッタ言いまわしでしか書けなくとも、日記に書いておきたい。」 と思ってしまったのでした。 人間は一本の管なのだ。
いま、CD 50回リピート、自己賛辞と反省と憧れと理想と ブレインストーミング中。
ああ、BOYS! 男性コーラスは 素晴らしい! 素晴らしい! 素晴らしい!
いま20回目。自分の声の中音域にamiにそっくりな声質を発見。 そして、データエラー も発見。
シンクロ率。 デジタル。 音楽。 データ。 相容れないようなものでできている作品。 音楽は作品なのかなあ。 時間だと思っていた。
でも残したいという気持ち。
9/14 靴下記念日 寒さにたえかねて、とうとう素足をあきらめた日。 東京の涼しさを察してください。電気ストーブ投入も考えている。 9/16 土鍋記念日 ついに100円の誘惑に駆られた日。武者小路実篤風、野菜絵に魅せられた 感もある。なすの絵は絵になるね。誰でも描ける。失敗なし。
蛇足 8/31 「はしゃぐ」記念日 9/08 「爆笑」記念日
近いところの記念日。思い出せるのはこれだけ。 結構毎日、「オシロイバナ記念日」とか、「きつねうどん」記念日(暑いときはざるそば ばっかり食べてるから)「ADSL記念日」「ヘッドホンおニュー記念日」(これは地味にうれしかった)いろいろ毎日自分記念日を作成発表お祝い してるけど、3日もたつと日時は忘れちゃうんです。 あったりまえだけどね。これ紙媒体の日記だと、毎年の金木犀記念日の日時のずれとか比較できるんだろうけど、だいたい毎年感慨にふけるモノは同じだから、それはちょっと気持ち悪いだろう。 たとえ、毎年めぐるもの、花あいにたり でも毎年同じような感慨でも、人おなじからず でいたいじゃん。
今日は とりあえず、 「タブーショウCD完成記念日」 とします。今日わたしの手元に着いたからね。 タブーは2枚目です。ライブと違って手堅い歌いっぷりです。
でもなんだかんだいって、嬉しいよ。
”極東ブガルー” は好きだなあ。 ”楽園”は・・・ ちょっと泣いちゃった。深夜だから。
アメリカは幼い。とても幼稚だ。そして力がある。 アジアもヨーロッパもラテンアメリカもアラブもみんなこのBig Babyに振り回されている。 私達は知っている。ものごとには要因があって、それはとても入り組んでいて、諦めてはいないけれど、簡単にあれは誰が悪かったと言えないことを。 善は悪であり、悪は善になりうる。 ずるくたってなんだって、何百年何千年をかけてわかっている。同胞殺しの歴史を持たない国なんてない。認めたくなければいいけど、ユナイテッドステイツを除いてね。 被害者は加害者にだってなりうる。
そして あの力のある国はどうしてそんなに不安なんだろう。まるで、怯えているかのように執拗に叩きのめそうとしている。テロリストに殺される何十倍もが自分の国内で、つまらない犯罪で殺しあっているんでしょ。 自分は決して許さない。なのに、許さない相手が理解できない。 幼稚園の喧嘩みたいだ。
マスコミもね。劇的だよね。だから? なにが9.11を忘れない? 自分達ことは50年たって忘れた? 湾岸戦争だって忘れた。イラン・イラクだって忘れた。 8月がくるたびに、忘れた。 みんな大人でしょう。オブザーバーとして、言ってやることはたくさんあるんじゃないの?自分の痛い古傷をさぐられるのいやでもさ。
ものすご〜く自分の気持ちに疑りぶかい(イヤな性格・・・)わたくしは、まず、一目惚れなんてしたことないのですが、カッコイイなぁ、とか 好きなタイプの声だ、とか この人とは話が合いそうだなあ とか普通の感想を持っておうちに帰ることもあるわけです。あるんだよ。 1回会ってそれっきりならおしまい だけど、何回か会ったりして好感度が上がってくると とうとうわたくしにも恋愛として好きなひとがあらわれたのかも!? しかし、疑り深いので、うんにゃ 希望的観測を自然な感情とごっちゃにしてはいかん! と一人ぐるぐる考えるわけです。みんなそうだよねえ?
そんな時便利な判定法があるので紹介します。 「あなた」ですよ。小坂明子の。いや、若いもんは勝手に好きなシチュエーションの曲をつかってください。さすがにわたしでも「あなた」は遠い記憶ですが、なにしろ幼い脳裏に焼きついているので、そらで唄えるし、なにより具体的だ。
♪ もしもわたしが家を建てたなら小さな家を建てたでしょう (小さい家はいい。そうじが楽だ。階段も面倒なので平屋がいい。お手伝いさんがいるなら話はべつ) ♪ 大きな窓と小さなドアと部屋には古い暖炉があるのよ (大きい窓はいいとしてなんでドアが小さい方がいいのか?のっぽの旦那だと頭ぶつけるではないか?お伽噺の家をイメージしてるのかなあ。それから暖炉はいらない。大きな掘り炬燵を希望) ♪ 真っ赤な薔薇と白いパンジー 子犬の横にはあなたあなたあなたがいて欲しい (レースを編むのよ が1番の歌詞だったかなあ?まあ、花の種類はともかく、子犬!子犬は重要だよね。)
とまあ、この世界観を自分好みにカスタマイズしてですね、たぶん新婚の新居の暖炉の前でレースを編むわたしの足元に纏わりつく子犬 (カスタマイズ版では アッタカイ掘り炬燵で冷たいビールまたは赤ワインを飲みながらウクレレを弾くわたし 炬燵ふとんのはしっこに犬 子犬でなくていいから犬・猫可)そしてその横には「あなた」 この「あなた」のもやもやっとした顔の部分(放っておくと若い頃の石田純一みたいな個性のない二枚目タイプの顔が貼りつく)ここにですね、いいな、と思っているひとの顔を貼りつけるのです。 さあ、もう一度歌ってみましょう。具体的な絵が浮かんできますね。アニメのように動き出しましたか? そうして、この家の中でいつまでも「わたし」がウクレレ弾いて犬と遊んでいるだけで「あなた」と会話したり次のアクションに移行しなければ、×。 「あなた」がこたつに入っているだけで、立ち上がったり隣の部屋に行ったりしないのも ×。 長く想像してしまうと「あなた」を無理に動かしてしまうので、瞬時に次のシーンに動き出さない時も ×。 動いても一緒に 犬と遊んでいるだけだったら たぶん ×。
ただ、恋愛した〜い 結婚してみた〜い こんどのはそういう対象かな?と失礼にも勝手に選択肢のひとつとして頭の中でいい気に遊んでいるだけだす。たぶん。
「あなた」に顔をつけたとたん「わたし」に話し掛けて来たり、そう明日のスケジュールとかね、なにか一人でしだしたり 一緒になにか食べたりしだしたら・・・ わたしは そうだなあ、好きになりかけているのかも、と判定します。
分かりやすいでしょ。 どっちにしろ、現実ではまだなんのアクションもしてないんだからどっちでもいいからなにかやってみろ! とEちゃんなら言うでしょう。たぶんamiも。 ショボ〜ン。 でもさあ、自分の気持ちを確かめる前に相性占いとかするより、誠実だと思うんだけどなあ。だめ?臆病もの?
買おうか買うまいか迷っているの。 買いたい理由は、ごはんを土鍋で炊いてみたい。 買わない理由は、多分2〜3回やったら飽きてしまいそう。 白いご飯はそんなになくてはならないものではないんだけど、土鍋でリゾットとか雑炊とか、雑穀入りご飯とか炊いてみたい。
しかし、一人用土鍋ってすっかり、100円なのね。最初は100円ショップ発信だったんだろうけど、普通のスーパー(新宿区のわりと高めの店)でも100円だった。 「これがデフレか・・・」 と実感しました。
久しぶりに気持ち悪い〜 と思ったひと。 仕事がえりにいつものコンビ二で、ビールと柿ピーを買っていたらば、太った酸っぱい匂いのお兄さんが、ファンタグレープと、1袋2個入り80円のハニードーナツを籠に入れ、そして、1袋20円の「キャベツ太郎」をバサバサバサと、10袋くらい籠にいれてレジに向かった。 これらのことから導き出せることは、このひとはあまりお金を持っていない。たぶんお酒は飲めない。夜のお楽しみはジュースとスナック菓子。 でもキャベツ太郎10袋で、200円、ということは、1袋120円の大袋入りスナックを買っても大丈夫なはず。つまり彼は キャベツ太郎 が大好き もしくは、大袋を一気に食べきってしまうより、1袋食べてはつぎの袋をあけ、という面倒な手順がすき。 ひとの食生活にいちゃもんつけるような健康的な食生活をしてはいないけど、 「あんた〜、なんでもいいからもう少し・・・」 と言いたくなったよ。 なす太郎でなくキャベツ太郎ということは意外に胃腸に気をつかっているのかも。
わかりあえない。金魚の気持ちはわからない。わかるのは「腹がへっているらしい」のみ。オタマの気持ちもわからない。なにが苦しくて死んだのかわからない。鈴虫の寿命もわからなかった。成人して半年しか生きないのでは、壮年期も晩年期も死期もわからんかった。
彼は「所詮生きる世界が違うからね。水の中に住んでいて空中に置いておくと死んでしまうような生き物とわかりあえるはずもない」とな。 ううう〜む。卵で生まれる生き物の気持ちもやはり・・・
まあこの夏の失敗 小動物編はおいておいてもね、わかんないのよ、正直 犬のことも人間のことも。でも解釈して、わかった気になって係わり合いの方針を建てないければなんにもできないもんね。以後 様子をみて再検討 新解釈 続報 などから方向転換 進むのか撤退か 再契約か、注文数を増やすか他社に乗り換えるか、ハンコつくのか証書を燃やすのか。 そんな経済活動のような人間関係はいやだ!探り合わなくても 駆け引きをしなくても人間同士わかりあえるはずよ、なんて思っちゃってた頃だってあったさあ。でももうそういうのナシね。勘弁ね。
週に2〜3度 金魚鉢のお水を換えるのですが、その時手のひらをお椀にしてちょいと金ちゃんたち(パクパクさんたち)にバケツに移っていてもらいます。その時だけが直接触れ合える時間。小さくてピチピチしている。もう大自己満足!わかりあえなくてもいい!「愛してるぜ」と心の焔がメラメラするぜ。
蛇足:まだ夏を惜しんでいるこの気持ちにおさらばしようと、大掃除を計画中。終わったことと次につながることと。さようならとコンゴトモヨロシクと。分けてみようかなと。 理想はいつでもトランク(キャスター付)ひとつで出て行ける部屋なんだけど、なんでこんなにものがあるんだろう。そう一例をあげると、自分ひとりなのに、コップ6つもなくてもいいよね。収納を増やすよりものを減らしたい。けど難しい。 それと最近あっちこっちの番組でやっているリフォーム特集。なぜ、多くのひとは家具を買う前にすでにもっている家具とのバランスを考えないのだろうか?セットメニューやコースは簡単だけどアラカルトの注文は難しいけどのう。 テレビのひとに奇跡のように半日くらいで大変身してもらってるけど、1ヶ月くらいで、だんだんもとのモサッーとした部屋にもどっていくんだろうなあ。スタイルのある生活ってスポーツみたいに、週に3時間より毎日15分だよね。
うっすら毛の生えた岩手のトマトを食べながら思う。 夏の野菜も果物も だんだんと北の産地のものだけになってしまったよ。 枝豆は東北。とうもろこしは北海道。 ああ、札幌の雪祭りをやる公園では 焼きとうもろこしの屋台がでているんだろうか?こんど北海道に行くときは秋! と決めて10ねんくらいたっちゃった。
果物コーナー は なしくりぶとう 秋のBig 3だ。 パリでは焼き栗の屋台はもうでてるのかな。リスボンで焼き栗買ってへんなカンフー映画みたっけな。すんごい昔のことみたい。 そうだ、パリにいこう。 いつでも行けると思って行こうとしなかったのは別にいきたくなかったからだな。 パリにいって、それから南下しよう。イタリアは抜かそう。地中海より大西洋の気分だ。早速図書館にいってこよう。 年が明けて 1月の後半か2月。卒業旅行シーズンに重なるかな。
引っ越すか、旅行か、なんて迷っていたのが、あほでした。全然ちがうものを比べていたよ。共通項は資金だったけど、行って、引っ越せばいいのだ。つかのまのものと長く掛かるもの、先に足元を固めて・・・なんて都合のいいことできるはずもなかったのだ。
やっぱりまだカレーうどんは暑かった。頭洗おう。
一日と一日の境目が午前0時というのはずっと納得いかん問題でした。 なんで、そんな真夜中に切り替えなくちゃならんのですか。朝日が昇る頃または夜明けとともに新しい一日を始めたほうが気持ちいいではないですか。 はい、明るくなった 日付が変わった。 そうであれば、午前4時にまだ起きているとか、気持ちのあせりや なにかやましさのようなものを感じなくてすむ。 午前0時にはなにかそういうハミダシ者に罪悪感を与えようというような陰謀を感じる。 いったい、午前0時をして日付変更とする というのは誰がいつ決めたんだ。例によって調べないので怒りのもっていきどころがない。 カレンダーの歴史はずいぶん色んな本に載っているけど、このことは今まで読んだことがないなあ。
長雨が続き 夏は終わったなあ・・・ とありがたいやら遠い目をするやらの日々ですが、真夏の夜明けの空の色を世の中で一番美しい色だと愛して止まない私としては少し寂しい。暗いうちに寝て 朝明るくなってから起きる生活をしているひとはもしかしたら見た事がないかもしれませんが、例え東京の空でも 真夏の夜明けの空の色は、まさに Blue heaven といった幸福感が口からあふれでるような色なのです。 わかりやすく形容すると、ラベンダーの濃いのから淡いのへのグラデーションです。そこに太陽の曙光の金色やオレンジがにじみ、やがて雲が薔薇色に染まるのです。わたしは夕焼けよりも朝焼けのほうが好き。
そんな時に日付が変われば ああ 新しい一日だ、ありがとう・・・ と思えるのに、午前0時じゃあさあ、昨日だったか今日だったか うやむやじゃんか。 うやむや狙い?誰が?なんのため?
実際は夜明けは毎日変わっちゃうから そうねえ、サマータイムは4時半、それ以外は5時半か6時くらいを 0時にすればいいのに。 夜中の3時にPCみてたりしても、4時頃に帰宅しても まだ一日は終わっていないぜ、今日のうちに布団に入ろう って元気でるのになあ。
「はしゃぐ」の続きです。 噴き出すような笑い、涙がでてくるような、お腹が痛くなるような爆発的な笑いは突然に降ってくるように 憑りつかれたように 襲ってくるものですが、これもさあ、4年ぶりに味わっちゃった。 笑い上手なわたしでも こればっかりは楽しもうとか面白くしようとか 考えてたってでてくるもんじゃない。まさに瞬間的に襲われるものです。
それには空気が関係している。一人でいる時には決して襲われない。その場とそこにいる人間が関係している。 そして その爆発の種は やっぱり、突然ポトンと落ちてくる。 思い返すと、大抵は二人で 何人かで 一生懸命←ココ大事 なにかを考えたり思い出したりしようとしている時が多いです。わりと真剣に頭を使っている時、自分も彼・彼女らも 空気も よい意味で緊張している状態。 そして種はある時ポトンと落ちてくる。小さな針かもしれない。ふくらんだ風船がパチンと割れるみたいに ムウンと考えていた 自分達の上を覆っていたものが弾けて 中身が噴き出してくる。 それは、「なんて面白いんだ!」の笑いではないと思うのね。「馬鹿じゃないの私達、こんなこと真剣に考えてしかもとうとうこんな事言い出したよ!!!」的な笑いであるように思うのです。だから煮つまった深夜に起こりやすいのかも。 とっても関係が深くて互いのツボを知り尽くしたメンバーですと、そこで連鎖爆発がおきるのです。誰がなにをいっても可笑しい。 「ヒイヒイヒイ・・・もうやめて お腹痛いから・・・ヒイヒイ・・・わたしらが馬鹿なのはよっくわかったから ヒイヒイヒイ・・・」
ねえ、親しいひと愛するひとを亡くすというのは 関係をなくすということで、それはその関係から呼び起こされる感情をなくすことだと はしゃぐことも腹がよじれるほど笑うこともなかった日々はそう思い 勝手にどこかで諦めていたのかもしれないわたしはやはり若くて自分というものも人間というものも知ってはいなかったのでしょう。 感情は再生する。自分が手を伸ばせば 新しい関係の枝に 凍っていた感情はまた芽吹いていくのです。 この日記はその再生の記録かもしれない。と、ふと1年前2年近く前の日記を読んでみてそう思いました。だって、やっぱり最近の記録のほうが面白いもん。
一日 雨でした。 つまり暖かいコーヒーの季節がやってきたのだ!と思い 買いにゆきました。 パッカン! コーヒーの蓋をあけた時の匂い以上に、うっとりトリップしてしまう匂いをわたしは知りません。脳みそがゆらゆらしてしまう〜。
今日は1回しかちゃんとしたお食事をしていませんが、そのメニュー。 ゆで卵 2個。買ったばかりの卵は美味しいねえ。プチトマト6個。夏の終わりで、少し皮が硬かったね。きゅうり半分。1本58円!もう高くなってる。それからイングリッシュマフィン。まだ食ってるのか〜。はい。アンド ミルクコーヒー。 胡麻プリン、は昨日食べたんだった・・・
わしゃ、三食これで十分なんじゃよ。
そしてお食事の主役は・・・ 「塩」だ!
野菜には「塩」 ソリャぁ お醤油味も好きだけど、新鮮シャキシャキ野菜を食べるには「塩」でしょう。肉も卵もね。 ただ、キュウリだけは・・・ 塩でキュウリを食べていると、数年前のキャンプを思い出す。1週間雨ばかりで、薮蚊に食われまくり足がでこぼこに腫れ上がり今でも左足になごりの痣が残っている。しまいには 火を焚くのがいやになり、生キュウリに塩をつけてすきっ腹で毎日齧っていましたっけ。 どしゃぶりの中の野営・飯盒炊爨はつらいよ・・・
いま、火を通す時は 九州の天日塩、生で食す時は、フランスの海の塩(たまたま安〜く手に入ったので)でござります。 今日の ゆで卵 フランス海の塩添え は美味しかったなあ。 マヨラー の気がしれんね。わたしゃ シオラー。マヨラーってとうもろこしとか枝豆にもマヨなのかしら。ぞっ〜とするね。 一緒に割り勘で飲みたくないぜ。おごりならいいけど。
さっき気づきました。 先日、山に行ったときのことを思い出しました。駅からだんだんと登り坂を上っていって、民家がなくなって、沢の水の音が聞こえてきて、その時わたしはたしかに 「はしゃいで」 いました。 はしゃぐ! 久しぶりだよ。このかんじ。昔はけっこう はしゃいでしまっていたような気がする。子供の頃は はしゃぎすぎて ゲロったりしていた。 いつぶりだ? たぶん amiの病気がわかった時ぶりなのでは・・・ すると、4年近く わたしは はしゃいでなかった。そうだあ。大人になってからは はしゃいでしまっている状況にはいつも amiが一緒だったような気もする。
とうとう わたしもまた一人で はしゃげるようになったのかあ。 感無量。 この4年 笑ったり 意地悪ゆったり 笑ったり 楽しかったりしたけど、はしゃいでしまってどうしょもない、という心持にはなったことなかったもんなあ。 すごく短い時間だったけど、小さい爆発だったけど、そうだったんだ。
なんだか ありがとう。山ってすばらしい。毎日あんな瞬間がもてたらもうなんにもいらないなあ。でも瞬間訪れるから ありがとう なんだなあ。まるで流れ星をみたような、嬉しさでいうと虹が20本くらい掛かっているのをみたような。そうなんだな。感慨をのべると 山下清になってしまうんだな。
「はしゃぐ」が東京方言だったりすると もしかして全然伝わってないかも・・・ それもなんだなあ。
わたしは オロナイン を信じています。 火傷にも 切り傷にも 擦り傷にも ささくれにも 虫刺されにも 吹き出物にも なんでもオロナインさえ塗っとけば大丈夫! もちろん枕元と鏡前には 実家・隠れ家ともに常備。旅行にはチューブ。
が、世の中には信じていないひともいる。それだけならばいいけれど、違うものを信じているひとがいる。 先日 だいぶ前だな アロエ軟膏 を信じるものと大激論をかわしましたが、それぞれの信仰は決して揺るがず 当然 互いのものを試そうという気にもならなかった。 まさに 宗教戦争。
最後には互いの健闘をたたえ、タイガーバーム や 馬油 は効かない と結論づけました。
え〜 でもさあ オロナインって本当に万能薬なんだよ。匂いもいいしさあ。
と、他人に勧めたくてたまらないあたりも・・・
| 2002年09月04日(水) |
9月のイメージは 栗 |
栗を愛す。実の形 イガ具合。されど我は食せず。 だって嫌いなんだもん。昔おばあちゃんが栗の山を所有していたので、毎秋は収穫のお手伝いに本気の栗拾いをしたものですが、帰りには飼料袋なん袋もの栗をもらって帰ったものですが、我が家では誰も栗の味覚をあまり愛さなかったので、一鍋ゆでたらもうおしまい。みんなよそにおすそわけ。 でも、くりごはん はうまかったなあ。決め手は塩加減ですよ。
やらなきゃよかった、と思うことに「心理テスト」がありまする。結構真剣に考えて、結果をみた時のむなしさ・・・ 朝一番でやってしまったらば たらば わたしが男の人に求めるもの 堂々第1位は 性欲 だって。 昨日「あんまないねえ〜」って他人事のようにタバコ吹かしながら ふふん とのんきに書いてたのに〜 順番に 2 愛情 3 顔 4 性格 5 経済力 だって。 1と2 は迷ったんだ。1がトイレだったから きっとこれは自分の生理的欲求を暗喩しているな・・・と思ったけど、どう考えたって最優先はトイレでしょう。
心理テスト。朝から(午後だけど)PCに向かって なにをやっているんだ。 だからなんだっちゅうねん。
でもって、口に出すと帰ってくる。予感があるから口にだすのか。まったく世界はシンクロしてるよねえ。
| 2002年09月03日(火) |
なんだかみんな悩んでる |
わたしのお友達には、年収1千万以上の女の子もいれば、パリで会社をやっている女の子もいます。しかして わたくしは月収10万円の時でもわりと平気で楽しく暮らしています。毎週のお楽しみとして ロト6で4億円を狙ってはいるけれど、ほんとうにお金いっぱいあったらなにに使うんだろう。 きっと自分の家族がいたりすると違うんだろうな。あればあるだけよい、と思ったりするんだろうなあ。親兄弟は どん底不幸だったらわたしがなんとかせねば!と発奮するのだろうけど、なんとか楽しく暮らしているし、自分は自分の面倒だけみてればいいからなあ。
そんで突然 性欲の話に飛ぶんだけど、まあまあ皆さんも大人なんだからね。乙女の頃から教えたがりのおじさんたちや主張するおばさんたちから 「女だって性欲がある」 って聞いてたけど、そりゃあるんだろうけど、ないとは言わないけど、微妙なもんじゃない。自分意外の女のひとのことはわからないし、まあ男のひとのようなもんとは多分まったく違う、とは思うけど、それだって男のひとが言ったから、そういう表現をみたから、ってだけで 確かに男のひと向けのエロは漫画も小説もぜんぜんピンとこない けど、ピンとくる女のひともいるかもしれないし、レディスコミックだって「ああ わたし 堕ちていく〜」系の、いつもと全然違う!体験ったって そんなにいつもがつまんないならやんなきゃいいのになあ。 「やりたい」ってのはないなあ。「このひととしてみたい」ってのはある。でもだからどうってもんでもない。その先のことを考えないからかしら。自分だけのもの ちゃんとした恋人になってずっと付き合うっていうような展開に続けて考えないからかしら。
自分ひとりでいる時は欲しくてたまらないものがあんまりないから割といつでも幸せで、落ち着いている。でも周りをみまわすと、自分が持っていないものを持っているひとがいて、その人と二人だけなら、大抵は違う土俵で1対1で、対等な心楽しい関係をつくれる、けど、そこに第三者が介入するとバランスがくずれる。 羨ましい って地雷を誰かが踏むと、残りの人間も疑心暗鬼になるよね。あっちの方が幸せ度が高いのではないかって、わたしも修行が足りないからさ。自分で踏むときもある。自分で踏むと足元直下だからどうにも逃げられなくてダメージでかいよ。 お金も恋人も子供も それそのものはそんなに羨ましいものではない。でも自分よりも持っているひとの方がより幸せな上等な人間なのでは、と思った瞬間 羨ましさがグッと跳ね上がったりするよ。
それはどうかな、って思うけど、教えたがりのおじさんたちや主張するおばさんたちは、わたしが大金をもったり男ができたりしないのは、幸せそうにみえるからだ、って。欲しがっているように見えないから寄ってこないんだって。 どうかなあ。もの欲しそうな顔してないかな。それちょうだい、って口に出すより目でものを言うほうがゲットしやすいのかな。そんな気もする。
もらっても欲しくないものでなければ くれるんならもらう主義。 自分では繋がっていると思ったんだけど、性欲の話はなくてもよかったかも。 でも直さない。あとから自分で読んで 「なにを考えてたんだろ。なんでこんなこと書いてるんだ?」 って 首をひねる方が面白いもん。 告白しますと、忘れた頃に読み返すと自分で読んでも面白いよ この日記。
A君誕生日おめでとう。
変えるって面倒くさいもんだす。HPの移転に伴いいろいろ変えようとか思っても、なんか手をだすのが面倒でさあ。HPなんて手慰みといいますか、絶対必要な情報手段でもないし、一日の余った時間をつぎ込めばいいんだけど、余った時間ってなかなかないね。余ったときなにをするか、優先順位があるでしょ。サイトをいじくる なんてすごい下位なんだもん。 ああ、いやいや なんとな〜く今週中には・・・ なにかしよう とは思っているのですが。
話は変わって、やっぱり海より山が好き。山の中にどんどこ進んでいくと、どんどん元気になりますよ。あるじじいが言っていたけど、海には体力を奪われるから泳いだりせずに海辺にいるだけでもグッタリしてくる、って。 それから やっぱり海水より川の水のが好き。ああ、水着を持っていけばよかった。 先週末は山川にいってきたのですが、もういらないや、ってくらいお酒を飲んでそのまま倒れ眠り、朝起きて渓流で遊んで お風呂に入って 車で(ひとの運転で)帰る。まさに夏休み最後の日にふさわしい、旅でした。なんだか結婚パーティーもやってたけど、どうもおめでとうね。 あう人あうひと 年上のおねえさま達から「結婚なんて絶対しないほうがいい」と強い声で言われてしまい、でもみんな既婚者だったけど、そうなのかもね。面倒で大変なことばっかりなのかもね。恋愛とは関係ないことだもんね。みんな見ていると喧嘩ばっかりしてるもんね。 「一度はしてみたい」と言うと、 「やってみて、簡単に逃げ出せないのが結婚なのだ」 とのこと。そうだあ、一度なんとなく確立させたもんをまるっきり変えるのは大変だあ。 あ、サイト移転の話になっちゃった。
東京帰ってきたら暑いね。そしてまたオタマが死んでしまった。難しい・・・ 金魚は元気なんだけど。オタマって頑丈で鈍感そうなわりに、ほんのちょっとしたことで死んでしまうのね。結局 死因はわからない。来年の春またやってみよう。 鈴虫もね、もう1回って思ったら もう どこのお店でも 「スズムシ完売しました」 の札がありました。
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