こういう状態を絵的に思い浮かべてみますと、まず蓋がないということは、普段は蓋がある入れ物なんでしょう。鍋もしくはゴミ箱のようなものを想像しました。 で、身がない。からっぽ。 んで?ということは? 中身ないじゃーん。入れてもすぐこぼれちゃうじゃん。あんたの話って外っ側だけで、はじめっから蓋つまーり結論や展開がないのよ、ってことでしょうか。 かーっ、昔の人は例えがうまいねえ。 どうも、身も蓋もない、が、ぶっちゃけすぎ的に使われることが多いのでそうだったかなあ、と考えてみました。
最近毎日食べてるもの 納豆巻き。匂いのない納豆なんて!と口から泡を飛ばしぎみでしたが 酢飯にはあうみたい・・・
昨日の続きですが、あんまり面白くないかも。 3軒隣の家に犬がいるのです。子犬のころはそれはそれは家族全員から猫かわいがりされていたのですが、雑種の日本犬のため大きくなると、細長くて余り可愛くない犬になってしまいました。中型犬。ある日からいきなり君のおうちは外の犬小屋です、と外犬にされてしまい、彼は毎晩鳴きまくっていました。やがてあきらめ、おとなしくてちょっと薄幸そうな犬になりましたが、育ちのせいか神経質で人が通りかかると吠えるのです。また声が高めでへたれ声でつまり癇に障る。
そうして12時半の男が登場するのですが、この人はほぼ毎晩12時半頃いいこんころもちで犬くんちの前を通ります。常連の飲み屋が12時で閉まるのでしょう。 たぶんあのカラオケスナックだとにらんでいます。 当然犬くんは吠えます。すると男は吠え返すのです。犬くんは逆上して吠えまくります。男は吠え返します。 もちろん男も わんわんわんわんと吠えてるのです。3〜4分たっぷり吠え合ってたいてい最後に男が 「ばあ〜か」 と言って 勝った!とばかりに歌いながら去っていきます。犬くんは負け犬の遠吠えです。 これが聞こえると ああ12時半だな、とわかります。
で、一昨日会ってしまったのです。この吠え合戦の瞬間に。ちょいとたばこを買いに出たら12時半だったのです。部屋をでた瞬間、わんわんが始まって、 「どうしよう。酔っ払いとはいえ、こんなところを人に見られるのは恥ずかしいのではないか?誰もいないからこそ思う存分わんわん吠えられるのだろうに・・・」 むしろわたしの方が遠慮してわんわんタイムが終わってからにしようか、とひき帰そうかと思ったところ、男はわたしに気づいてしまったのです。
わんわんは急にはとめられない。 横断歩道の信号待ちで隣に人がきたからといって 言い気分で歌ってた鼻歌を急にやめられず、カットアウトできずにフェードアウトするのと同じなのでしょう。 たぶん。 男は(ガラの大きな頭も大きな真っ赤な顔をしたおじさんでした。想像通りの外見だった!) 「わん!わん!わんわん!・・・・わ〜んわんっと・・・ あっはっは〜・・・」 と去っていきました。 「てやんでえ〜」 も言ってくれ!。と心でお願いしてしまうほど、期待にそむかぬ おじさんっぷりでした。
最近、日記の更新が滞りがちなのは、忙しいのではなくて、ネタがないのでもなくて、今日のトピックスはコレ! というのを誰かに話してしまっているからです。 だからふだんは自分的におんもしろいことであった・・・とか、考えて見たなあ・・・といったことを、しかし誰にもまだ言ってない→サミシイネ とここで誰かに語るように綴っていたわけなんです。 サミシイ日が多いのです。
一度話したことでも書いちゃえばいい、とも思うんだけど、熱が入らない。 でもホッタラカシもさみしいので、書いてはみたけれど。
そうだなあ、あの2千円のマフラー買えばよかったなあ。 それと財布を友人の車に置き忘れて一文なし (蛇足ですが一文って単位はこのことばの中だけに生きている<馬場亡き後>) (蛇�∪犬�ていないかもしれない) で部屋に閉じこもっていた日に 在庫がなくて3週間待たされた通販の財布が届いたのはおかしな巡り合わせだったなあ。入れるもんがないっつーの。
やっぱり一度話した出来事だから どうも熱が。冷めてる。
そうだ!12時半の男がいた。
明日に続く すみません時間切れだよ。
金魚とマリモであります。 見ていても あまりおもしろくない。 友人のうちにいるスナネズミは見ていて面白い。いじりたくなるのをじっと我慢。 うちの場合、金魚たちが尻??から長くあまりにも長く糞を吹き流していると、つい千切ってやりたくはなりますが、とくに接触を望んだりはしません。 水換え時に手のひらでピチピチしていると、可愛いような愛情のような気持ちは沸いてきますが、どうも苦しんでいるようなので、理性を持ってすぐやめます。 そうそう、うちの餌は赤と緑の2色の粒なのですが、糞が彼らが口に入れた順に、赤赤緑赤緑・・と縞縞の吹流しになるところが面白いです。
彼らを飼いはじめてから、時折あたまに浮かぶけれど どうしようもない と思い放置してある思いがありまして、つまり彼らは不満ではないのか? ・ 狭い 泳いでいるとすぐ見えない壁にぶつかる ・ 食べ物がいつも同じ ・ なんにもやることがない
長く犬や鳥を飼っていましたが、このひとたちはこういう不満を激しく訴えてきたので、どうしても金魚さん達にも、つい顔色を伺ってしまいます。 いや 不満を抱かれてもどうしてやることもできないんだけど、住居問題と食事問題ならなんとかなるかなあ、と。 でも一番心配しているのは最後の 退屈・無為問題なのです。 彼らはなにかこう生きる時間を楽しくつぶす遊びをしていたりするのでしょうか? 野生の生き物は食べるそして他の生き物に食べられないそして子孫を残す これで人生の時間はたっぷり充実しているのでしょうが、これらに時間をとられない (どうもうちの金魚はカップルにみえない。縄張りや餌争いもしてないしメス同士なのかしら) 水槽のなかの彼らはただエラから酸素をとりこんでグルグル泳いでいるだけ。 なにかを見て楽しんでいるとか?もしや毎日わたしをウォッチングしているとか。 右回りに回遊したり突然方向転換して水の抵抗を身体で楽しんでいるとか。
そういう楽しむとか遊ぶとかの脳がないんだから ただ生きてるンだ、と言われればそれまでですが、わたしは心配です。 時折店先の水槽でみかけたりする、酸素と栄養が足りすぎてものすごく大きく 鯉くらいに大きくなってしまった金魚。けれど水槽はチビサイズだったころのままなので、もうただ浮いているだけ、はまっているだけ、方向転換もできない。そんな金魚さんを見るとわたしは恐ろしくさえなるのです。これがもし自分だったら。 無為地獄。
解決! それは、我が隠れ家周辺にはパン屋はなかったことにする。 「あ〜ないんだよね。」 とする。そのかわり実家の近所に サイコーのパン屋があるからさ。 パンはそこで買うよ。
いまも食べてるけど、うま〜。うまうま。 正直いっちゃうと、本格的とか北欧風とかドイツパンとかフランスだベーグルだ、どうでもいいんだ。全部すきだけどね。 そこのパンはあえて言うならば ジャパン。シオシオ〜言っちゃった。 そうなの。日本風。この湿った島国で育まれたパンなのですよ。 しかも、その最高峰の辺り。極めた感じ。 食パン・あんぱん・カレーパン・ピザパン・・・・・ でもフランスパンだっておいしいよ。
なにより好きで好きで毎日3個づつ食べたいのはココの たまごパンなのだ。 たまごがねえ、甘くてしょっぱくてネットリで 他では一度も食べたことナイ味。 他はみんなマヨネーズの味がするでしょ。そう たまごサラダと言うところもあるでしょ。でもココのはたまごペーストと呼びたい。 明日も食べたい。3個。 たまごパンってたまごサンドのことかしら、とお思いでしょうが、ここはたまごもハムも(このハムパンもおいしいんだ。ほんのり辛しバターがたっぷり塗ってあって、ああ食べたい)コッペパンにはさんであるのです。普通のサンドイッチもあるけどね。こっちの方がおいしい。柔らかいフニャフニャのコッペパン白身と外皮の少しパリッとしたところが一緒に口の中でたまごまみれになるのだ。ハムと辛しバターにもまみれるのだ。 名物塗りコッぺ(コッペパンを裂いて中に ジャムだのピーナツだのバターだの蜂蜜黒蜜あんこジャムバタあんバタ・・・・注文に応じて塗ってくれる。たまごパンより大きめのコッペパン)は夕方には売りきれちゃうし。 それからココの”揚げパンきなこ”はほんものの給食揚げパンの味。あの油しみた感、普通の白砂糖感、最近売り出された袋入りのはインチキじゃ。あんなに上品じゃないもん。もっと塗れて重く しかしその満足度たるや!
ここは地元でたぶん40年くらいやっているパン屋さんだけれども、大事なことは一切変えず、新しいものをどんどん増やしている珍しい偉い店なのです。 少し前にはやったプチクロワッサンやエッグタルト他の流行りモノはデパートなどで実物をみるより先にココで購入したよ。 錆びれた地元商店街で唯一いつでも大繁盛はあたりまえなのだ。
うちのママちゃんの作った たまごサンドイッチ より美味しいもん。 本当はいっぺんに5つぐらい食べたい。けど、一度5つ買ってそのうち4つ食べたらお腹いっぱいで気分が悪くなったので、3つ と決めているのです。 でも口中の快のほかの快適さを思えば 2つが好ましい。
つくったよ。 早〜い。毎年31日にだしてるからといっても極端だったか。
でもこれは実家の会社の分。自分のはおそらく新春 松もとれて鏡もわって 寒中おみまい となることでしょう。
来年はヒツジ年です。と書いたとたんに編物がしたくなりました。 ウールマーク。
ところで 夕刊紙は毎日まいにち 日本三大銀行がつぶれそうなことを書いておりますが、かけばかくほど株がさがってあぶなくなるように思うのですが、 どうなんでしょうか? 経済ってわかんない。資本主義ってギャンブルよね。 明日への希望と絶望でもってるお金が増えたり減ったりするのね。 気持ち次第。おもしろいかも。 生まれ変わったって男になったら 株屋になりたい。ああ でもハイトーンボイスのダンス&ボーカルチームもやりたいんだった。 う〜ん。両方。
いまは女だからねえ、預金が減らなきゃそれでいいよ。 おいおい みずほさん年利息7円かよ。手数料あんだけとっておいてよう。 あら預金額 想像ついちゃった?
大人になってもわからないことはいっぱいあるけれど、 自分の旦那の命があと1ヶ月しかなくて、どうしたらいいんだろう、なにがしてあげられるだろう、という相談や涙や独り言にはどう答えてあげたらいいのか、 四十になっても五十になってもわからなさそう。
ただ聞いてあげるだけでいいんだろう、とは思ったけど。 どこまでものを言っていいんだろう。 なにより言葉なんか求めているのかな。
一緒に泣いてあげる という技がつかえないわたしは うん うん うん 30分の電話で うん を300回くらい言ったような気もする。 うん でいいならそれでいいけど。
なにをしても後悔するのはよくわかっている。でも しなかった後悔は長く後をひく。 たぶん優しいベールに包まれて寂しい思いをしているから、たくさん話をするといいと思う。大事なこともどうでもいいことも。 きっと怖いから手もつないだらいい。 でもより怖がっているのはこっち側の人間のようにも思う。 覚悟をきめたひとの目は潔い。 心の底まではわからないけどね。
でもそうは言えなかった。 彼女の思いに答える同じ重さの愛情も興味ももてなかったから。
お互いさまか。みんな自分の定規でしか計れない。
たしけて〜 とらえもーん。 なにか道具をだしてよう。
じゃじゃ〜ん☆ インターネット! 自動翻訳サイトを検索してタイプを打てればポンといっぱつ変換だよ。 日本語→スペイン語 英語→スペイン語。 中国語からだってOKさ。ただし、自然な生きてるスペイン語になるかはわからないよ。
そこが大事なんだってーの。超直訳だったら辞書片手になんとかするってばよ。 がんばってみたよ。 その日暮らし → Vivo al dia (主語オレ) 愛があるならなにもいらない → No quiero nada ma's un amor (主語オレ) Let me go → De'jeme ir Please go home → Vaya a casa, por Favor
どうなんだ。音符にのるのか? やっぱ たしけて とらへもーん。 ほんわかぱっぱ はんわかぱっぱ。
ふんがあ、小さな声でいいまする。 赤毛のアン シリーズはわたしのバイブルなのです。 子供の頃は 夢 青春 恋 友情 結婚 子供 家庭 老い 別れ つまり 人生ってこんなかんじに美しくて、まだ自分は子供だからなんにも始まってないけど、これからぞくぞく 一つずつ扉は開かれるのだわ、と思っていたのです。
ですが、なあんも。 おかしいぜ。まず、夢はともかく 青春だよ。あったか?美しい青春。それってたった四人の演劇部か?つまんねえテレビドラマか?アングラ芝居か? 毎晩おじさんにお酒おごってもらってただけだったよ。 バンドか?いまもやってるよ。それって生涯青春ってこと? ちが〜う! なんか 海とか湖とか月光とかダンスとか散歩とか草原とかキラキラした場所で少女の頬は上気して唇はいつも微笑みのかたちで明日を語ったりするのが青春じゃなかったのか。
友情はともかく 恋と結婚と子供と家庭はどうなったんだ。崇拝者はなぜあらわれてくれんのだ。いつのまに何故 アンの世界の半分を形なす オールドミスの道に入りこんでしまったのだ。わたしは未亡人になりたかったのにぃ。
挫折。そして封印。プリンス・エドワード島にいってモンゴメリー博物館やお土産やさんでカントリー小物を買い捲るようなおばさんにはなるまい、といつしかアンの世界に背を向けました。 しかし、本に罪はない。久しぶりに読んだら やっぱり面白いんだもん。
一緒にいて、話したり、散歩をしたり、食事をしたり、空想にふけったり、一緒に計画をたてたり、お互いに感激の瞬間を分かち合ったり、・・・・・ホームをつくったりするのですわ。
と、アンが婚約中のギルバートへの最後の手紙で言っておりますが、子供の頃はエピソード以外の、こういう平の文はだいぶ読み飛ばしていたのですね。 でも、友情でも恋でも結婚でも アンが言っているような 誰かと日々のいろんなことを分かちあう 幸せ に憧れていたのではないかと思います。 それから 作中ではたくさんの人が アンの息子も 死んじゃうけど、死ぬことは怖いことではない キリスト教の天国観はおいておいても ただなにかを悔やんで死んでいくのはいかん、ということや 死なれたひとも泣いてもいいからいつかはしゃんと頭をあげて生きていかねばなあ なんてことも ふ〜ん そうなのかなあと読んでいたような気もします。だいたい 爺婆が元気で強かで面白い。
それから なんといっても食べ物がおいしそうなんだよね。
世界中の少女たちが愛読し 憧れたってことは 世界中のどこにもアンの青春世界はないのかもしれんが、一昔前にはあったんじゃないのか、とも思われる。 現代の青春はつまらんよう。
| 2002年11月13日(水) |
思えば恥多き人生でございました |
町屋の”サイゼリア”について書こうと思います。
ライブ終わったばかりなんだから、ミュージシャンならそれを書け、ってなもんですが、自分のやった表現(ひえ〜)を後から言葉にするのもねえ、できないよ。 すぐ次のライブの準備にはいりますし。 すべては今日の題名につきます。楽しかったv
我が生誕の地 町屋。どこかというと東京都荒川区のいってみれば首都かな。 首都は日暮里じゃないの?という声もありましょうが、あそこはほとんど台東区だしさあ、商店街も地味だしさあ、と町屋っ子としてはゆずれないね。 町屋は都電も走ってるしね。三ノ輪?問題外だね。 ”サイゼリア”はご存知? 安い安いイタ飯屋ですよ。
実家に帰る途中なので、1月に一遍くらいここでご飯を食べまする。 ランチタイムは知らねど、午後9時前後の 町屋サイゼリア はどんなところか、といいますと 「独身女の定食屋」 といったカンジでございます。 まず入り口で 「一人です。タバコ吸います」 と自己申告する人率高し。わしもじゃ。 そしてほぼ全員ワインを頼みます。なんてったってグラスワイン90円!!!だからね。250ccのデキャンタが180円!ドリンクバーの値段と一緒よ。酒税をひいたら・・ブルブルブル 原価は想像しないことにします。 ほぼ全員 文庫本や雑誌もしくは会社の資料など持参。 (あのねミッちゃん一人で喫茶店にはいって間がもたないのはみんな一緒なの。でも読むものがあるとなんとかなるのよ) 剛の者は 保険屋さんかなあ 電卓をだして今日の集計をしていたりマニキュアを塗りなおしたりしている。
会社から帰ってきて一人暮らしの部屋に戻る前にワインで心身を緩めるのですね。わたしはゆるんだ心身をこれからの面倒くさい家族との会話のために更にゆるませるためにここで一服つけるのです。家族とは大切なものですが気力体力が充実していないと生気を奪われかねない 此の世で一番やっかいな人間関係ですね。
そしてグラスワインを1杯とピッザやら オレンジジュースと温野菜とドリアやら。 隣のお姉さんは赤のデキャンタワインと肉サラダとキノコのリゾットで終わりかなと思ったら最後にスパゲティアラビアータを追加して驚いた。 みんななるべく野菜と主食という組合せでちゃんと「ご飯にしよう」という意思を感じるご注文。一人暮らしを支えるのは健康だもんね。 そういう自分はライブ後に飲まず食わずでゲームをしていたので日常復帰の意思をこめて ジョッキビールとムール貝とハンバーグつけあわせにグリンピースいっぱい小ライスも頼んでしまった。しかし町屋サイゼリアでは女一人これだけ頼んでもちっとも恥ずかしくない。が、ここで発表しちゃうのは少し恥ずかしかったです。 これだけ頼んで1302円!ビールちょっと残しちゃった。ビールは原価が高いからこの値段だけど、それでもジョッキで380円、みんなみたいにワインにしておけば1000円ちょとなのですよ。
店内はカンツォーネのようなイタリアンポップスの懐メロのようなCDが繰り返しかかっていますが、わたしはいついっても大泉逸郎の「孫」の替え歌(自分作詞) ♪ なんでこんなに安いのォかァ〜 をいつのまにか頭の中で唱えています。 あいかわらずミートドリアはお試し価格280円です。ここまで安いとすこし怖。
どうですか。一人暮らしの働くお姉さんはいっぱいいて、大抵の日の夕食は一人で食べているのです。 男性諸君の一層の奮起を期待する。 なんて 嘘です。殿方とのお食事はたまにでいいよ。楽あれば苦あり。
いま、ベッケルさまに夢中。クリスティーフェア頓挫中。アキチャッタ・・・ ロマン派と言われてもイイ。むしろ言われたい。
まったくねえ。英米文学からしばらく離れるよ。 図書館からかりた、今にも表紙から本文が剥がれそうな古い本ですが。 人間の心情なんぞより、物語のもつ大きなうねる波は、鈍った心を涙で洗ってくれるよ。 十九世紀の人間が中世に憧れるのは世の東西を問わずなのですね。 カトリックの御信心が阿弥陀や弥勒 観音信仰と同じにみえるよ。 格子窓のむこうの貴婦人の白い手は御簾のむこうの女人の気配と同じですね。
でも、まいったのは中世話ではなくて、十九世紀のお話。ベッケルさんが古の王都トレドにスケッチにいって、崩れた屋敷あとのような、塵捨て場のようなところに行き会うところ。 人気のない広場の隅が小山のように塵の山になっていて、かつてのアラビアのタイルや煉瓦やらのうえに、草が生い茂り、背の高い葵が伸び、昼顔の蔓が群れていた、というところ。 そうなのよ。家が崩れ落ちたり、小さな空き地がいつのまにか辺りの暗黙の塵捨て場になると、こういう草花が生い茂り、夏にはなんとも可愛らしいことになったりするのです。 ベッケルさん 東京も同じですよ。 実家の二軒隣の敷地が長いこと放っておかれて、そこでは夏になると、葵や露草、野生帰りした小さな花の向日葵なんかが咲いていたのでした。そこではじめて昼顔を見たのです。うっすらピンクの小さな白いラッパ状の花で、大好きでした。 数年前に建売住宅が建って 以来 昼顔の花をみていません。 それはね、東京の塵捨て場だから、テレビだの蒲団だの夜中にもってきて投げ捨てていく奴がいたし、空き缶がまた変にカラフルで冬には風流とは逆立ちしてもいえなかったけど、わたしはなんだか好きだったのです。 緑に埋め尽くしたくて 毎年オシロイバナやたんぽぽの種をこっそり蒔いたりしていました。 そうそう、建売住宅業者さん、汚れにくいからって、あの濃いグレーの外壁はやめてください。なんだか街が黒っぽくなるよ。
| 2002年11月08日(金) |
わたしの愛した今井くん |
わたしが愛し わたしが殺した 今井くん が歌になりました。 愛にはいろんな形があるね。でも表現しようとすると対象はあれこれでも しまいには似てくるね。 彼らにもてこずらせられたけど、歌にもてこずってるよ。
はてさてふむ、素直になるって難しいですね。今日も美容師サンと思ってもいないようなことをおしゃべり。こういう時ほど、だらだらと馬の小便のように話しがとめられない。ウソ臭さが丸出しにならないように足して足して足してしまう。 馬の小便はみたことないけど、あまり使われなくなった慣用句を無理してつかってみようキャンペーン実施中なので、使ってみたらば始め間違えて蛙の小便と打ってしまいました。これも愛ゆえでしょうか。どの面さげて言ってるんでしょうか。
しさしぶりに銭湯へ。寒くなってきたので、血行週間を早めに展開することにしました。そしたらば夏にはなかった 備長炭風呂が! いままで炭風呂や麦飯石???風呂に入るたびに、会話の流れで 「やっぱりお湯がやわらかいね〜」 「ただの沸かし湯は肌に刺さるようだよね」 のようなことを言ってはみても、ほんとのところ よくわかんない・・・ そんな気もするし、そうだと言われてるからその気になってる気もする。 今日は一人なのでじっくり試そうと、ただの沸かし湯と備長炭風呂を交互にはいってみました。 結果は、先にただ湯にはいるとやっぱりよくわかりませんが、先に炭風呂にはいってからただ湯にはいると、なるほどピリピリするような気がします。 ただ湯の方が熱めだったというハンデもあるし、やっぱり「気」から先の実感までは辿り着けなかった。でも入ったり出たり逆順に入ったり出たりして、血行週間の方はバッチリです。
ここの銭湯はいつでも有線の演歌チャンネルがかかっているので、お風呂上りには毎回、頭の中で本日のインパクト演歌がしばらく鳴りっぱなしです。 今日のインパクト賞は「好きになったひと」 やはり強力でした。ダントツです。 軽やかなイントロで 「お、さよおならさよなあら〜 だな。」 と何気なく聞き流していると、覚えていると思いこんでいたよりもずっとずっとハイトーンのはるみ節。こんなに高かったか・・・と驚きます。 モノマネなんて 足元にもおよばないよ。
日記カウンターが10000回っておりました。はるみちゃんに祝ってもらいました。 ♪ まって・・まって・・まっているのよ いかずにいる〜わ〜 のとこが好き。
自転車に乗るようになって、 「そういえば そうだった」 と思い出されることが多いです。 近所に 日本一の進学校があるのですが、今まで スクーターに乗っていた時に目に写っていた奴らは、大中小そろっている黒くてうじゃうじゃしている集団(実際は濃紺の詰襟軍団)でありました。四月入学したての中学1年生はびっくりするほど小さい子が多いのです。見るからに頭良さそうで、ヒョロヒョロで重いかばんを下げている。 大いなる偏見とともに 勤勉なるアリさん達 将来の日本を頼むよ、と応援したり揶揄したり。お受験シーズンの父母そろっての願書受け付け順並び 徹夜組あり も面白いのですが、今回は関係ないです。
で、自転車に乗って 黒いうじゃうじゃの近くをゆっくり通り過ぎてみて、ああっと思い出しました。 彼らは そうだなあ 印象として87%以上は おしゃれ にまだ関心なし。人口茶髪率 0% 朝のドライヤー使用率 大変に低し。 ということは、みんな髪の毛がおったっているのだ。 真っ黒い髪がすくすくと四方に向かって伸び、引力をものともせず つったっている。ちなみに、短髪率も非常に低い。またすごいクセっ毛率は 非常に高し。
そういえば、自分が中学生の時、ヤンキーでもなくスポーツ野郎でもない男子中学生の髪は こうだった。やけにぴったりした制服ズボンをはいて 眉毛は真っ黒でボウボウ。そして髪の毛は様様な長さの たわし状態。その中に グネグネとうねるクセ毛と無いに等しい薄い眉の持ち主が一人くらいはいた。
印象に残っているのは どうしても ドライヤー命のヤンキー(つっぱりといってもいい)や、いまならば 中田ヘアといっていい(かなあ?)スポーツ刈のヒーローだったから、なんか忘れてた。地味で 子供っぽくて でも話せばわりと面白かった 普通の男子中学生。小学校の男友達の続きみたいに、だからこそ女の子からは馬鹿にされちゃったんだけど、そこにいた。
少年はみんなおしゃれさんになってしまったのだと勝手に思い込んで、忘れていたよ。 やっぱり日本人の髪の毛はまだまだ放っておくと つったつもの なのですね。
わたしは なにが嫌いかといって ひとに利用されることほど、嫌いで憤りを感じ生きていく甲斐がない・・・と思わされることはありません。
だから どうしたって ひとを利用しようと、頭では思いついたって実行できないこともないのです。
ギブアンドテイク! OK ならば、了承をとってみたりしようよ。ならば、それはズルでない。 交渉や駆け引きは、お楽しみであり、水臭いって言い方はもうやめ。
無意識 の罪悪。欺瞞。 言っておくけど、天然ってことばにはわたし サイコウに厳しいからね。
うううん 世にはでるもんだ。 今日 電車に乗っていました! すんません。週に2回くらいしか乗らないのでなんだかお出かけした って気分になるのです。。 22時台の山手線でした。うんよく座れました。隣の女の子2人がいろんな話をしていたので、楽しく聞き耳をたてていました。 二人は英会話学校に通っている。というより英会話教室ジプシーらしい。有名どころを制覇しているらしい。すべて先生はネイティブらしい。 二人はアメリカに何度もいっている。しかもミネソタとか米国人の先生にWhy? と言われるようなマイナードコロらしい。 綺麗な方の子はもうすぐ結婚するらしい。グアムでらしい。不満らしい。本当は米本土のロス郊外とかミネソタとか 行きたいポイントがあるらしい。 ハロウィンの買い物が大変だったらしい。クリスマスものもどうなるのか楽しみでならないらしい。去年のクリスマスものはよかったらしい。
これらの会話は全部 ある共通項の元に話されていて、目的も同じ。二人にはいつものことなので固有名詞をなかなか発してくれない。なんなの?なんなの? あと2駅で降りるよ というところでやっと口にしてくれました。 二人のこれまでの会話はすべて すぬ〜ぴ〜 で結ばれていたのです。 二人は強力な すぬ〜ぴ〜好き で、アメリカにある すぬ〜ぴ〜関連の施設 遊園地とかいろいろを尋ねるために 英語を学び観光地でないところにでかけ、各イベントごとに売り出されるグッズを買い集め、仲間と情報交換し、結婚式だって本当は すぬ〜 の聖地でしたかったそうなのです。
わたしは感心しました。なんちゃらタウンのプラチナチケット という なに?もっと詳しく聞かせて な話題で自分もより駅についてしまい、しぶしぶ降りたのです。 どんなマニアがいてもおかしくない。マニアなら人生の目的をすべてそこに捧げていておかしくない。 すぬ〜ぴ〜 には世界中にファンがいることは知っている。 しかし 電車の隣のまあ可愛いらしげな20台後半なOLさんが そこまで深くひとつのものにのめりこんでいるとは思いもよらないでしょう。 そして すぬ〜ぴ〜。あの誰もがしっているかわいらしい犬のまんが なのに さすがマニア。 二人が話していた内容のうち、名詞ぶぶんは ほとんどわからん 素人さんには なにがなにやらチンプンカンプン だったのでした。 とにかく 二人は すごくお金を使っていることは確かです。すぬ〜 の為に働き 稼ぎ そして使う。 感動しました。ありがとう がんばってね。
| 2002年11月02日(土) |
若さだよヤマチャン だっけ? |
少し前に お風呂上りの5分間のお顔で一日いられたらいいなあ、自分が18歳なような気持ちになれるから、てなことを言っていたようだけど、その時わたしは冷静ではなかった。前文に流されていた。ちゃんと考えずに書きました。 年相応なこと書いてみた。その時は気づかなかったけど、そういうことだった。
だって18歳の頃は 自分の若い容姿が気に入らなかったもんね。客観的にみてもやっぱり今の顔の方が好きだよ。ちょっと乾燥してたり笑い皺あったりするし目の下の隈がなにをしても消えないけど。若いってことは全てをOKにするわけじゃないよねえ。 赤ん坊の頃からたいした変化のない顔なのでなにも劇的な変化 前後 というわけじゃないけど、なんというか、10代の頃はもちろん鏡をみる自意識は十分たっぷりあったけど、それだからこそか 顔がうっとうしかった。中身は顔にでるね。
自分がなんというか、若いということに困惑していたような気がするなあ。 自分=若い女 の使い道がわからなかった。もったいないことをした。けど、それが一昔前の自意識のありすぎる女の子だったのかな。使い道をしっている 使ってる子もいっぱいいたけどね。 ああ、無駄な抵抗をせずに 使いたおしてみればよかった、とまーだアガサ・クリスティーを読みつづけていてそう思います。
自分 自分 自分 わたし わたし わたし というのは男女にかかわらず今の時代の呪縛ね。少し前の小説のなかの 若いお嬢さんは楽しいことや魅力的な男性のことで頭がいっぱいなことは あたりまえですよ それが普通ですわ とか年上の女性にニコニコされたり馬鹿にされたり 男性から やれやれまったく若い女の子というものはまったく手におえんよ なんて思われたりするような存在から 若い女だってちゃんとした人間です でもちゃんとした人間の見本なんてないからあれこれ自分探しに奔走している存在になって どっちがいいかっていったら うんと離れてみれば 後者のほうがいいようにも思うけど 本当にそれぞれ探せるのか疑問だし 探してみたら結局昔馴染みの人間ステロタイプに収まるのかもしれないし。 人間は一人ひとり全部違って それぞれがオリジナルで だから一生じぶんらしい本当の自分をもとめるのだ、に賛成したいけど、疑ってもいる。前半は気持ち的に賛成しておきたい。でも後半は そこにいるだけでオリジナルなのにそれだけでは駄目なのか?嘘つこうが飾ろうがそれもふくめてでいいんじゃないの? 一生不安なの?自分はこうだって安心しちゃだめなの?それって苦しい。
少し前のお話のなかの人間は 自分ってこうだ って自分も周りも承知した役割や居場所がある。「周りが」は引っ掛かりどころも多いし、「自分が」も本当に満足かってつっこみどころもある。 でも、満足なひとは満足だったし、ここじゃいやだってひとはいやだったんだろう。なにをあたりまえのことを言っているのかって そういう安心に満足なひともいたんだから 全部だめな社会ではなかったんだろうな と。
生ぬるい世界に唾を吐くぜ とことばにはしなくても 10代なら考えそうなことですだ。自分が若い女の子なのはわかってるの でも知りたいのはそういう場所にいない自分なの、とか思っていそうだ。ずるいようですが実際どんなことを考えていたかなんて忘れちゃったよ。おとなってずるいってのは本当ですね。
だからお風呂上りの5分間の 頬がうっすらピンクで肌水分たっぷりで、瞳が潤んでいて おお18歳! から思うのはいまの老嬢たるわたしがこれなら若い女ぢからを使うぜ という実際にはいなかった18歳の自分なのですね。ずるい! ずるいからこそ 甘やかしてくれるなら甘えておけ 使えるものはみな使え 幸せ感を手に入れたければ くだらない自意識よりそっちのほうがいいんじゃない? と他人になら言えるのです。18の頃の自分なんてもはや他人だよ。
昔ながらの言い方ですと、ああん わたしがあんた(お風呂上り自分)ぐらい若かったらアレもコレもしちゃうのに〜。 でも これもいきおいで言ってる可能性大。うん 矛盾してるけど、人間年をとったくらいではそんなに変わらないよ。経験がひとを変える。考えるとたいした経験してないにょう。
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