痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2003年04月28日(月) 浮世風呂

下を向いて髪の毛をプワプワとタオルで拭いていると、
「あら、このカレンダーうちのと違うわ!」
というおばさんの声。
(あたりまえじゃないか、なあ)と思っていると、
「あら、おたくもこうしつは?」
(こうしつは??? おお、わが国の王家のことね。そういえばお風呂屋さんはどこもこうしつはが多いなあ。)
「んん〜ん、ほら、ね、姪がクナイチョウにつとめてるからね、どうしてもね買うのよ」
(おお、コレがいいたかったのだな。もう一人のおばさんの反応はどうかな?しかしクナイチョウってどうやって就職するんだろう?公務員試験か?)
「・・・」
(あ、返事しないや。まあ今ひざのシップを剥がしてて忙しそうだ。姪話、聞き飽きてるのかな。)
「よくテニスしてるのよね。」
「おたくのカレンダーはそういう写真なの?」
「みちこさんとかあきしのさんとかね。」
(そうだなあ、あの一家はよくテニスしてるなあ。みちこさんも次男のほうが誘いやすいのかな。)
「上手よね。」
(うまいのかなあ。カレンダー用の写真はラケットを振るポーズをとってるのかな。)
「(少しイラ気味に)好きなのねえ。だからよく誘われるらしいのよね。」
「ああ!(やっとわかった)姪御さん?」
(おお!おばさん。わたしもやっとわかったよ。もう遠まわしスギ!)
「よく誘われて一緒にやってるらしいのよ。」
「それは、普通はめったにできないことよねえ。」
(ノリがわるいなあ。やっぱり聞き飽きてるんだ。いひひ。)

しばらく着替えや身繕いをする二人とわたし。

「でも、あれですって。やっぱりものすごく頭がいい方なんですってね。一度あったひとの名前はけっして忘れずにちゃんと”○○さん、お元気でした?”って。絶対間違えずに、すら〜っとでてくるんだって。」
「・・・」
(それがお仕事だもんなあ。逃げずによくつとめてるよなあ。しかしおばさん�,蓮△Δ舛量鼎量樵阿盂个┐蕕譴討い襦△箸いい燭い里�な。)
「とにかく優しい方なんだって。おつきの人のちょっとしたことも覚えていて、なにかちょっとしたものをくれたりするんだって。いい人らしいのよ。ほんとに!」
「やっぱりねえ。えらいのねえ。」
(おばさん�△倭衒僂錣蕕魂硬拂磴い覆◆L鼎呂覆砲鬚發蕕辰燭里�なあ。ちょっとしたことってなんだろう。誕生日とか?)

靴下をはいたり、パンツを脱いだりする二人とわたし。

「(苦笑)この間たばこもらっちゃった。菊のマークがついてるの。」
「まあ、たばこ。」
(うちの鎌倉彫り職人の従兄弟もおうじさまの結婚式用のなにか(お輿みたいなもの)をつくってた時にもらってたなあ。)
「自分は吸わないからって1本くれたのよ。」
「・・・」
(1本とは、ケチクサイねえ。親戚中に1本づつ配ったのかな。)

この辺で、おばさん�△�こうしつはの話にまったく食いついてない為か、ネタがつきたのか、その姪っ子の51で死んだ母(おばさん�,遼紂砲良袖い力辰砲覆辰討靴泙ぁ△�ばさん�△亙命佑里茲Δ縫ぅ�イキと興味をしめしだしたのですが、わたしは興味がないので、おさらばしました。

でも、菊のたばこは、森鴎外ももらってたし、昔からちょっとしたお土産はコレなんだね。吸わないひともいるのにね。
しかし、みんなもらってもひとに1本づつあげちゃっては、もらったみんなは神棚にあげたり、へその緒と一緒の引き出しにしまったりしてしまうので、吸ったひとの話しを聞いたことがない。中身はなんなんだろう。昔のは、”敷島”だったと読んだような記憶もあるけれどなにかとごっちゃにしているかもしれない。いまなら七星マイルドとかかしら。ぴいすだといいな。
それとも昔からずっとオリジナルブレンドを年間お土産分、注文しているのかな。



2003年04月23日(水) nunca olvidare'

「おねえさん。お尋ねしますが いまは朝ですか。夜ですか。」

道を歩いていて こんな質問をされたら、どう答えるべきでしょうか。
優しいひとは、
「おばあさん、一人なの?おうちはどこ?送っていきましょうか?」
そういう流れになりそうです。でもわたしはそんなに優しくないので、
「いまは、夕方です。四時くらいです。」
と、答えました。彼女は
「夕方ですか。それなら薬を飲まないと・・・」
と、またどこへともなく歩いていきました。

彼女はたぶん自分が起きてからどれくらいたったのか、この世界の明るさが朝のお日さまなのか夜の灯りなのかは、わからなかったのかもしれないけれど、夕方には薬を飲まなければいけない、ということは覚えていたようです。
そして、わたしの返事に満足したようです。
少し観察して、足取りがしっかりしていること、服装がきちんとしていてはいかいの匂いがないことから、放っておくことにしました。
いくらなんでもそこまで優しくないわけではないので、怪しい匂いをかいだらば、しばらく尾行して車にひかれないように密かに見張ろう、一層やばげならばとりあえずうちに連れて行こう、くらいは思ったからです。

町を歩いていると、地元でも大阪でも巴里でもどこでもいろんな人ががいろんな言語で話しかけてきます。すべて質問です。ほとんどは道をきく目的です。
世の中には道を聞かれやすいタイプと聞かれにくいタイプがいるようです。それは地元臭や、愛想とはなんの関係もないようです。まわりに居る前者タイプもモヒカンヘアがいたり、おじさんかおばさんか一見わからないおばさんがいたりです。アフリカでどうみても東洋人でもおかまいなしです。
我らがどんなサインをだしているのかはわかりません。わたし自身は地図やマニュアルに強いほうで、まず行きずりのひとにものを聞いたりしないので、道端や駅の切符売り場や銀行でなにごとか困りはててしまい誰か・・・ とあたりを見回している人が、通り過ぎる群集の中からなぜ、前者タイプを指名するのか分からないのです。

この用件のはっきりした話し掛けはひとまずおいておいて、ほかに話し掛けてくるのはほとんど老人です。それから家のないひとです。近頃は夜の街をウロウロしたりしないので酔っ払いに話し掛けられることはほとんどなくなりました。
これらのひとたちの共通項は乱暴にいえば、世の中からまともに相手にされない、ということかもしれません。動いている世界とはもうほとんど関わりがないからです。最初のおばあさんのように世界を認識しなくなっているひともいます。
だから話し掛けてくることも大抵はどうでもいいことです。
「あんた東京のひと?」
「(あんたの)お母さんは元気ですか?」
「あしたも寒そうor暑そうだ。そう思わないか?」
「わたしの人形or犬or自転車etcをみたことあるか?」
「(わたしの)兄嫁の名前を忘れた。しらないか?」
返事も簡単です。
「そう。」「ちがう。」「そうかもしれない。」「しらない。」「わからない。」
そして大抵はこれ以上会話が発展したりはしません。彼らにその気はないのです。これは退屈で好意にあふれた老人から公園のベンチや電車の席で話し掛けられるのとは違うのです。たぶん彼らはわたしの顔なんか見えていても見てないし、当然人柄も興味ないでしょう。質問だって自問自答のようなものです。返事が返れらなければまた別の受け皿がくるのを待てばいいだけのようです。

こういう時、返事をするタイプとしないタイプもいるわけです。わたしがするタイプなのはたんにクセで瞬間的に返事をしてしまうので、係りをもったという感覚もありません。思い切り避けて歩いたり無視したりするひとと大して変わりはないのでしょう。むしろ普段返事をしないタイプの方が、いざとなると話し込んだり助けようとしたり善意のひとになるような気がします。気のせいかもしれないけど。
人とのかかわりの深さの好みかしら。
わたしの好みでは、質問したらまずその返答を聞かせてほしい。
自分があやうくみえていたとしても、倒れない限りは黙ってみていてほしい。
みんなそれぞれ好みがあって、他人と係るときに自然にそれがでるのではないかしら。

わたしとしては今日のおばあさんは「朝か夜か」を聞いていたので、「朝でも夜でもない。夕方だ」と答えればよかった、と少し悔やみました。が、夕方という答えから薬を飲むということを思い出させたならいいか、とも思いました。まあ朝でも夜でも=薬を飲む という回答がでてきたのかもしれませんが。

忘れるって面白いですね。同じように 覚えている、ということも。
昨日ひさしぶりにamiのことを思い出し、思い出したことで幸せになったということをコレを書いていて思い出しました。



2003年04月18日(金) そこまでやるのか

うちの近所のスーパーマーケットがこの4月から、なんと深夜1時まで営業している!
このところ自分でごはんをつくっていなかったから今日知ったの。
以前も夜8時まで が9時までになり、とうとう10時までになった時には、
やるなあ、コンビニの食品は高いから助かるなあ〜
と、思いながらも9時過ぎに食材を買いに行くこともあまりなくて、だって10時ごろから料理する気になれんでしょう、結局昼間にしか利用していなかったんだけど。
なんで?
近くに24時間営業の、にくのハニャマサがあるので対抗したのかな。
でもハニャマサもどんな時間に通りかかっても煌煌とデンキがついているけれど、いくら業務用中心とはいえ、明け方にお客さんがいっぱいなんてみた事ない。
どんきほーて とは違うよ。
らいふ よ。それでも開けておいた方がいいの?少しでも売上があがるの?
きっと少ない人数でレジ1つでまわしているんだ。店長の寿命はまた縮む。組織強盗に襲われたらひとたまりもないね。
12時頃に、トイレットペーパーがきれたりすることがあったら(今まで一度もないけど)行ってみよう。ポイントカードもあるしね。

さて、この馬鹿陽気で、昼間は暑いッたらないのに、マイブームは 鍋 です。
あつい。けど、汗をながしてひとり鍋をつつき、最後にうどんをいれている。
池波正太郎の剣客商売の再読をはじめてしまったのが原因です。
しょっちゅうでてくる”小鍋仕立て”にまいってしまったのです。彼の銀座日記を読んだりすると こんどは洋食魂に火がつくので気をつけよう。



2003年04月16日(水) うかつ

美を追求し忘れてここまできてしまった。
なんというか、あんまりイジラなくてもなんとかなってきたので、人前といってもバイトや友達の前では超いいかげん。まゆげさえ無い日も多々あり、ステージでもいじってもたいして変わらない、といいわけをしつつ、いつもより厚く塗る程度でした。
スキンケア、もねえ。トラブル対処はいろいろやったのよ。でも大抵は漢方薬や薬草茶、入浴法、水飲み健康法などで、顔にいろいろ高価なものを塗る作業は、
わたしのやり方ではない
と無視してきました。
でも正直にいうと高いのに信用できないのがいやだった。仮にすごく効き目があってもそれからモノにすがって、それなしでいられなくなったら・・・薬に振り回されて、もっと高くてもっと効く薬を買うためにたくさん働く羽目に陥るのではないか、悪い事もするのではないか、と心配だったのです。小心者だからね。
ドラッグNO!

しかし今回ばかりは自分のうかつさにあきれはてました。
4〜5月の紫外線は強い。そして山の斜面の照り返しは激しい。日曜日は晴天で汗ばむどころか暑いほどだった。出店のひとはビールがよく売れてよかったね。あんなに並んでいるアイスクリームのお店をみたのは遠い昔のハーゲンダッツ日本第一号店以来でした。
そういえばインディ観戦中、ずっと顔がジリジリとやや痛かった。そのジリジリをデモンストレーションからゴールまで5時間も続けた。
当日はインディアンの扮装をしていて、頭にはチーフのインチキ羽飾り、額にはくっきり真一文字の飾りバンド。
自宅にはSP値50の日焼け止めもあった。けれど、それは夏のものだ、と持っていくことさえ思いつかなかった。しかも間近でお客さんに見られるから、と薄めのナチュラルメイク(バリッと目張り入り)だった。
うかつ。隙だらけ。ずっと冬眠していて太陽の燃える力を忘れていた。
当然 扮装をとき化粧をおとしたらば鏡の中には額に真一文字の線がはいった女がいたわけです。眉毛のうえに一直線に。

やばい、と思いこの肌色と赤焦色との差を埋めるべくありったけのテクニックと手持ちのメイク道具をつかってみましたが、赤いところは軽くやけどしているので肌に染料や塗料が染み込まない。なにをやっても浮きまくり、芯が赤黒くてそのうえに黄色の絵の具をぬっているけれど、はっきりと馴染んでいないどころか分離している。古いペンキのようにいまにもペリペリ剥がれそう。
なにしろ色合いが病的。肝臓が悪い、しかもかなり、という印象。

そこでわたしは薬に頼る事にしました。コンビニでメイク雑誌を立ち読みし、
「美白」
「効く!」
「即効!!!」
をキーワードに検索し、でもケチなので「手頃な価格」も付け加え、
だって出稼ぎにいってその稼ぎを全部みずからのうかつさゆえにおった(へんな)日焼け解消に費やすなんてくやしいじゃないですか!
小雨ふる夕方ドラッグストアにて1時間、万引きと疑われるのではないか、という程、アレを手にとっては棚にもどし、コレをレジまで持っていきかけては引き返し、を繰り返して大好きなおかまメイクアップアーチストがお勧めする美白美容液を買ってまいったのです。
昨日から一日5回くらい塗っていますが、まだ目にみえる効果はないです。つまり線はくっきりです。さっきビールを飲んだら赤黒部がより赤くなったので、それはまるでゴーギャンの夕日の色です、マスマスです。因幡の白兎、ということばも思い浮かびます。それなのに肌色部はまったく冷静なものです。この二つの層には激しい温度差を感じます。肌色部には守ってもらっていたという優越感さえ感じ憎しみは日増しに大きくなっていきます。

実はむかし コギャルの扮装をした時に手に入れた、
黒焦げ☆ファンデーション〜これ以上黒いのはないョ〜
というものを持っているのです。
赤黒部の美白を待つよりも、いっそ肌色部を・・・
なにより圧倒的に赤黒部の面積が大きいのですし、インディアンとして雄雄しく働いてくれたのは赤黒部なのですから。



2003年04月10日(木) がっかり

こんなにがっかりしたのは、すべりどめだあ!と受けた大学の合格発表にわたしの番号がなかった時以来です。

免許の書換えのハガキがきたんだけれど、完全に
次はゴールド免許♥ よく三年間慎重に、辛抱して走ったなあ、偉いぞ!
と自画自賛していたのに、書換え場所は、警察署× 試験場○ となっていて、
なんで!?
とみたら、まったく覚えていないけれど三年前の秋にスピード違反をしたらしい。
覚えていないけど、罰金も払ったらしい。

そんなわけで、次もたった三年の免許証しかもらえない。
半日かけて、試験場にいかなければならない。
優良ドライバーなのに、免許証に「優良」の文字をいれてもらえない。
ピーポ君マスコットももらえない。
そして「償いの日々」をまた見なければならない。

「償いの日々」もうずっとタイトルが変わらないねえ。
死亡事故をおこし、交通刑務所に入所した人たちの手記なのか反省文なのかを映像化したもの。最近はビデオ画像なので、テレビドラマのように明るい画面になりましたが、昔はフィルムだったので、かつての日本映画のように暗くじっとりと物悲しい画面でした。
これを見るのがいやなんだ。
これは、普通の人々が、一瞬の油断や、つい確認をおこたったがためにその後、被害者は当然、加害者も人生をめちゃめちゃにしてしまったという例を見せ、
ゆえに皆さん運転にはドンナに注意してもしすぎるということはないのですよ、と運転をすることには「安全に」という大きな義務がある、ということを違反をおかした人間に自ずから悟ってもらおう、という趣旨のもとつくられている。
だから毎回、悪質ドライバーの犯罪ではなく、普通のひとのほんの不注意の結果、という物語をみせられる。
なんか、辛いの。だって普通のひとなんだもん。たくさんいるんだよ。
双方の家族のその後とかね。不幸になるのはあなただけではない!って。
現実でそういう例を身近でしっているからさ。償っても死んだひとも壊れてしまった家族も元にはもどらない、そんなことわかっているからさあ。

良心にうったえ、こんなことは起こすまいぞ、と考えさせるという方針はわかるんだけど、いつもなにか、運転とその義務 という趣旨からずれているような気持ち悪さもかんじる。
演出や細かい差し替えがあっても、みんな本当にあったことだから他人の不幸をただ「へえ〜、こりゃひどいねえ」とずっと見てたような。

対面番組とかの、他人の人生のこんなに不幸だった再現ドラマとか苦手なんだよう。
でも居眠りすると即日免許交付してくれない。もう一回講習&「償いの日々」鑑賞をさせられる。
拷問。



2003年04月09日(水) 百花繚乱

わーい、わーい、花でいっぱいだ。
そして、今年も花粉症の魔の手からすり抜けることができたよ。
毎年、ロシアンルーレットだね。フランスで、実は後半にひどいくしゃみ鼻水鼻詰まり状態におちいり、ミモザの花が咲き始めたから、その花粉症かもよ(フランスでも大騒ぎはしてないけど、花粉症そのものはちゃんとアル)と言われ、そんなわざわざアレルギーになりに来たなんて、と旅にでたことを後悔したのですが、風邪と空気乾燥のせいだったみたい。成田について湿った空気を吸ったとたんによくなりはじめ、一晩寝たら治っちゃった。寝るときに両鼻にティッシュを詰めるほど、日本から持っていった柔らかティッシュがなくなって、ハンカチで鼻をかんでいたほど酷かったのに。
湿った空気万歳!といってるうちに梅雨がくるんだよね。でもこれから5月いっぱいがサイコウに気持ちいい、日本で一番過ごしやすい季節だと思うので、精一杯気持ちよさがるぞ。
実家の花壇は花満開だし、ハナミズキが咲き出したら東京の街路樹も花いっぱい。
そうそう、パリも公園はたくさんあるんだけど、住宅街やオフィス街に全然緑がないんだよね。たまにベランダに鉢植えがあるだけ。あとは中庭。各建物にはたいてい中庭があるんだけど、見えないんだよ。道を歩いていてもたいてい視界は石の色のみ。そこが寂しい。
でもわたしが住んでいるここは下町なので、どんなシモタヤ(失礼)の玄関先でも古いアパートの階段下にでも植木や草花が植えてあります。
花が咲いたり実がなったり、枯葉がおちたりする。毎日すこしづつ風景が変わる。
たのしい。
いろんな色やテクスチャがごちゃごちゃしているところが、東京の特徴だね。ほかの大都市はもっと統一していて実は汚くてもスッキリみえる。
昔は、プラスチックやトタンやハイテクガラス張りビルや電信柱広告付き、のぐちゃぐちゃ感がイヤだったけど、もういっそドンドン勝手にやってくれ、という気持ち。法律や規制や昔からのきまり、美意識で固まった街より馬鹿みたいで面白いかな、と。
はやく、省エネ&温暖化対策の、ビルの屋上に森をつくる案 がどんどん実現されないかしら。おもしろいよね。ビル街を見上げると緑でモジャモジャの森なの。アニメチックな絵柄だ。根っ子と水問題があるから、コンクリはぼろぼろ漏水ジトジトと今までのビルではあっという間に老朽化してしまうかしら。
でも、なんか無理やりいろいろみんな勝手にやった感まるだしの馬鹿っぽいけど面白い街になるといいなあ。
ツギハギだらけ、でもちゃんと動いてる。

なんだか、戦争とかね。長いスパンでものを見るとか、次の世代のためにとか、文化とか伝統とか、実際はそんなところから離れたところにいて考えたりすることに少し倦んでいるみたいです。わたしが。
乱暴にいっちゃえば、自分の死んだあとのことまで、よりよい計画をたてたって知らんよ。せめて今日より良いと信じて明日も元気で生きるぞ、くらいだあ。



2003年04月08日(火) 巴里日記��

さみしい男たち。
日本の男たちも寂しそうではあるけれど、パリの男たちは徹底的に寂しそう。

あちらではレストランでもピクニックでもパーティでも男女同伴が基本というのは常識だけど。
でも本当は独りものはいっぱいいる。
カフェでも堂々と暖かい日向で昼間から一人でビールを飲んで「満足v」な様子なのは、女のひと。
男の一人客はモバイルPCを弄っているビジネスマンの他は、たいてい寂しげにコーヒーを啜ってタバコを何本も根元までふかして、
今日もなにもすることない・・・
考え事もとくにない・・・
つきあってくれる人いない・・・
こんなカンジでライターや小銭をいじくり回している。人間ウォッチングを楽しんでいるでもない。部屋にいるよりはましだから外にいるだけ、という佇まい。

でも、パリではこれがふつう。力のないひと、魅力のないひとは相手にされない。
寂しい、とは形容しないみたい。
そしてパリの勤め人は決して会社の同僚とプライベートで遊んだりしない。それは個の生活の充実していないカッコ悪いことであるし、仕事にも私情やらなんやらビジネス的でないものが入り込まない方がいい、とかあるみたい。

仕事帰りに一杯飲んでいこう、話の内容は仕事のことばっかりだったりするけど、そこら辺は日本の独り者の方がまだ、人と会話する機会があるのではないかしら。

そして、結局は人種の問題になるのだけれど。
日本は昔から決して素晴らしい国ではないけれど、また目をそむけてこのまま無いことにはできない外国人の問題があって、それはいづれ欧米と同じ問題に繋がっていくのだろうけれど。
とりあえず、今まではましだったわけです。同国人で収入や家柄による壁が甘かった。目にみえる肌の色による住み分け、職種の限定があんまりなかった。というか、見て分かる外人が少なかったしね。そして偏見よりも好奇心がまさって外国人にどちらかというと好意的だった。なんていうか外人に日本を好きになって欲しくてたまらなかった。
変わってきていることは承知のうえだけど、こういう観念ががっしりと固定しているヨーロッパよりはまだまし。

パリで見て分かる外人。の男のひとは限りなく寂しそう。貧乏である。パリで貧乏なひとは日本の貧乏な若者が無理しておしゃれな格好をする程度の貧乏ではないので、見て分かる貧乏ぶり。まず衣服等の物価が高いのです。全身ゆにくろで、でもどんなレストランでも全然OKなんてありえない。まず靴なんかはボロボロのを履いています。
同国人の女のひとが少ない。働きにきているひとは当然男のひとが圧倒的に多い。また女のひとは生活レベルの高い国にきてあいかわらず底辺にいる同国人の男のひとに目をむけにくい。少しでも上を目指すでしょ。そして女の玉の輿はいまだにアチコチで見聞きするけど、逆玉はまずありえない。
結婚の問題もあって、同国人どうしで結婚関係なしに、男女で楽しくやりましょう、が難しい。
結局、同族の男同士以外ほとんどつきあいがない。ほんとうのどん底貧乏だったら、一部屋に親戚何人もで住んでいるから、暇な時間は彼らと道でぶらぶらしているか、サッカーをみているか。
ちょっと生活レベルがあがって自分の小さな部屋を借りることができても、新しく友達をつくることは難しい。まして女ともだちなんて、ねえ。一人でビデオをみるか同族の集まる店にいくか。

で、寂しい、女のひとと話がしたい彼らは公園や図書館や観光地などお金のかからないところで日本人観光客に声をかけるのです。
なぜか考えてみたんだけど、たぶん日本人の女は、心の中でびびっていたとしても話し掛けてきた男をあからさまに無視したりしない。そして大抵カタコトの言葉しかできないことに引け目もあってわりと一生懸命に話を聞こうとする。
傍若無人なひともいるけど、「ごめんなさい、わかりません、さよなら」だけでも困り笑い付きで、対応が柔らかい。好奇心旺盛で怖い物しらずなひとは、少し話しが通じたりすると喜んでコーヒーくらいおごらせてくれたりする。簡単に部屋にも付いてくるという噂もある。
お金と暇のある年配の旅行者よりも若くて小さくてよく笑う女の子集団の旅行者が多い。ひとり旅のバックパッカ−でさえ、中学生のようにみえるらしいし、そのわりにお金はもっている。
それから、なによりも黄色人種である。

わたしも何度も声をかけられたけど、南スペインのひと(背がひくくて肌が浅黒い)、中央アジア系のひと(同じく背がひくくて肌が浅黒い)、トルコ系?のひと(同じく・・・)、東欧〜中央欧のひと(同じく・・・)など。
アフリカ系のひとアラブ系のひとはとにかく人数が多くて、自分たちのカッコとしたコロニーみたいなところにいるから商売以外であんまり声をかけてきたりはしないみたい。
彼らはみんな、下心があったとしても紳士的な態度を崩さず、どうみたって貧乏そうなのにコーヒーを奢ってくれようとしたり、「いま英語の勉強をしているんだ」と「この間TIHIRO(千と千尋の神隠しか?)をみたよ」とか一生懸命英語で共通の話題になりそうなことを話したりする。
わたしが歌手だ、というと絶対パーティーでは壁の花っぽい人柄なのに、自分の国の歌やしっている日本の歌(さくら とかね)をうたってくれたりする。
そして、わたしが付き合うのが面倒になったりとにかく彼とわかれたくて、時計をみたり、ちょっと友達に電話してくる、と言うと、
「ああ、いいよ。全然気にしないで。一緒に話してくれてありがとう。あえて嬉しかった。」
と、去っていく。
ああ、また次の休みの日もあの公園で日本人の女の子に話し掛けるんだろうなあ。
遠い国から働きにきて、たぶん死ぬまで国には帰らないで、自分と仕事とビデオ屋といつものカフェと、それだけの狭い小さい世界の中でずっと生きていく。自分と同じ世界の女のひとにはなかなか近づけず、そして上のほうの世界にいる人たちからははっきりと相手にされず、馬鹿にされつづけていく。そんな男のひとがいっぱいいる。

日本にも沢山いるのかも。


はあ、パリではほかにも色々あったんだけど、宅配カレーがうまい、とか、タバコが高い(マルボロが500円近くする)とか、布団がほしくてアレコレひっぱりだして見ていたらマダム=ばばあに触るなとすごく怒られて、まったく日本人は買いもしないのにアレコレ弄る(こういうことは言葉がわからなくても通じる)とかブツブツ言われて「コレヲクダサイ」と言ったとたんにアラホントニフトンガホシカッタノネ〜メルシーとニコニコマダムに変身したり、和仏辞書にスポンジ=海綿と書いてあったらしくいきなりフランス人夫に
「君のお腹は海綿だ」と言われたり(いくらでもアルコールを吸収する、というジョークが言いたかったらしい)、いろいろあったんだけど、もう過去のことなので、巴里日記はこれにておしまい。




2003年04月02日(水) 巴里日記�ぅ屮螢絅奪札詈�

パリではずっと友達のうちにいて、彼女のつくる(友人は料理の先生なのだ)うどんとかパスタとか焼肉を食べていたので、週末にベルギーにいこう!となった時には
「わーい!外国旅行だ〜♥」
と二人とも大喜びだったのでした。

一口メモ) フランスにも焼肉プレートがある。鉄板の部分が石(大理石みたい)で、そこに油をひいて肉や野菜を焼く。熱源は電気。それとまめに、専用の縁に水をそそいでいました。

二口メモ) 肉は 牛 子牛 豚 鳥 を食べたけど、とにかく豚がうまい!それから基本的にあちらの普通の人(グルメとは呼ばれない人)は脂身は好きではありません。豚ロースの脂も丁寧にとって食べてる。

まあ、外国といっても新幹線(ユーロスター)でパリから1時間半だし、お金もユーロで同じだし言葉もブリュッセルはフランス語圏なので、東京から名古屋にいく くらいの気持ちなのですが。だって彼女はパスポートさえもっていかなかった!IDカードがあればまずOKなんだって。わたしは持ってたけどホテルでもみせてくれとも言われなかったっす。

でもまあ外国、なにより泊りがけなので前日の二人の小さな荷物をもっと小さくしようとの作戦会議でガイドブックをどうするか問題でしばしなやみました。
手元にあったのは誰かが彼女のうちにおいていった「地球の歩きかたヨーロッパ編」のみ。その分厚い本のなかで、ベルギー編はほんの7〜8ページ。ブリュッセルは首都なんですがホテルやレストランコーナーもいれて4ページ弱。
必要としていたのは、とりあえず地図とメトロ&路上電車の路線図のみ。迷いに迷って(わたしの「そのページだけ破っていけば」という意見は無視された)ギリギリ最後にリュックから出しておいてきたのですが。
その選択は正解だったとも間違いだったともいえる。

なぜ、ガイドブックのページ数が少ないのか、といえば書くことないから。
「ブリュッセルねえ、市庁舎みてビールのんで小便小僧みてムール貝食べたら もうやることないよ。」と誰もがいうらしい。
そ の と お り で し た 。
なぜ、あんな小さな小便小僧推定身長80cmにみな群がって記念写真を撮るのか、といえば他に撮るものないから。
なぜブリュッセルなどという地味な都市にEUの本部があるのか、というと警備が楽だから。たぶん。間違いなし。
路線図なんかなくてもバスでもチンチン電車でも適当に乗って、やばいわ街から出ちゃう!と思ったらおりて引き返せばいい。直線だと15分くらいでやばいカンジになる。そんな小さな街なのです。真剣な警備隊が街をぐるっと見張ってれば大丈夫。
さて、金曜夕方6時過ぎについていきなり駅で甘〜い匂い。だけどワッフルは明日食べようね!とホテルにチェックインして、ごはんは当然名物ムール貝でしょう、でも有名店にいくのは面倒でホテルのおじさんに近くて美味しいお店を教えてもらう。
(こういう点、現地の言葉が話せるひとがいるといいよね。しかしその店はホテルから2番目に近い店なのでお客さんの半分はおじさんのホテルの客だったと思う。でも半分は近所のひとっぽくて、運良く本当に美味しいお店でした。一番近いお店はムール貝をやっていない。いろいろな意味でおしい。)

三口メモ) ワッフルと(風月堂とかの)ゴーフルは同じもの。ベルギーではフランス語とドイツ語に近いゲルマン系のことば(フラマン語だったかな?)の二つが公用語ですべての表示が2言語でかかれている。そうしないと大変。すごく根深い対立があるから。ゴーフルがフランス語だったかしら。地方によって薄くてカリカリとか分厚くてフカフカとかあるそうで日本には薄カリタイプがフランス語の呼び名で先に入ってきたんだね。

四口メモ) ムール貝、はわかるでしょ。名物料理は野菜のスープで煮たムール貝。これが一人前洗面器一杯くらいでてくる。専門店ではスープが20〜30種類くらいあってトマト味orガーリックorクリーム入りとか選べます。基本はポロねぎとかセロリとかあとはわかんないけど、塩味の野菜スープ。当然塩うすい。もう一つの名物料理ポテトフライが必ず一緒にそえられてくる。これも別にムール貝にあうわけでもない。だってつまりいわゆるフレンチフライポテトだよ。当然日本人やアメリカ人は塩を何度もパッパと振る。
おいしいよ。でも前菜で10個くらい食べればいいや。日本人としては一晩で3年分くらいムール貝を食べた。

翌日はとにかくガイドブックもなにもないからインフォメーションにいって地図を手に入れようと歩き出したけんだど、観光魂が低温でみやげもの魂だけが熱くモエタギッテイルのですぐお店にひっかかる。しかも買い物魂の温度はこれまた低いのでひやかしだけでウロウロしすぎて疲れる。
朝一番で世界チョコレート菓子選手権昨年度一位のお店にいきすんごくデッカイチョコレートを買ってしまったのでなんだか一日の仕事を終えた気持ち。そんな余生を送りながらやっと中心地、市庁舎前にたどりついたらば。
まあ、なんて大きな黒テント。今晩野外ライブがあるらしく、ただいまサウンドチェックの真っ最中。爆音。一応メニューをみてみる。もしかするとベルギーでは有名なロックバンドが4組。しかししらん。フランス的にもしらん、という。
市庁舎前は小さな広場になっていて観光客がキャッキャお茶したり写真をとったり外国旅行をせいいっぱい楽しもうとしてるんだけど、あいにく耳元で叫ばないと互いの声が聞こえない。
つらい気持ちになって静かなところで名物ベルギービールを飲もうと、ふらふらと歩き出すけれどまたまたウィンドーにひっかかってなかなか先に進まない。
途中さがしていた、完全自然醸造?ビールをなんとか無事ゲット。これが飲んでみたら「これはお酢ですか?」というくらい酸っぱい。さくらんぼビールだったんだけどね。フランス人も「これはビネガーですか?」とまったく同じことをいっていました。

このままだとホテルにいってひっくりかえって寝たくなるので、互いに励ましあい小便小僧まえにたどり着く。みる。二人ともカメラをもっていないので「小さいね」といいあってすぐ近くにいっぱいある土産物屋さんにまたも吸い込まれていく。そばでワッフルを焼いていたけど、並んでいたので、名物なんだからどこでも売ってるだろう、とスルー。
実はお世話になったお礼に、友人夫婦に小便小僧Tシャツをおそろいで買ってあげるよ!と意気込んでいたのですが。
あのね、フランス人は隣国のベルギー人のこと(いや、すべての他国人をそれぞれの理由で)ださい と昔から馬鹿にしつづけてきたらしいのですが。
ほんとだよ。
ぜんぜん可愛いのもひねりの効いたのもないの。小便小僧こそ稼ぎ頭でしょ。ブリュッセル土産にはなにはなくともほかにないんだから小便小僧グッズは買うでしょ。だめ。センスない。欲しくないし、ひとにあげたくもない。ガクー。
お腹がへったので、お昼ごはんは観光客がわいわいきゃっきゃしてるようなところにまぎれて美味しくなくてもいいからきゃっきゃと食べようよ!と超観光レストランストリートへ。「コニチワ。オイシデスヨ。」の声のなか、よしココだ!と選んですご〜く親切そうに案内してもらったら、どのお店も観光ランチ定食なのに、なぜか一品料理のメニューをみせるしパエリアオイシデスヨ(なぜベルギーで!)としつこくボル気満々なので、彼女がフランス語で定食でいいの、といったら手のひらを返したように冷たくあつかわれ、岩のように固いパンを食べ計算もわざと間違えられ、悪いけど君たち暗算できないかもしれないけど、わたし珠算3級だから。
プロの観光レストラン魂をみました。

その後もウロウロ歩いて疲れてね、わかったのはものすごくゲイが多いこと、(これはヨーロッパではベルギーとオランダが同性間の結婚を認めているかららしい)チンチン電車は1回乗れば満足なこと、あんまりワッフル屋台をみかけないこと。
もう夜ご飯は韓国焼肉しかないね、と日本食材店でもらった情報誌で探して、焼肉ったの。すごくいい匂いだった。美味しかった。焼肉万歳!でも焼き野菜を塩で食べろ、と言われたときには泣きたくなったわ。その漬けダレの残った肉の皿を下げないで〜(泣)と言うまもなく下げられて二人とも2個くらい塩とコチジャンで焼きタマネギとか食べたけど、ほとんど残してしまった。高かったのに、のに。
浮かれていい匂いなんていってたら洋服すべてに焼肉の匂いがプンプンと染みついてしまい、翌日の新幹線では肩身がせまかった。たった1時間半の高い新幹線に乗るようなひとは、エリートビジネスマンとか金持ちおばさんとかばっかりなんだもん。

最終日は早起きして骨董市と古道具市どちらにしようかと前夜、骨董は夕方少しみたし高いだろうしよく分からないから古道具市に行こう、と決めすごくがんばって早起きしていったらば、たしかに古い道具ばかりでした。朝なのにかる〜く治安の悪そうな地域の広場でフリーマーケット状態。専門のひとも多く出てるけど、古靴とか30年前のどこかのお土産ものとか、つぶれた喫茶店の椅子とか古着の山。
すぐ飽きた。でも無駄に時間は過ぎ、駅についたら最後に買って新幹線の中で食べようね、と言っていたワッフルがない!探したよ。やっとみつけたら、四角い奴でチョコ入り。これではない。けどオサエでとにかく買ってわたしはビール彼女はワッフルと二手にわかれてやっと日本で ベルギーワッフル といわれるものをゲットしてあわてて新幹線に乗って、四角を食べたらチョコじゃなくてさくらんぼジャムでこれがまた酸っぱくて、やっとパリに帰ってオーブンでベルギーワッフルを温めて食べたら美味くて、本場で焼きたてを食べるべきだった!なにしにベルギーにいったんだー!!!
とまあ、こんな調子だったのですが、外国旅行は楽しかったです。

あ、本気で観光するなら美術館にいけば有名なフランドル派の絵もいっぱいあるし、教会もいっぱいあるし、王宮は入れるかどうかわからないけど日本の皇家と仲良しらしいし、あと一日くらいは時間をつぶせるかも。でもガイドブック4ページは正しい。


このベルギー旅行のハイライトは出発前のパリですでに起こってしまっていたので、あとはみんなオマケだったのです。
新幹線のチケットは友人の旦那J.Fにネットで予約してもらったの。駅で機械に予約ナンバーを打ち込んで発券すればいいだけだったので、余裕ぶっこいて電車の中で飲むビールを買うから、30分前に駅に着けばいいね、と時間はいっぱいあったのに、その通り30分前に駅につきました。彼女がクレジットカードをだして機械をポチポチいじってもブリュッセル行きが出てこない。「あれ?」「窓口でやってもらいなよ」「失礼な。わたしはフランス歴5年だよ」「わはは」なんて言ってたら、
「・・・・・・・・・・・ノルドだ・・・」
「・・・・・は?・・・・・・・・・ はっ! ここリヨンだよ!!!」
そう、余裕ぶっこきすぎて”予約完了 詳細はここに”をプリントアウトした紙をまさに機械をいじるまで一度も二人は見ていなかったのです。
「でもJ.Fはリヨンだっていったのに〜」
「でもここにノルドって書いてあるったら書いてある」

五口メモ) パリは大都市なのでいわゆるセントラルステーションが3つある。リヨンが東京駅 ノルドが上野駅 と思ってください。駅間の距離もそれくらい。

「タクシーは!」
走る。
「だめすんごい並んでる。」
「あと何分?」
「30分。正確に言うと28分。」
ここで友人愛用パリ路線図 地下鉄バスJR?全線カバーのすぐれもの。
「よし一本でいける!」
★繋がっていてあたりまえだと思うけど、メトロは遠回りするので、ここでJR直行便その間2駅が威力をはっきする。メトロもJRも同じ切符を使えることも大事。市内20駅まで同一料金同じ切符。バスもね。二人とも当然回数券をもっていた。

走る。JRのD線だ。D線こっちだ。電車がきているけど、どっちがノルド行きかすぐに分からない。人に訊く。これはいかない。じゃあ向かい側?これもいかない。なんなんだー!あと何分?25分。あっ!D線のcとdだって。わかったノルドはaだ。またエスカレーターを駆け上がる。

六口メモ)エスカレーターで急ぐひとのために空けておくのは左側。大阪と同じだね。

aには幸運にも電車がいる。乗る。友人は会社にいるJ.Fに電話する。説明する。ちょっと怒る。リヨンって言った、言ってない。あと何分24分。わかったこれからノルドに行くから!ってJ.Fが来たってどうにもならんよ、もう〜。
しかし、どにかなったのよね。
JRは早かった。でも東京ー上野間は結構あるので、2駅とはいえ10分はかかった。あと14分。しかも上野駅は広かった。いやノルドは上野駅より広かった。なんといっても国際線の発着駅だから。ついたところは在来線のホームで新幹線のホームがどこにあるのかわからない。でも一番はじに違いない。柱にユーロスターのマークがみえる、けど→がない。でもあっちの方が高級の匂いがする。とにかく走る。こっちでいいのかな。でも今ひきかえして探したら絶対間に合わないからとにかく今走ってる方向に走るしか手はないよ。もう賭けだから。絶対勝つ。あと?12分!と話しながらも全力疾走。しかも二人はマダム狙いでヒールの高いブーツを履いていた。ノルドはすごく広かった。

七口メモ)マダムとマドモアゼルでは格段に扱いに差がでる。当然マダムが上。日本人がなめられるのはいくつになっても可愛いマドモアゼル狙いだから。丁寧にあつかうべき一人前の人間扱いされたければ、ふけてみえてもいい。マダムを狙うべし。

しかし我らは正しく高級の匂いを嗅ぎ分けた。金持ちビジネスマンをかきわけてまたエスカレーターを駆け上る。9分前。つきました。新幹線もみえました。あとは切符を発券すればいいだけなのに、どの機械にもひとが並んでいる。とにかく列の短そうなの、テキパキしてそうな人たちの後ろに並ぶ。
そ・こ・に J.F登場!今思うとすごく広くてものすごく人がいたのに、運命の糸をまっすぐたどったように我らは巡りあえた。でもその時は余分に人手がいたってとにかく列が進まなきゃだめなんだから、ちょっとJ.Fビールでも買ってきてよ、と大変しつれいなことを彼のわからない日本語でかわしあっていた。あと6分。
が、彼は一人しか並んでない機械をみつけた。J.F偉〜い。もう大丈夫だって5分もあるもん。
が、が、その機械は発売停止になっていた。ばか!停止の機械をさんざんいじくっていた前のおばさんもばか!あと、3分。もうだめだ。さっきの列に並んでいれば〜。
が、が、が、ここでJ.Fは君たちはとにかく新幹線のドアにいけ、いま旦那が切符をもってくるからと言ってとにかくドアに足を突っ込め、と言った。できることはそれしかなかった。
★ここでありがたかったのは日本のように改札口がないフランスJRの制度。切符をもって乗ればいいだけ。もちろん電車のドアで切符のチェックはされるよ。
で、こんどは新幹線のホームに走りとにかくドアの前で待った。まだ足をつっこむタイミングではなかった。あと2分。その時新幹線のドアが閉められてしまった!あう〜、時計が遅れていたのか!?あんなに走ったのに。信じていたのに。もう泣きそうだあ。
が、が、が、が、あっちのドアは開いている。そうかこっちは一等車だったのか。よし二等ドアだ。
★二等までしかない。
あと1分半。J.Fの姿はない。そろそろ車掌さんに泣きついて足を突っ込むべきなのか。するとここで、クリクリ巻き毛ちょい薄黒メガネのおじさんが車掌さんに文句をつけ始めた。なんだかわからない。が、いいぞ。がんばれおじさん。ねばれ。もめろ。駄々こねろ。足をつっこめ。わたし達はどうせわからないと思い、本当に声をだしておじさんにこう声援を送った。車掌さんは手ごわい。全然なにを言われてもかえるの面に小便だ。だめだ。おじさんは負けた。捨て台詞を投げてどこかにいってしまった。あと30秒なのに。いくじなし!負け犬!と今度はおじさんを罵った。
★このおじさんはちゃんと新幹線にのっていました。なにをもめていたのか?まあフランス人だから。
あと、たぶん時計が正確ならば15秒くらいだ。車掌さんが「あんたら乗るの?」と訊いてきた。ここだ。乗ります乗ります。いま旦那が切符をもってくるんです。すぐそこに居るんです。いま来ます。彼女が話す。わたしは足をつっこむタイミングを計りながらもでかい車掌さんがドアをふさいでいるので、もういいか・・・と諦め気味になる。恥ずかしい。あの時わたしは負け犬でした。でもほんとは彼女ももう駄目だと思っていた、と後ほど告白した。
ベルが鳴った。
とそこに、チケットを高々と掲げたJ.Fが見えたのだ。
キター。キタヨー。
抱きついてキスしまくりたいほどかっこよかったよ、J.F。
でもそんな時間はないのでチケットをひったくって乗り込んだらドアがプシューと閉まって新幹線はあっというまに発車し、J.Fは手をふるひまもなく会社にもどっていったのでした。
席について、まず二人ともブーツを脱いだね。

こんな秒単位のドーパミン出まくりの映画のような30分を過ごしてしまい、ここにてベルギー旅行は99%終了していたのでした。




2003年04月01日(火) 巴里日記��

なにしにいったのか、というと天然の旅情に導かれて、というしかないけど、それも嘘か。退屈してたところに舟がきたから乗った。だけ。
計画もなんにもなく、ガイドブックも前日図書館で借りた2001年版だった。
ので、唯一みよう、と思っていたギュスターブ・モロー美術館がみれなかった。
わざわざドアベルまで鳴らして、今日はクローズ とかいわれたら翌日に再度いく気は失せるよね。

まず、観光客しよう!と最初の三日ほどがんばった。観光スポットではお金があるならメイッパイおのぼりさんした方が楽しいと思うよ。一人でも・・・
シテ島にいってノートルダムのステンドグラスをみてマリー・アントワネットの最後の牢獄をみてクレープを食べて(嘘。パニーニにしました)翌日セーヌ川遊覧船バトー・ムーシュに乗ってその会社のサービスの2階建バスに乗って凱旋門にいってシャンゼリゼ通りを歩いた。鼻歌はもちろん「オー シャンゼリゼ」だ。この野郎!

一口メモ)「オー シャンゼリゼ」のオーは、感嘆詞のOH!ではなくて、フランス語の”〜で” ”〜にて”という場所を表す前置詞?だって。だから日本語訳では「シャンゼリゼ大通りで」となっているものもあるよ。しかしおのぼりさん的にはOH!WOW!!な気持ちで歌ったほうがもちろん楽しいっす。ちなみにに日本語歌の訳詞はやすいかずみ だ。

二口メモ)ヴルーバードとアベニュー。より大通りなのはヴルーバード。

日曜日にはまたまたシテ島で小鳥市を見学。日本の小鳥屋さんでは見たことも無く、聴いたこともない声でなく小鳥がいっぱい。欲しかった・・・しかし亀はともかく小鳥は手荷物で持ちこめないので、断念。がんばってエッフェル塔までいこうとして、オートバイの反戦デモ兼春のツーリング大会を30分ほど見学。
と、この三日で観光魂が燃えつきてしまい、その後の日々はなにをしてたかいまとなっては、ぼんやりしてるです。
でもつぼをおさえたパリ観光でしょ?パリの一番古い部分がシテ島・サンルイ島のセーヌ川に浮かんだ島なので、ココにエッセンスがぎゅっとつまっているかんじよ。あとは東京のようにどんどん周辺に肥大していった都市なので、1日だけパリにいくなら島へいけ。
次の週末ベルギーにちょこっといったのですが、それは次号で。

四月ですね。一週間早くて 復活祭を味わえなかったけど、まちは、チョコレート卵とひよことうさぎでいっぱいでした。
そうだ。四月といえば四月馬鹿。イギリスの気合の入った嘘は有名だけど、フランスではどうなのか聞いてくるのを忘れてしまった。
日本では・・・みな忘れてしまったみたいね。うそへただもんね。


 もどる  もくじ  すすむ


ITCH [HOMEPAGE]

My追加