痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2003年03月30日(日) 巴里日記��

これは見た話ではなくて、聞いた話。
フランスでも、
普通のおうち つまり大金持ちではないおうち 
のトイレにはカレンダーがかかっている。
それも買ったカレンダーではなくて、もらったカレンダー。
わが実家の三階のトイレは毎年 よしざわ花店 のカレンダーと決まっていますが、フランスのご家庭のトイレにも まるせる鳥獣肉店 とか ふぉしょんチーズ店 からもらったカレンダー 店名+電話番号いり がかかっていて、家族のみんなは毎日なんの疑問もなく、トイレをつかうたびに一年間それをながめているそうです。
ママンが年末にいそいそ掛けかえるらしいよ。
トイレの壁にむかいあったとき なにか眺めるものを欲しいと思い、カレンダーを選び、宣伝つきでもいいや、むしろなんでダメなの?
これって世界中のふつうのママンの本能なのかしら。

公衆トイレ お店や公園なんかの は以前よりずっとキレイです。
くやしいけれどこればっかりは アメリカナイズド万歳。
汚れ仕事をするひとがいっぱいいることもあるかも。

あ、アメリカナイズドついでに、ご家庭にウオシュレットがひろまるといいなあ。トイレットペーパーかたいんだもん。



2003年03月27日(木) 巴里日記��

何年かごとに訪れるたびに、カラードの人々がすごい勢いで増えていくです。
今回はセーヌの右岸をおもに行動していたので特に。最後の方で左岸の街にいったらまったく違う国。たぶんこちらが普通に巴里ときいてイメージする風景ではないかしら。
イエローは、たぶん日本人は戦争のためキャンセル相次いだようで、オペラ座周辺もジャポン大買い物軍団はあまりみかけず、かわりにエネルギッシュな中国語がかなり飛び交っていました。
さすが、日の出の勢いの経済成長国だ。
労働者風の女のひとは、東欧・ポルトガル・南アジア 系の顔。
ブラックの人々は、もう老舗の貫禄。
なにより問題なのは、あ〜いいにくいけど、アラブの人々みたいです。
スリやひったくりも、以前のようにジプシーの子供たちではなくて学校にいかないアラブの子供たちが中心。
メトロのエレベーターでホワイトのおばあさんのかばんに触ろうとした子供をおじいさんが怒鳴りつけたら、とたんに猿のように飛び掛ってきて老人と子供の殴り合い。
ちなみに、二人ともしっかりファイティングポーズ(ボクシングのように)を取る。おばあさんがポリスと呼んで!と叫んでもだれもあわてない。まわりはわたしもふくめて観光客とカラードのひとばっかりだし、子供たちはあっというまに逃げちゃうから。

食べ物も観光めし以外はめだつのはエスニックフードばっかり。昔風のビストロとか減っていたなあ。
世界中の先進国の移民問題がダイナミックにわかりやすく展開中。
なにしろほとんど旧植民地人だったりするからね。過去のつけがまわってきてるんだけど、普通にまじめに暮らしていたのに、彼らによって安全や思いやりのある社会が踏みにじられた、と感じているもともとのいわゆる仏蘭西人の怒りや無力感や嫌悪ははげしいです。

でも、巴里を一歩はなれると、昼間でも人っこひとり歩いていないどこまでもまっ平らな畑に変わりはないよ。



2003年03月13日(木) 眠れるといいな

ぐずぐずと、飛行機で10時間以上起きているのは苦痛ですね。毎回寝ないで行って機内食とともにワインを飲んですぐ寝よう、とばっちり計画的に物事を運ぼうとするのですが、それにこうすると、当日までまったく荷物をパッキングしていなくてもなにしろ一晩中時間があるのでますますよいのです。これも持っていこうと思いたってシャツを洗濯したりもできる。
それはそうと、荷物のパッキングが大嫌いなのですが、あのギリギリもうやばいところまでやらずに横目でにらんでいるのは、試験勉強と似ています。

しかしこの計画はいつでも絶対に眠れない、という理由によりガタガタにくずれさるのです。なにしろ、入国審査の際には36時間以上起きていて、かつ飛行機の中でワインやビールをチビチビ飲みつづけ(あくまでも眠ろうとして!)むくみにむくんだ出目金を越えランチュウのようなお顔で
「さいとしーいんぐうぐうぐ」
とか言わねばならないのです。最近は聞かれないけどね。
今回は母に借りた風船まくらを持っていくぜ。あんなにカッコ悪いと信じてきた便利グッズだぜ。

友人としばらく連絡がとれなくて、家族になにかあったんだろうと思っていたのですがやはりね。いつまでたっても ご愁傷様です は言えないなあ。
人生どんな小さな旅でも水杯だぜ。と、金魚をとりにきてくれた父の背中をみて頭を下げました。



2003年03月10日(月) 疲労コンパイ

困憊か。コンパイまたはクンバイと表記されてたりもするけど、ブエナビスタの精力葉巻じいさんコンパイ・セグンドのコンパイはcompan~ero仲間・ダチ・同志の意だったのですね。こんなことさえ、わからないんだよね。

やっと、明日で、長かった労働の日々がおわり、バカンスにいってきます。
毎日まいにちこういう生活をしていると日々はあっという間にすぎていくね。
両親が、働きだして所帯をもって子供ができてからは、今日まであっという間だった、と言っていたけど さもありなん。
生活のやらないとまわっていかないようなことを、疑問をもたずにこなしていくと、あっというまに眠らないとまずい時間がやってきて、あっという間に明日になる。
ここしばらくハマリヤスイわたしは加速がかかっていく時間刻み生活に快感さえ覚え、毎朝布団のなかでまず考える
・今日はなにを着ようかな
を前日寝る前に考えておくことにして、もうひとつの
・今日はなにして遊ぼうかな
を考えるのをやめていました。かわりに、
・今日のお昼なに食べよう
を最大の楽しみにしていたよ。

どう生きようと、どう生きると楽なのかも、ひとそれぞれだけれど、わたしはコレ系は長持ちしない。こういう日々も期限付きの遊びのようにどこかで思っているみたいです。そうでなければバブルをなんの恩恵も痛みもなく通りすぎたけど、それは目の前にぶらさがっていたから手を伸ばせば今ごろ1DKのマンションくらいは持っていたかも。そして今ごろ税金とか面倒で購入価格の1/2くらいの値段で手放していたかも。いや、それを売って頭金にして3LDKかなんか買っちゃってローンに苦しんでいたかも。

快楽といえばお風呂だねえ。大きなお風呂はほんとうに魔法のよう。自宅のお風呂は清潔・習慣・洗濯と同じ。大きなお風呂でゆっくり髪をあらって身体を洗って、まったく身体を折りたたむことなくお湯につかっていると、干し椎茸のようにネジくれていたからだが、もどし椎茸のようにふっくら汁気たっぷりになったように感じます。
寒いけどピンと澄んだ夜の空気の中を部屋にもどるときにはいつも素敵な世界にいきているなあ、と思うのです。夏の夜には さらっとした肌に昼間よりはやさしい生ぬるい風があたってどこかで虫が鳴いていたりすると、愛してるなあ、と思うのです。
しかし、深い快楽は激しい疲弊を呼ぶ。長いゆっくりしたお風呂のあとは、もうしんからくたくたのタコ状態なのです。
あと1日だ。万歳。



2003年03月09日(日) くりの実

X−DAYは17日らしい。
いちいち、夕刊紙のビラに踊らされる日々。
えっくすでい?既に、ゴーサイン待ちなんだよね。やる気の問題じゃなくて、損得勘定の日程なんでしょう。

今日フランスのお土産用に買った童謡のCDのパッケージを勝手にあけて激しく聴きこんでいます。
歌の中にでてくる一番美味しいそうなもの。わたしの心のナンバーワンは、
「里の秋」
の ”栗” です。

現実にはゆで栗ってキライなんだけど、この歌の中の、

♪ くりの実 煮てます いろり端 ♪ 

の、くりの実。甘くて、噛むと森の味がして、ほくほくで、ほっぺたがおちそうなんだ。きっとそうだ。
ことばとメロディのなせるわざ。
”実” なんだな。ツボは。体言どめで終わる詞。なだらかに下りてくるメロディ。外は寒いけど家の中は暖かいんだよ。きっと。

☆ ちいさい秋みつけた は歌詞はもちろんすばらしいんだけど、いつきいてもイントロが、これ以外のものは考えられない。みんなそう思うのか、いろいろアレンジされても、イントロのメロディは不変です。

☆ かあさんの歌 は手袋編んでくれた1番の歌詞ばかり使われるので、続きの歌詞の印象が薄いですが、3番で かあさんは痛いあかぎれに生みそをすりこんでいます。いかん。そんなことしちゃ。よけい痛いだよ。油をすりこむんだよ。ないのかなあ。

☆ だんぜん、「ひばり合唱団」を押すね!「すずかけ合唱団」は、くどい!なんだその甘ったれた歌い方は!こびるな!も〜娘こまっちゃくれ版め!

☆ あこがれの、錦織けん様への愛 再燃。 浜辺の歌 う〜ん、やっぱり
椰子の実 だな。”実”に弱い・・・



2003年03月07日(金) タイミング

どうも、フランスに出発する日に戦争がはじまりそうです。
二アなかんじです。とりあえず保険は掛けてみますが、戦争・紛争時の巻き込まれって普通は保険対象外なんだよね。
いや、なにかあったらあの国が賠償してくれるのだろうか?
懸命にみみっちく応援したこの国の飛行機まで巻きこまれたら、なんだかもうお仕舞い。深く哀悼と遺憾の意をしめされるのでしょうね。
よし、死亡保険と事故付随費用(親が遺体を引き取りにくる費用。その場合特別機が用意されるのかしら。来られても引き取れるものが残ってるかしら。)は潔く省略して、傷害と医療保険に限定しよう。
いい年をして、出先やイベント前の盲腸にいまだに怯えるわたし。3大流行り病も、インフルエンザも食アタリも罹ったことがナイので、なにひとつ、これは心配しなくていいんだもんねえ、というものがない。

なにかことがあってもうちの両親にはなにがなんだか、でありましょうから、13日のANAになにかあったら、ぜひ皆さん大騒ぎをして、両親にがっぽり賠償金が手に入るように協力してあげてください。



2003年03月06日(木) 無意識

なにも考えずに身体が動く。
思ってもみないことをやっている。

不思議。

たとえば、今日わたしは御茶ノ水から帰ろうとして、たしかに地下鉄のホームで、
「2番線に我孫子行きがまいります」
というアナウンスを聴いたのに、気づいたら例によって大手町にいました。
わが生涯、なんど用も無く大手町を訪れたことでしょう。大手町が上り下り同じホーム向かい形式であることだけが幸いです。いや、痛い目(階段を上り下りする)をみないから身体にしみないのかも。
外国の映画によくみるジェスチャーのように、頭ノックノック「お留守ですか?」
もちろんお留守だったんです。

駅の階段の踊り場にでていた古本屋でたったいま買った文庫本が上下2巻セット400円だとおもっていたのに、エスカレーターでみたら、同じ本が2冊輪ゴムでくくってあっただけで、自分は千円札をだして、おつりを見もせずに財布にしまってしまったが、この2冊の本にはそれぞれ400円の値札シールが貼ってあり、お店のひとはしっかり800円領収したのかもしれず、200円のおつりも600円のおつりも銀色の硬貨2枚だから、わたしは600円財布にしまったと思っているけれど開いてみたら500円玉はどこにもないかもしれない、けど雨もふってきたし地下鉄はもうホームに着いたし早く帰って今さっき買ったこーじーこーなーのチーズケーキを食べながらこの本を読みたいわけで、万が一800円支払っていたとしても階段を上って返しにいくのもどうよ、ねえマユちゃん。
こんなことをぼんやり自問自答しながら目の前の地下鉄にのって文庫本のカバーを毟り取ったり、こっちの汚い方は腹が立つから捨ててしまおうせっかく上下巻の長い話だと思ったのにすぐ読み終わってしまう面白そうだったらとっておいてフランスで読もうと思ったのに、そういえばむか〜し、1ヶ月スペインをブラブラしていた時に行きづりのひとにもらって読んだ「火宅の人」は日本にいたら絶対にすすんでは読まない小説だけれども面白かったなあ、なにより長くてよかったいつまでも読み終わらない本はいい、でも無頼派にかぶれて帰ってビデオでみた映画「火宅の人」はつまんなかったなあ、とドアがあいたので、見たら 大手町だったのでした。

このようにとりとめもなく頭はなにごとか浮かんだことがらを追っていてこの流れのどこにも目の前の車両が1番線なのか2番線に着いたのか確かめた瞬間はないのでした。
なのに、身体は動いて地下鉄の乗り込んで吊り輪をつかんでいたりする。

不思議です。

蛇足ですが、財布には500円玉はいってました。チーズケーキはもう食べてしまいました。本はむかし読んだことがある本でした。訳者がかわって、題名も微妙に違う新訳&出版社が違う でした。むかつく。更にむかつくことに、ちらっと読んでみたら新訳は味気ない文でした。訳者がどう伝えたいのかなにも伝わらん文でした。
以前、本編と続編で訳者が違い「父さん」が「父ちゃん」に また別の本では姉の名前「グロリア」が続編で「ゴドイーア」になっていた時にはショックを通り越してあきれたのですが、それは原文を読んで訳者が日本語でこう読んでもらおう、と選んだのでしょう。
でも読者のこと考えてないよね。

そういえばホームの最先端で、千代田線の走り行くさまをデジカメで撮っていたひとがいました。ホームページのアドレス教えてください、と自分がシンから変人だったら尋ねることもできたのに。





2003年03月04日(火) 骨力ー陰影礼賛ー

日本昔話のことばかり書いていた時期があって、いま、なにを読んでいりゅかというとドイツ昔話ですだ。忠誠のね。
ああ、昔ってみんな貧乏だった。お金の問題も既にあったけど、なにより食べるってことが大変だった。
ちなみに、近代フランスの話も平行して読んでいるのですが、19世紀の終わりにきても田舎の土地無し百姓は、納屋で寝てたりするっす。
そしてみんな乱暴で粗野で盲信で、自己保存の前には、友愛とかシンパシイとか無かったっぽいよ。そんなのみんな余裕のなせるわざなのね。
中世ドイツも近代フランスも日本昔話も、食うか食われるか、騙すか騙されるか、喜劇も悲劇もみんなそこから、動物への擬人的な比喩話も、東西同じようなものなのです。

きっとみんな病的な肥満を除いては、痩せてたんだろうなあ。
顔だって、頭蓋骨の形がありありと分かるようだったんでしょう。

ずっと、皮肉なこと極まりなしと思っているのが、人間は自分自身の顔だけは見ることができない。まあ、背中は置いておきましょう。手・足・腹・指 OK。
鏡でみる自分の顔は当然反転した顔なんだけど、それ以上に立体として自分の顔をとらえることができない。
写真は無理やり平面にしたものだし、微妙なタイムラグの中での表情だから、誰でも違和感をもつ。鏡像の認識とさえずれてるわけ。いずれ3Dが発達すれば、とは思うけど、どうだろうね。まだまだ3Dは何千年も前からある彫像に、なかなか勝てないと思うよ。結局ホログラムの可能性はあるとしても、3Dを2次元で再生する現状では、笑止。立体って、つまり頬に両手を添えてみる たとえ触れられなくても 視覚と触覚(の記憶)と、人間の認識って多角的。

形には凹凸があって、見るということには光が必要で、二つをたすと陰影ができる。よく言われるように、アルカイックな仏像に、人間的な感情の発露を感じるのは陰影による印象の変化が大きい、とわたしも思う。
(思い出編。わたしは以前仏師になりたくて、彫刻刀で、よく大好きなお地蔵さま あえて如来にならない仏 を彫っていましたね。青春ですね。みんな似たような地蔵顔でも鼻スジと目のくぼみ 頬の輪郭で、みんな違う顔になります)
表情をかたちづくるのが、肉 筋肉や柔らかい脂肪だとしたら、そしてそれらはかなりの割合で、自力で変えていけるのですが、あるひとが、一瞬 外の世界へ意識
を向けることを忘れ、無防備に、無表情になったときに、他人が受け止める印象は、肉の中にうもれた骨がかたちづくる、絶対に自力では変えることのできない、骨の凹凸、そこに光があたり浮かびあがる立体感ではないのかしら。

眠るひとや死んだひとを眺めるとき、笑った顔、怒った顔、記憶にたくさんある彼らの印象はあっというまに遠ざかり、静かな、変わらないものをそこに見てきました。やがて寝返りをうち、少し口をあけたりした顔に、焼け残った頭蓋骨の硬いしっかっかりとそこにある質感に、なぜだか同じような ほっと息をつけるような安心を感じました。
なぜなんだろう。
これは始めて考えることかも。
「在る」
ということかしら。
生きている、ということ。また逆に肉は消え、記憶は薄れてもすべてを形づくっていたものは手に触れるることができる「これだったのだ」というあっけらかんとした確認かしら。
人間が人魚姫のように泡になって消えたら、むしろ残されたものは救われないのでは。不安かも。修道僧が、頭蓋骨を手元において、メメントモリと唱えたことはとてもよく理解できます。
目に見える手に触れることのできる形がうつろう色であったとしても、あるのだ、あったのだ、という この過程をすっとばしての悟りは欲しいとは思わない。
貪欲に確認したい。手当たりしだい、見て 触れてみたい。
肉に埋もれた他人の骨を垣間見てみたい。
もう面倒だから、どうぞわたしの頭蓋骨の形でもみてください、わたしは見たことないんだけどね、と世界に投げ出してみたい。
でも美味しいものが大好きなので、肉はまとわりつたままだけど。
それに、骨が剥き出しの、本質まるだしの世界が楽しいところだとは、思わないけど。 

酔っ払って泣いたら、グラスにいっぱいのお酒をこぼしてしまい、情けなさに笑いなきして、頬骨のきれいな俳優をテレビでみていたら いつのまにかこんなことを書いていた。
注)読み返してません



2003年03月03日(月) 休日

自業自得とはいえ、ここ20日ばかり一日も休まず働いていたので、今日のお休みは待ちどうしかった。丁稚奉公にきて、初のお盆休み というかんじ。

洗濯して、ゴミをまとめたり、消耗品の買い物をしたりして、さてなにをしようか。図書館にいって、パリ情報を集めてみるか、まず頼まれていた買い物のため合羽橋にいこう!で、グズグズしていたら雨が降ってきてしまいました。

もうこうなったら 昼ビールしかないですよ。

気持ちよくなったところで、お布団に本を持ちこんで眠たくなったら寝るです。

天国です。

それに今日は ひな祭り なので、女の子のために つまりわたしの為に、すてきなものを買ってあるんだ。

すいか だ!

なんという贅沢。お目覚めの乾いた喉。その時に食べようっと。


そうそう、わたしは男の子を生んだら ”蓮 レン” ハスの花 ロータス が大好きなのでこの名前をつけようと思っていたのですが、どうもこの先なさそうな気配。描いていた人生ドリームがひとつひとつ遠ざかっていくなあ。
そんなことを一言でももらすとママちゃんから
「大丈夫!戸川昌子なんか40すぎて子供生んだんだから!」
と言い出すので黙ってよう。
いやだ、戸川昌子をひきあいにださないでくれ。あまりに昭和的。そしてあのヘアスタイル。

そんなくだらないことしか思いつかない。それもまた休日。



2003年03月01日(土) 紙一重

谷村しんじ は惜しかった。
テレビアニメの宇宙戦艦ヤマトのテーマを作曲したひとと組めばよかった。
そして、壮大な懐かしいような曲ばかり創って世界に売りこめばよかった。
そうすれば、もしかしたら昨年のサッカーワールドカップのテーマ曲は彼の作品だったかもしれない。

と、ラジオから流れた ヴァンゲリス の日韓ワールドカップのテーマ曲を始めてフルで聴いて思いました。
ヴァンゲリス。毎日何回もNHKで流れたあそこの部分以外は あれれ?と思うほど情緒的で、オリエンタル趣味(日韓だからかな?)。
”昴”に似てるなあ。(前半だけね)中盤は、琴かしら?ってな音色で刻みが入って、”あそこ”になって、静かなワクワク感で終わる曲なのでしたが。

いけたよ。しんじでも。しかし、しんじだけでは多分ダメで、そんなに目を眇めて遠いところばかりみていないで、でもチャンピオンみたいに、男の美学しかも敗北背後に女そしてウソクサイを+してもダメで、ここはいっそジャパニメーションのサイコウにカッコイイ迷いのないトコロもってきて、ヤマト発進 ってかんじでドウダ!

いけたと思います。でも、似たようなもんでもヴァンゲリスは足さなくても しんじ+ヤマト+マラソンランナーなので、もう負け負けに負けなんだけど。

マラソンランナー ほとんど≠南極物語 だったことを考えると買かぶりすぎかしら。 


紅白歌合戦で、しんじが 百人の男性コーラスを従えて ”昴” を歌ったことを思い出してしまった。あれが彼の人生の絶頂?


 もどる  もくじ  すすむ


ITCH [HOMEPAGE]

My追加