ビー玉日記 | きのう もくじ あした |
2005年02月27日(日) あと二つ寝ると3月 もしかして2月って明日で終わり!? ……もう3月かー。 どちらかというとのんびりやの私は途方に暮れてしまうんだけど、時間はいつでも誰にでも公平だ。 3月は生まれ月なので、気分的にはお正月に近いかな。 また一つ生まれ変わりますよ、と。 ふー。そんなのんびり発言していていいのか。 今日の午後、「ブリジットジョーンズの日記」のDVDを見た。 流行っていた当初、きっとこの手の話は好きだろうなとわかっていながら、小説も映画も見ていなかった。 笑ってしまうんだけどなんか身に染みる、というのはTVドラマの「アリー・マクビール」だけで充分だったのかも。 見てみたらやっぱり好きだった。 元々はヒュー・グラントが好きだったんだけど、コリン・ファース、いいねえ。(結局そこがポイント。) 役柄にすぐ左右されてしまう私でした。 しかし、やっぱりイギリスの映画ってどこか下品なところがあるんだよねー。 ちょっとアメリカ映画とは違うセンスだね。 そこがおもしろいと思う私も変なんだろうケド。 |
2005年02月26日(土) 中国の人の英語名 メールの中でJimとかAilingとかThomasとか普通に名乗っているのが本名かと思っていたら、中国の人は同姓同名が多いからメールアドレスを決める時に英語名をつけるのだと先週の出張の時に知った。(もちろんうちの会社の場合。) 若い子の場合は大学などの英語教育で英語名を付けるのでそれを使うことが多いのだそうだが、そういったものがない時には情報システムの人が勝手に名付ける場合もあるらしい。 音や意味が元の漢字名と近いものはわかるのだが、中にはまったく無関係なもの、本人のイメージとかけ離れているものがあって、「え?誰、Robertって?」とみんなが戸惑うこともよくあるそうだ。 毎回名付け親にならなくてはならない情報システムの人も大変だと思うのだが、背が高くて体型も大きい女性が「ジュリエット」とか「ジョセフィーヌ」とか名乗っていることがあるのだとか。 想像するとおもしろい。 そういえば以前、「ジョーいる?」って電話がかかってきて、ジョーなんかいないんだけど、と思ったら、とある部長さんの英語名だった、なんてことがあったっけ。(その人のメールの署名にはちゃんと「ジョー」って入っている。日系人みたいでおもしろい) 実は私も学生の頃にアメリカの人に英語名つけてもらったことがある。 もし中国みたいに一工夫しろとなったら、使うことになるのか。 ちなみに韓国も同姓同名が多いと思うんだけど、こちらは本名を使っている。 |
2005年02月25日(金) 好き嫌いはいけません 占いとなるとすぐやってみたくなる私は、インターネットで「韓国最大の占い師」とかいう人の占いを発見し、例のごとくやってみた。 (売り言葉がスゴイ。「あなたの運命をここで詳しくお見せします」、ときた。) 確かに「詳しく」長々と書かれていて読むのはなかなかおもしろかったが、量が多いだけ当たる確率も高いだろうなどと意地悪に考えてみたりもする。 長い分だけ満足したかというとそうでもないものの、性格と仕事についてのくだりが的確に私の本質を突いていておもしろかった。 以下、抜粋。 (略)衣食住を主とした実用と実利にあらゆる努力を惜しまないのが特徴で、何でもおいしく食べる為に健康には自信を持っているでしょう。また、たくさん食べてこそ知恵と能力が湧き出る天性の体質を持っているので、いつも食生活に感心があり(略) はい。食べるの大好きです。 それにしても「たくさん食べてこそ知恵と能力が湧き出る天性の体質」って、見たことないフレーズだ……。 食べていない時は何もできません、みたいな。 そんな時にはアンパンマンを呼ばなくちゃ。 なんか食べることしか考えていない人みたいでバカっぽいではないですか。 ……いや、実際そうなんだけど。 (略)趣味に適うだけの勉強を望みます。(略)人の支配や上司の統制を嫌い、自由で趣味に合うものだけ選びたがり、降格、左遷、罷免、退職などの不祥事が従うので紹介、ブローカー関連の職業が適しています。教師、教授、情報、言論系統でなければ社会生活はほとんど不可能と言っても過言ではありません。(略) 「紹介、ブローカー関連」というのが、派遣社員のことを指すのだとすれば、その通りだなと。 今の仕事だと「社会生活はほとんど不可能」ってことになるな。 今の仕事でなくても、何やっても「向いてない」って思っちゃうし。 好きなことしかやりたくないって正直なところ思ってるし。 これはもう本当に「退職などの不祥事」になりそうですよ。 確かに最近自分の判断基準が「好き嫌い」に偏りすぎているなと感じるので反省しているのです。 ほどほどにしないとホントにクビだと思って気をつけよう。 崔鳳秀先生の辛口占い! |
2005年02月24日(木) 風邪を引かない病気 先週は同じ部署の中で私以外に二人が海外出張、一人が北海道出張と出張者が多かった。 そんなわけで月曜日からみんな疲れた顔をしていて、代わる代わる休む人が出ている。 (そもそもアメリカ出張で日曜帰国なんて無茶だと思う……) この冬は風邪一つ引かず、猛烈に(自分で言うのも変だがそう言っても差し支えないと思う)働いている私。 隣の席の人が「森崎さんはなんともないの?」と聞くので、「疲れてはいるんですけど、風邪は引いてないですねー」と答えると、 「おかしいんじゃないの」という言葉が返ってきた。 がーん。なんてこと。 たしかに、風邪を引かないとかいう病気なのか……? 皆勤賞を目指しているわけでもないので(会社にそんなものはない)、ちょっと仕事が片付いたらズル休みしよう、と密かに目論んでいる。 でも。来週いっぱいは無理かな……。くすん。 |
2005年02月23日(水) 追い風・突風・向かい風 こんなこと言うとまた愚痴みたいになってしまうのだが、しかし言いたい。 なぜみんな自分で工夫しようとしないんだ! と。 人になんか頼む前に「こうしたらどうかな」とか「どうしたらこうなるかな」とか考えないのかなあ。 私だったら、ある材料を与えられたらその中でどうすればいいかやってみてから、どうしようもなかったら「こうしたんだけどここがうまくいかなくて困ってるんだ」と相談したりすると思う。 自分で何もしないで、「できない」「ここはこうじゃないと困る」というだけなのってどうなのさ。 新しいことをはじめるというのは非常にパワーのいることだと改めて思う。 新しくなってよくなった、と言ってくれる人がいる一方、「問題があるんだから直ちに元のしくみに戻せ」とクレームをつける人もいる。 たしかに事前にしておくべき準備が充分にできなかったことは認める。 でも、たかだか2人でしかもこの業務だけに打ち込める状況ではない中、500人の相手をしているわけで。 傲慢なのを承知で言えば、少しはこっちの苦労も理解してよ、という感じ。 でも、そんなクレームに対して、「何か問題があるならおれが飛んでいって(本当にflyと書かれていた)説明してやる。送ってもらった説明書をよく読め」と救いの手を差し伸べてくれたUKのスタッフには大感謝。 ありがとう、ありがとう。 捨てる神あれば拾う神あり、だ。 非常に好き嫌いに偏りのある私は、こんなメールを見るとうれしくなって、彼のところだけ優先して返信してしまったりする。 逆に、「Urgent」と書いてどう見てもそれほど緊急ではない質問を繰り返し送りつける女性からのメールは、3回に1度くらい返せばいいや、なんて放置しておく。 ごめんなさい。私の仕事のやり方は、好きなところから、おいしいところから手をつけるのです。 気が向かないことはどんどん後回しになります。(最低です) 好印象の人に対しては情状酌量の余地があるし、面倒な人や嫌な感じの人への対応は遅れがちです。 ユーザー諸君はそんな気分屋の私の行動を見抜いてメールするように。 無理? ワガママですみませんねぇ。 |
2005年02月20日(日) どうでもよいけど気付いたこと 日本にいると何をするにも自分でやるのが前提なので、重い荷物を抱えていても一人耐え忍んでいたし、オフィスにいる時も自分一人でするのがよほど困難でない限り周囲の人に応援を求めることはしてこなかった。 でも、香港でアテンドしてくれた男の子が(間違いなく彼はかなり育ちがよい、良家の跡取り息子である)ことあるごとに重たいPCのバッグを持ってくれたり何かと気を使ってくれたその待遇ではっと気付いた。 これだよ。なんか最近私に欠けていたのは。 基本的に実家の父も気付かない人間なので、自分が大変な思いをしている時に助けてもらえなくても「仕方ないなあ。そういうもんだ」っていつもあきらめてた。 なんかそれがいけなかった気がする。 頼る時は自己申告でも頼った方がいい。そう思う。(と、力説してみる) そして、もし私がいつか男の子を産むようなことがあったら、絶対こういう気の回る子に育てよう、と心に決めた。 女の子に重いものを持たせて無視するような男の子にしてはいけない。 ……果たして産むのか? |
2005年02月19日(土) 適性と好きなこと、嫌いなこと 出張中、夜TVをつけていたら、NHK(ホテルのTVではNHKが見られた)で白熊とその飼育員のドキュメンタリーをやっていた。 人の手で育てられた白熊が仲間と同居できるように、別の白熊と会わせるようにしたら、その白熊はそこからくるストレスで下半身麻痺になってしまった。 ナレーターが言った。 「白熊はストレスに弱い動物です」 人間だって、そんなにストレスに強い生き物じゃない。 私の場合、会議でのプレゼンや説明を一人でするのにかなりのストレスを感じる。 まして初めて会う人たちの中で、外国語で行うのはかなりきつかった。 一つの会議が終わったら、消耗しきった自分がいた。 適性のないことを否定して逃げてしまってはいけないことはわかっている。 それでも。 できれば私は誰かのサポートをする仕事の方がいい。 自分が先頭に立って何かをするには勇気も決断力も責任感も足りない。 それにそこまでやることはないと思っている自分もいる。 今の仕事も職場も人間関係も悪くない。むしろ恵まれている。 それでもここにずっと腰を落ち着けて働いていこうという覚悟はできない。 正直言って、正社員ではなく契約社員という立場でいるのは私にとっては好都合だ。 たとえ給料がよくなるとしても変な肩書きがついて人を管理する立場になる自分なんか想像できないし、したくない。 責任感とことんなし……。 もちろん自分のペースで好きなことを好きなだけやっていられたら一番いい。 だけど自分の望むように生きるには、それだけの努力をして勝ち取らなくてはなりません。 ……努力か。わかってるよー。 |
2005年02月18日(金) ようやく帰国です 上海から日本へ。 上海のタクシー乗ってて思ったけど、中国人のドライバーは「危険予測」ということを一切しない、と言ってよい。 おばあさんが道路を横切っていたら、日本人だったらひとまずブレーキくらい踏むでしょ。停まらないまでもスピードは緩めるでしょう。 彼らはそれはしない。 そのままぶつかっても不思議じゃないスピードのまま走る。 「当然自分が通る前に渡りきるもの」と思っているとしか考えられない。 たぶんおばあさんが何かにつまずいて転んで、不幸にして轢いてしまったとしても、「まさかそうなるとは思わなかった」「ぶつかったのは運が悪かった」と平気で言いそうな気がする。 高速道路でも車線変更を頻繁にして、突然前を入ってくる車を避けるためにブレーキを踏んだりする。 高速でブレーキを踏まれると心拍が上がって何事かと思う。 一般車両だけかと思いきや、パトカーもその調子で走っている。 日本ってなんて安全な国だろう。 空港に着く直前になって、今回中国で初めて「注意安全」という表示を見た。 こんなところで今更注意したところで遅いと思うんだけど。 (しかも寒かった。なんで冬なのに窓開けてんだよー。) 入国審査もスムーズに終わり、搭乗時間までかなり余裕があったので、買い物をした。 空港ともなると、店の売り子たちは日本語が堪能である。 「日本語うまいですね」と誉めてやると調子に乗って、 「おねえさん、一人で旅行? 仕事? 給料いいんでしょう。30万もらってるの?」 とずけずけと踏み込んでくる。 「結婚してるの? してない? 理想高いネ」 ……ウルサイ。この店では買わん。 その場で印鑑を彫ってくれるというのがあって、その値段が妥当なんだかどうだかわからなかったけど、いとこの女の子が今度結婚するのでお祝い代わりに新しい姓で印鑑を作ってもらう。 売り文句どおり5分で完成。 これはスゴイ。(簡単な字だったけど) 成田までは全日空。 最後が日系だったのはよい選択だと言える。 もう英語はお腹いっぱいです。 成田からは全日空のあいのりタクシーを使って実家に帰った。 一回使うともう楽でやめられない。 値段は最初から決まってるし、住所も言ってあるから説明いらないし、荷物も運んでくれる。 そしてなにより日本の道路は安全。 はー。安心だ。 |
2005年02月17日(木) 上海 朝、香港から上海に移動。 香港の空港でついにバッグを買ってしまった。 PCと身の回りの荷物が一緒に入れられるバッグが必要だったのだ。 ドラゴン航空のイメージカラーは、赤と黄色。 ステュワーデスさんの雰囲気がよかった。 上海はがらっと変わって日本と同様に寒かった。 久しぶりにコートを着てマフラーを巻いた。 上海には日本から赴任している人がいるため、なんとなく気が楽だった。 何もかも英語で伝えなくてはいけないのは、さすがにずっと続くと疲れる。 もう集中力の限界だったか、今日の午後のミーティングでの私の英語はかなりボロボロだった。 しゃべる仕事はもうたくさんです……(笑) 夜、日本人三人で中華料理屋に出かけた。 上海は、香港と違って静かで、少し地方都市っぽい感じがした。 |
2005年02月16日(水) 香港 15日の夜、ミーティング関係者とのディナーの後、今回香港滞在中の全てのアレンジをしてくれた男の子が港の夜景を見に連れていってくれた。 昼間に雨が降ったりして湿気の多い日だったので、少し靄がかっていたけれど、香港島の新年用の派手なイルミネーションがきれいでした。 海辺の歩道はスターロードと呼ばれていて、香港の映画スターの手形が埋め込まれている。 「この人知ってる?」 「名前は聞いたことあるけど、あんまり覚えてない……」 「ジャッキーチェンはあのあたりだったと思うけど」 「あ、この人はわかるよ」 という調子で夜景を眺めつつ手形を探して歩いた。 久々にちょっとデートっぽいね?(笑) 朝一番の電車に乗って中国国内の工場に行った。 香港は中国に返還されても中国本土とは違う扱いになっているため、電車に乗る時にはパスポートを見せて入国審査が必要。 朝早かったので駅でパンとお茶を買って乗り込んだ。 お茶は「おーいお茶」っぽいパッケージのペットボトルだったのに、蜂蜜入りで甘くて一口目はびっくりした。 電車に乗り込む時に各入り口に一人ずつ女性の車掌さんが立っていて、チケットをチェックする。 日本では自動改札とか電車の中での検札なんかで済ませるところだが、随分人をたくさん使う国だ。 工場は、若い女の子(ハタチそこそこ)がいっぱいで、なんだか女子高みたいだった。 ここでも「人が多いなあ」とつくづく思った。 日本の工場では人員削減ばっかりでどんどん人を減らしているのに、そこはさすが中国。今年は生産量増が見込まれるのでこれでも人が足りないため、遠くまでスカウトに行くのだそうだ。 新年の風習として、既婚の役職付の男性は未婚の若者にお年玉を与えるものだとか。だからそういうお偉いさんが姿を見せると、会議中であっても該当者はそわそわしはじめる。行かないともらいそびれるからだ。 日本から赴任なんかしたらお金かかるだろうなあ。 行きは中国の車両だったのでデザインもなんとなくレトロな感じだったが、帰りは香港のだからきれいだよ、と言われて楽しみにしていた。 予定より1本早い電車にしたら切符が安くて、同じ経路なのにおかしいなと首を傾げていたら、行きより古い中国の車両だった。 車両が違うと切符の値段も違うのか。それも不思議。 (別に汚いわけではなく、消毒薬のにおいもして清潔にしてあるのだけど、古い。ただそれだけ。) グルメな香港人らしく、食事は中国側ではとらず香港で軽くランチする方を選んだ。 今回ずっと中華料理を食べているけど、どれも味が控えめで油こくない。 意外とさっぱりしている。 おもしろいのが、同席の男性がまめにお茶を入れてくれること。 たまたま女性の少ない席にいたからなのかと最初は思ったけれど、どうもそうでもなさそうだ。 気付いた人がどんどん周囲の人の茶碗にお茶を入れていた。 |
2005年02月15日(火) 香港 香港の印象。 1.人が多い。とにかく多い。というか多すぎ。 日本で私が経験した中で一番香港に近い人ごみは、渋谷駅前だろうか。 それ以外なら満員列車としか例えようがない。 正月休み明けのバーゲン期間だったせいということもあるけど、それにしたって、強烈な印象だった。(その場所は車で何度か通り過ぎただけで、実際に体感してはいない) 2.ビル、高すぎ。 あの高層住宅群はなんと言っていいんだろう。日本には間違いなくあんな町は存在しない。なぜなら地震の多い国だから。 平気でサンシャイン60級の住宅が乱立しているのには驚いた。しかも全て平地なわけではなく、少し小高い丘のようになっているところにも立っているのだ。 上層階は風で揺れたりもするのだそうです。 同じように公団住宅が並んでいる町で育った私ではあるが、あんなに同じ形の建物がいくつも並んでいたら迷子にならないだろうかと思った。 私自身フロアを間違えてドアを叩いたことがあるからだ。 「間違いなく目当ての部屋にたどり着けるものなの?」と香港在住の人に聞いたら、何言ってんの、どうやって間違えるんだ、という顔をされた。 日本の住宅街の風景と高さ以外にも違うところがあるなあ、としばらく観察していたら気がついた。 バルコニーのある家がほとんどないのだ。 ほとんどの家が、「窓を開けたらそこは外」という状態。恐ろしい。 更に怖いことには、高層階であっても、窓から棒を突き出して洗濯物を干している家があること。いやー、なんか危ないなあ。 3.売り子の口車に乗るな 中国人は商売上手である。香港だけでなく上海でもそう思った。 ちょっと服を見ていると、「この服にはこのカーディガンが合う」「このジーンズがおすすめ」と次々にコーディネイトしてくる。 「バーゲンだから安い。今なら買い」と言うのだが、頭の中で軽く計算してみると実は日本とそれほど変わらなかったりする。 調子に乗って全部買うと恐ろしいことになりそうだと自制した。 4.せっかちな香港の人々 大阪には行ったことはないのだが、香港は大阪に近いのではないかと感じた。 まず車の運転。人が多すぎて車道にあふれていたりするのでしょうがないが、クラクション鳴らしすぎだし、強引に通り過ぎ。 最終日、ホテルをチェックアウトする時、フロントで「ドリンクバー?」ときかれて、「NO」と答えた後でスナックを食べたことを思い出し、「スナックを食べた!」と慌てて言ったら、思いっきり舌打ちをされた。ホテルマンとしてそれは一体どうなの!? そりゃあなたのチェックアウト作業タイムトライアルを邪魔したのは悪かったと思うけど……。 |
2005年02月14日(月) 台湾から香港へ 仕事の話はおもしろくないので(と言ってもとてもうまくいった、ということだけは書いておく)、残念ながら24時間も滞在できなかった台湾で見たこと、思ったことを羅列しておく。 1.「トリビアの泉」だったと思うが、TVで見た歩く青信号があるのは台湾だった。 青になるとカウントダウンがはじまり、青色の歩行者マークが歩き出す。そして10秒を切ると走るのだ。 2.台湾ではファミリーマートは「全家便利商店」という。コンビニエンスストア=便利商店、というのはかなりわかりやすい。 3.台湾では「そごう」がかなり大きなデパートとして君臨していた。しかし案内してくれた台湾の人は、高いのであまり行かないと言っていた。 4.空から見た台湾は非常に美しい島だった。暖かいところだからなのか、たまたま出会った人たちがそうだったのか、みんな親切で、人がよい感じを受けた。今度はプライベートで訪れてみたい。 5.なぜか台湾ではお茶よりもジュースに遭遇する確率が高く、お茶は空港でローズヒップティーを飲んだだけだった。台湾の人はあまりお茶を飲まないのか……? いや、そんなことはないはずだが……。 次なる旅は、香港。 今度はキャセイパシフィック航空。 こちらのイメージカラーは赤。(記憶を呼び覚ましてくれた235さん、サンキュー) 1時間半の短いフライトなのであまり記憶に残っていない。 台湾もそうだったが、空港では今でもSARSの予防線として体温測定カメラが備え付けられ、入国者をチェックしていた。 熱があろうものならそのままどこかに連れて行かれて中国語で何か言われちゃんだろうなあ、と思うと恐怖ではある。 なんなく入国手続きを終え、エアポートエクスプレスと呼ばれる列車の乗り場に向かう時に、それは起きた。 なんだか体が熱い。急にどわっと汗が額に浮かんだ。 マズイ。インフルエンザか、風邪か、尋常ならぬ発熱っぽい。 2日目にしてリタイアどころか、熱なんかあったら香港を出ることもできないに違いない。 と思ったらだんだん気分が悪くなってきた。ますます泥沼である。 私いつ日本に帰れるんだろう……。悲しくなってきた。 とにかく、まだ電車は来ない。座ろう。 ベンチに腰を下ろす時に、耐え切れず、コートを脱いだ。 涼しい風が頬を冷やす。 気持ちいいなー、と思っているうちに、電車が来たので荷物を引きずって乗り込んだ。 その時に気付いた。 この電車、クーラーが入っている。 ……ここは暑いんだ。コートなんか着ていられないくらい。 なんだー。びっくりしたよー。 この旅行で一番恐ろしかった瞬間があったとしたら、この時だっただろうと思う。 |
2005年02月13日(日) 初めてのアジアはお仕事で。 なんで連休なのにこんなにバタバタしてるんだ? っていう、ね……。 実は13日から海外出張に行っていた。 その記録。(2月19日記) 午前中に成田エクスプレスで成田空港へ。 中華民族の旧正月休みの最終日。(といっても中国本土はもうちょっと長い) よりによって民族大移動の日を選んでしまったので、台湾行きの飛行機は満席。 仕事道具のPCが手持ちのバッグに入らず別に抱えていたら、「今日は満席なので手荷物は一つでお願いします」と言われてしまい、「これパソコンなので持っていきたいんです」と訴えたらなんとかOKを出してくれた。 ふう。旅行中、よいバッグがあったら購入しちゃおうかな。 中国ではこうは行くまい。 入国審査の後、免税店で現地へのおみやげを購入。 前回の海外出張でも持って行ったキャラメル(黒糖と抹茶があった)にすることにした。 理由は、比較的コンパクトで量が多いし、他のおみやげに比べて安いから。 EVA航空はグリーンがイメージカラー。 飛行機の内装も機内食の食器も色使いがよかったように思う。 お正月っぽく、壁にお祝いの飾りがあったり、乗り込んだ時にかかっていたBGMが伝統音楽だったりしておもしろい。 映画1本を見終わって、次の映画を見ているとそれが終わらないうちに台湾に到着した。思ったより近い。 空港からはホテルからのお迎えのLIMOで台北へ。 1時間はかからなかったと思う。 ベテランの運転手さんらしく地に足の着いた安全運転だった。 (この出張中、彼がベストドライバーであった) 日系のホテルのためか、フロントで日本語が使えた。 ベルボーイも片言の日本語を話す。 明日ミーティングをする台湾の支店の女性がダンナさんと二人で食事に招待してくれた。 ちょっと辛かったけど、おいしかった。 冷たい(Cold)お食事が、湯通しした海老を冷やしたものだと思ったら、生の海老が出てきたので驚いた。 ご夫婦が「私たちは食べられないからあなたのものよ。食べて」と薦める。 食べられないなら注文する時に一言言ってよォ。 初日から海老でお腹壊したらバカでしょ……。 そんな心配事はあったものの幸い何事もなく、第一夜は更けていった。 (深夜に金城武のドラマがやっていた、気がする) |
2005年02月11日(金) 結婚式 友人の結婚式。 今日は受付を頼まれていた。 私と友人Nは新郎の友人、男性二人が新婦の友人、という性別逆転の受付だったので、式場の人は私とNに新婦の受付、男性人に新郎の受付の説明をし、最初私たちもそうしていたのだけど、一通り親戚の受付が終わって友人たちが来はじめると、お互いに面識がなくてやりにくかったので、スイッチした。 自分たちが知っている友人たちのケースはそれでよかったけど、会社の人とか別のグループの友人だとやはり多少戸惑ったようだ。 実験みたいでおもしろかった。 名前の書き方も人それぞれでおもしろかった。 与えられた枠いっぱいに書く人、「大きく書くぞ」と宣言しながらそれほどでもない人、などなど。 祝儀袋の水引もいろいろ。 友人の一人がえらく立派で個性的な祝儀袋を丁重に取り出したので、Nと 「随分お祝いはずんでるね」 と冷やかしたり。 「なんかインクが滲んじゃってさ」 と慣れない筆ペンで記した名前に言い訳する友人がいたり。 連休初日のためか式場のスケジュールもいっぱいだったようで、これから披露宴を行う会場ではまだ前の組がやっていたし、お向かいも別の式が行われていた。 ちゃんと時間がずらしてあって、花嫁たちが廊下で鉢合わせしないようになっているのにはNと二人感心した。 トレイに集まったご祝儀袋を随時足元の袋の中に片付けて、名前の記帳をお願いして、席次表をお渡しして、という一連の動作は、何度か不祝儀の席で経験して大分慣れていたので、 「次転職する時は冠婚葬祭業者にしようかな」 と冗談を言ったら、年末に仕事を辞めて職探し中のNは、 「転職情報誌でよく見かけるよ」 と笑った。 今日の披露宴はとても和やかで、よかった。 新郎新婦が所属している社会人オケの人たちの演奏とか、新郎の趣味全開のマニアックな選曲とか。 お色直し中の、生まれた時から現在までの新郎新婦の映像コーナーで、私たちのテーブルのメンバーの写真もあったんだけど、一人だけ「生涯の友」と字幕をつけられた友人は、今日はその後ずっと「生涯の友」と呼ばれた。 それにしても披露宴って、本当にこの上なく恥ずかしいイベントだ……。 私はちょっと無理(笑)。 披露宴の後、お向かいの式の出し物の出待ちをしていたのはマツケンサンバご一行。 人の式なのに思わず横の開いた扉から覗いてしまった。 結婚式ではマツケンサンバが流行ってるらしい。 |
2005年02月10日(木) 本日の記録。 昨日の夜、PCのやりすぎで頭痛とめまいがしてきたので急に思い立って「明日は午前半休とります」と上司の机にメモを置いて帰ってきた。 やることはいっぱいあるんだけど、いいよ、もう適当で。 朝はいつもどおり目が覚めたんだけど、会社に行かないでいいというだけで幸せな気分だった。 自分の好きな時間に起きて好きなだけ働いて、帰りたくなったら帰れたらどんなに幸せだろう。(そんなやつクビです) 洗濯機が回っている間に、週末に届いていた通販で買った棚の作成をはじめた。 無心にネジを巻くのって楽しい。 何も考えないでいられるっていいねー。 銀行に行って窓口で印鑑をいっぱい押してサインをしていたらあっという間にタイムリミット。 会社に駆け込んだ。 そこへ銀行から電話。 「1枚押印を頂いていない書類がありましたので郵送いたします」 あれだけ押したのに、まだあったのか。恐るべし。 夜、半日休んだ分やっぱり残業になってしまった。 荷物を持って外に出たら、空気が異常に冷えている。 雪が降っていた。 急に冷やされたアスファルトから、白い湯気が霧のように立ち上っていた。 終電にはなんとか間に合うけど、荷物がやたらと重いし乗り換えも面倒なので、自分に甘くしてタクシーを使ってしまった。 残業代もタクシー代に消えぬ。 |
2005年02月06日(日) 東京見物 午前中、携帯電話の機種交換に出かけ、新しい携帯に変更。 あるルートの価格+2年以上利用で貯まったポイントで4000円と安上がりに入手。ついてる。 午後からはオランダから来ているゲストのお二人(イギリス人のDさんとスペイン人のCさん)の東京ツアーに同行した。 ツアーアテンダントは私とYさんだけど、どちらも最新の東京情報に疎く、心もとない。 高いところから東京の景色を見たい、というリクエストで、六本木ヒルズに行った。 駐車場から戸惑い、ランチに入ったカフェで戸惑い。 初心者で恐縮です。 展望台上るのタダだと思ったら大違い。 日本は何でも高くてゴメンナサイねえ。 ダメ元で差し出した会員カードが奇跡的に効力を発し、300円安くなった。 よく晴れていたので遠くまで良く見えて(富士山までは無理だったけど)、それだけの価値はあるか、という気になれた。 高いところにくると爽快。 普段目の前に何もない状態なんか見られないからか。 遠慮しがちに写真を撮っていたゲストの一人に、景色を背景に写真撮りましょうか、と言うと、デジカメに入っているメモリースティックが8MBしかなく、3枚しか写真が入らない、と言う。 せっかくなのにもったいない。 ふと、今日買った携帯にメモリースティック(38MB)が付いていたことを思い出し、これを使ったら?と渡したら、非常に喜んで突然カメラ魔に変貌。おもしろい。 結局その後秋葉原に行き、彼は免税店で128MBのメモリースティックを買っていた。 その他に行った場所。 東京駅(車上見学)、お台場。上野。 彼らがお土産を買ったのは、結局上野の100円ショップだった。 Dさんは、子どもがドアで指を挟むのを防ぐストッパーを購入。 一緒に同行していたYさんによると、オランダでは100円ショップでよく見かける便利グッズみたいなものは売っていないのだそうだ。 Cさんは茶碗を買っていた。 夕食は焼肉。 同行していた日本人が一番食べてました。 ごちそうさまでした。 |
2005年02月03日(木) How tall are you? イベント初日。 今日は説明員の役目をおおせつかり、朝から立ち仕事。 自分の担当外の業務のことを聞かれると、しどろもどろで役立たずな最低な説明員である。(前日に一通り説明はしてもらったんだけど) お昼に、海外からのゲストを隣のビルの社員食堂に連れて行くように頼まれて、2組のゲストを2回に分けてお連れする。 オランダから来たスペイン人の女の子が、コロッケとゴハンを選択。 ゴハンに醤油をかけて食べていた。 コロッケはオランダにもあるので(私も2003年10月の出張でオランダ版コロッケを食べた)、日本のコロッケはどうかと聞くと、日本版もイケるって。よかった。 オランダのコロッケは中身が純粋ポテトではなく、シチューを煮詰めたようなものが入っていて、やたらとお腹にたまる。 お昼に1個食べたら、夜まで食欲なしだったもん、スゴイ。 もう一組はドイツからのゲスト。 一人はやたらと背が高くて、びっくりした。 目の前にキリンが登場したのかと思うくらいほとんど真上を向いて初対面のご挨拶をした。 古いビルの中は天井が低い上に改築続きで障害が多いため、常に顔の前に手を出して、警戒しなくてはならなかった。 「too risky」と苦笑していた。 日本では大変ですね、と言うと、ドイツ人はあまり背の高い民族ではなく(一番のノッポはオランダ人だとか)、ドイツでも苦労が絶えないそうである。 「ところで身長どれくらいなんですか?」 「2m」 2メートル!! そっかあ。 「あなたはどうですか?」 ともう一人のゲストにもきいてみると、彼は苦笑して答えた。 「Only 170cm」 いやあ、170あれば、「Only」じゃないと思う……。 2mは大きすぎるのです。 |
2005年02月02日(水) 無茶だったらしい。 半日に一度はメールをフォルダに移し変えないと、ボックスがいっぱいになってしまう状態。 ゴメンナサイ。全部見てません。恐らく返事も……いや、まあ、ぼちぼち。 結局今月の出張は中国語圏のみになった。 トラベルデスクに電話をしたら「あの無茶な日程のやつですね。よかったですね」って、やっぱりプロが見てもそう思う? ちょっと自分でも不安だったのでほっと一安心。 でも残りは来月行くことになりそう。 あとひとふんばり。 今日こそは早く帰ろうと思っていたし朝から公言してたんだけど、同じ部署の人が明日からのイベントの準備が終わっていなくて瀕死の状態だったのでお手伝いしたらまた遅くなってしまった。 うちの部署の人はみんな満身創痍です。なんとかしてください。 |
2005年02月01日(火) メモ オメデトウ。今日から新システムに切り替わりました。 強硬突破した割に問い合わせが少なくほっとしたのもつかの間、午後から怒濤のメール攻撃。 時差のために単に事態を把握するのが遅かっただけか……。 500対2、か。頑張ってるよね、私たち。自画自賛。 |
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