西方見聞録...マルコ

 

 

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ジェンダー☆ジェンダー - 2003年10月31日(金)

昨日の話。

専門学校の講義でジェンダーに関しての参加型の学習というのをやった。地球環境科学というお題の科目で人口問題を取り上げたのだが、人口爆発の防止にも少子高齢化の緩和にもこのジェンダーの視点は鍵になってくる。でもジェンダー=社会的性役割って具体的にはなんじゃらほい?そこで学生諸君の内なるジェンダーに光を当てるべく上記の活動となったわけである。

まず、女子学生、男子学生それぞれに下記の様な質問項目を配り記入してもらう。
1. 自分が女(男)だからできることは...である。
2. 自分が女(男)だからできないことは...である。
3. 女子(男子)はこういうことが出来ないと人が言うと...と感じる。
4. 人が女子(男子)に期待することは...である。
5. 男子(女子)をうっとおしく感じるのは...のときである。
6. 女子(男子)をうっとおしく感じるのは...のときである。
7. 男性(女性)が素晴らしいと思うのは男性が...だからである。
8. 女性(男性)が素晴らしいと感じるのは女性が...だからである。

次に学生から書記2名を選んで前に出てもらい、黒板に女性、男性、両方の行をつくり、できる、できない、言われる、期待、などの項目を列にとり、各自の意見を発表してもらいどんどん書き出していく。

      女子         男子             両方
できる
    出産、スカートをはく  立小便、男泣き
    コスプレ、裁縫、    後先考えず行動すること
    おごってえと言える   経済的な女性、親類への援助
    甘え          愛しい人を守る、力士


できない
    夜中の一人歩き     ミスコンテスト
    社会的出世       出産・生理・授乳
    立小便、機械操作
    体温の関係で肉屋さん
    ぱんつ1丁で歩く、
    男社会への参入
    大工さん、プロスポーツ


まあこんなかんじ。
それで出てきたものを1つ1つみんなで検討して行く。「女性でもそれやってる人いる!」とか「男泣きは男にしか出来なくても泣くのはみんなできる」「ケニアでは女性も立ちションしてるよ」とか。

すると多くが個人的な思い込みだったり、例外的でも不可能ではなかったりすることが分かってくる。で、大体の意見が両方の項目に移り、結局残るのは出産・生理等の生物学的性差だけになる。

生物学的性差を原型に社会・文化にもその差を適用・類推して広げていってしまうのがジェンダーというのが分かってくるわけだ。

ケニアの女性立ちションはマルコの目撃談だったりするのだが、ケニアママたちがよく丘の上にたって堂々と立ちションしてたし、私の友達の17歳の女の子が私と手をつないで歩いている途中、「おお、辛抱たまらん」とかいってスカートのままぱんつの股間部分をちょいとずらし立ちションして、そのまままた手をつなごうとしたこととかあった。

上記体験意外なところで役に立ちました。

出産に関しても男性の小腸に卵産み付けて産んでもらうことを目論んでいる某ジンバブエ文学研究者がいるがソレに関してもさりげなく授業で触れておいた。学生さんの反応はあんまりさりげなくなかったけど。

女と男の臨界点は近い。





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遠い日の花火 - 2003年10月30日(木)

 本日は専門学校で教壇に立つ日でございました。

 専門学校の若人たちはもうそれはそれは恋愛大好き時期の皆様でございます。大変有望な学生さん(女性)に進路の選択肢の一つとして「青年海外協力隊なんてどう?」とか話していると、となりにいる彼氏のほうをちらりと見て「でも、2年は長いし」なんぞと口ごもります。普段ボーイッシュな彼女がそれはそれは色っぽい風情であります。

 また大変賢くシニカルな学生さん(男性)と帰りの駅のフォームで会って、「よっ」とか挨拶したら、なんと彼女連れでしかもその彼女は同じ学科の下級生でそっちも私の教え子だったりして「やばいとこみられちゃったな〜」という顔を二人揃ってなさいます。ええ、先生はばっちり目撃させていただきました。

 不況の世の中、最上級生の2年生は来年の3月からどこの空の下で過ごすのか未定の方が多ございます。先の見えない不安を紛らわすように、いつまで一緒にいられるか分からない相手と恋をする学生の皆さん。若いということは美しくも切ないのう、なぞと若年寄のように考えながら、そういや私も青年海外協力隊に補欠合格していつどこの国に行くのか分からない状態の時にあめでおさんと恋愛しちゃったのだなとか思い出しました。その後わたしゃ無事にアフリカにいけることが決まり、2年間あえない人のことを考えてちょっと泣き、さっくり準備してスチャラカアフリカに行ったのでした。

 恋は遠い日の花火ではない

 とはウイスキーの宣伝文句ですが、ああいう切羽詰った切ない恋というのは間違いもなく、もう出来ない遠い日の花火なんだろうな、と後ろの部屋から聞こえるあめでおさんのむにゃむにゃという寝言を聞きながら思うマルコでありました。


...

サルベージーいきなり、黄金伝説 - 2003年10月28日(火)


えーとこんな話を日記で書いたところこのHPのどこかにあるという掲示板のほうに私も書きたし!という皆さんが殺到なさいましたので、
「じゃ、一人一回だけ、しもねた披露してください。あ、でも笑いが取れて、後でサルベージされても大丈夫なやつをお願い。」

とお願いしたところ下記のようなお話が集まりましたので約束どおりサルベージさせていただきます。1人1回といったら、掲示板の「書込みすと」の皆さんの間でしもねた披露権のやりとりが行われたり、京都議定書のCO2排出権のやりとりのようでした。

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高等戦術 投稿者:ダイヤ  投稿日:10月15日(水)
>でも笑いが取れて、後でサルベージされても大丈夫なやつをお願い。
プレッシャーに負けて、書けなくなったアホが約一名>ワタクシ。
サイトオーナー様の封印の術にはめられてしまいました。

まーしかし、本当にワタクシが夜中にやられて参っちゃうのは、黄金色の方でも薄黄色の方でもなく、逆流の方でございます。
しかも犯人は寝たまましてまた寝てるって場合もあり、下手すると寝返りして髪の毛にすり込んでたりして、深夜に起こされて始末させられるこちらの血流の方が逆流しそうです。

かつて5歳児がまだ1歳だった頃、風邪で発熱し食欲が落ちたので好物のイチゴをたくさん食べさせてやりました。
その夜、なんとも甘酸っぱい奇妙な匂いで目を覚ますと、イチゴが逆流されていたのでございます。しかも1歳児はベタベタして気持ち悪いものだから、手をあちこちにこすりつけ、寝室がえらいことになっておりました。
1歳児を叱っても仕方ないので脱がせてシャワーを浴びさせて、布団関係、壁関係あちこち処理したのですが、そのように周囲がバタバタしていても、自分が頭を乗せている枕カバーにべったり付着していても意に介さず眠り続ける男が約1名。
換気のために窓を開けて、真冬の冷たい空気が入っても動かない男が約1名。
すべてが終わって、ようやく1歳児が眠っても依然としてプンプン臭う臭気発生源の至近距離で安らかに口をあけて寝ている男が約1名。
本当に頭にきて放置してやろうかと思いましたが、臭いが抜けないと困るので、
その男の頭を持ち上げて枕カバーを外しました。もちろん寝てました。

不幸中の幸いはイチゴが赤くて発見しやすかったことで、これが目立たない色だと
臭いはするのに姿が見えず、発見が遅れたりします。

今思えばワタクシ本当に優しかったです(爆)。
この冬そういう事態がもし発生したならば、(大体子供が風邪を引く冬季に多いのです)
とっとと蹴り起こされて手伝わされていることでせう〜。
そんな男も今では子供が逆流しかけると両手で受け止められる程に成長いたしましたねー。

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さすが 投稿者:マルコ  投稿日:10月15日(水)
ダイヤさん、プレッシャーにもめげずにちゃんと、書き込みましたな。


私は大変鉄壁の胃腸の持ち主でアフリカでもほとんど困りませんでしたが
アフリカの穴ほって小屋がけしただけのおトイレで用を足してると
とちのお子さんらがめづらしい外人がトイレに入っているというのでよく
見学にこられました。

あとケニア女性が丘の上にたち堂々とたちションしてる姿をよくお見かけしたのですが
なかなか出来るもんじゃありません。ボーヴォワールに見せたかったです。

でも中国で、、、はっ、1個以上書いちゃった、ごめん。

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高等戦術なのは 投稿者:いとこ  投稿日:10月15日(水)
ダイヤ様、さすが、逆流のほうで逃げましたか。
それではさっそく便乗。(ダイヤ様に責任はありません)
逆流1
前職場の同僚夫妻(外国人&夫は○○流し事件の人)が当時3才の娘を
職場の共同使用スペースに連れてきました。娘はお腹にくる風邪から
回復したばかりで朝はミルクを飲んだとか。妻のほうが講義中、私は
夫の方とお話。その間、娘に「咽渇いたお腹すいた」といわれるまま
彼は揚煎餅とアンズ色のヨーグルトドリンク「ラクテイア」を与えて
ました。「揚げ物と乳飲料なんてちょっときつくないかー」と横目で
見つつ、私は彼と雑談続行。気付くと彼女は青い顔をしてます。
「どうしたの?」と声をかけると彼女は喋ろうとしたとたん色鮮やか
な「揚げ煎餅ラクテイアミックス」をぶちまけてしまいました。
ミックスは可愛いピンクのワンピースにべったり。
運動靴は歩くと「靴がー鳴るー」。
彼と私は床を必死に拭き、服は彼が洗って彼の研究室に娘ごと移動し、
そこで天井の暖房に服をかざしして彼は乾くまで立ってたそうです。
お嬢ちゃんは今10才、なーんも憶えてないのよねー。
2
私の歌の先生のネコは昔、先生の枕元にやってきてやおら吐きました。
ちょうど虫下しを飲ませた後だったので元気な寄生虫が枕元にぴちぴち。
泣きそうになりながら始末したそうです。
3
私、前職場で1ー2限の授業で気分が悪くなり(朝御飯の干物か?)
戻してしまいました。それも4回!自主学習と組み合わせてガラスで
仕切った2教室を45分づつ教える形式だったので1つの教室ごとに
トイレに駆けこんでました。4度目位にはあらかじめ学生に「というわ
けでまだ気分が悪いから途中で吐きにいくかもしれんから驚かないよう
に」と最初に警告しておきました。学生は驚きましたが、さすが、医療系、
「先生吐く前は顔は青かったけど、トイレから戻ったら顔色よくなり
ましたよ。」と観察結果を披露してくれましたわ。
昼休みに自分の偉業(?)を誰かに報告したくなり、同僚の研究室に
電話し、吐瀉物の鮮明な描写を交えて興奮しながら話しはじめたら
「昼食中」故に死に物狂いの抵抗をされました。

やっぱりマルコの中では「逆流」も例外には入っていなかったのね。
凶徒議定書踏み倒してしまいましたわ。
でも飴李下のように調印しないで逃げたわけではございませんのよ。
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高等戦術2 投稿者:れいこな  投稿日:10月16日(木)
さすがいとこさまですわ。1回で3つ分の話をねじ込むとわ…。
しかも「シモ」ではなく「逆流」ネタだから…とのご認識。
こちらも感服いたしました。

で、1回分いとこさまに譲っちゃったんでアレなんですが、
別にびろうな話ではなく、文化の話なので(との御自らの御認識にて…)

>あとケニア女性が丘の上にたち堂々とたちションしてる姿をよくお見かけしたのですが
>なかなか出来るもんじゃありません。ボーヴォワールに見せたかったです。

和装だった頃は日本でも普通だったという話ですわ。寅さんにも出てくる物売りの口上にも
「四谷赤坂麹町、ちょろちょろ流れるお茶の水 粋なねえちゃん立ち…」という
くだりがありますし、リン某先生は高校時代、グランドにあった男子トイレで
「はい、ごめんなさいよ」とどこからかともなく現れ、やおら裾をからげてささっと済ます和装の老女の姿を目撃したとか。

と思って検索してみたら、明治41年7月17日付けの東京日日新聞に、福岡県が
女学生に禁止するよう申し合わせた記事があったそうですわ。

ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/dksniper/others/zatu/bun/zatu4.htm
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女性の立ち○○考察 投稿者:いとこ  投稿日:10月16日(木)
文化論です。はい。びろうな話ではありません。
どうも、路上における肌の露出度(ふんどし一丁とか女性労働者の
腰巻き1つとか)そして、女性の立ち○○とか江戸時代から続く
風習はおおらかだったようで。。。日本が明治になって西欧の
ように「近代国家」を目指した時、当時のVictoria朝の非常に
お堅い(そして病んだ)性慣習を積極的に取り入れた結果、次々
と禁止令(外国人に見られて「野蛮」と書かれることも政府は恐
れてました)を出したとか。。。。。

トイレの風習の男女差が女性の心理的抑圧論まで発展する西欧は
ある意味病んでましたわねー。中国なんて、昔は(今もある?)
股割れずぼんのようなものを幼児は穿いていたので
お尻あたりの布をかき分けてしゃがめば準備万端だったとか?
(はっ。。もしかしてここらへんをマルコは書きたかったのか?)

19世紀の西欧の文化=開明、啓蒙 ではなく実は抑圧だったという
話はよくありますなー。最近、ナイジェリアのイボ人の例ですごいのを
読みました。伝統的な社会ではイボ人女性はほとんどみな市で商売を
してました。それで、妻の結社とか娘の結社とか作って、その団体で
しか解決できないもめ事を解決したりしてました。(現在の市場
の女性の互助会とかその流れかね 専門家マルコ、いかがですか?)
例えば、妻を殴ることを夫が止めない場合はその団体の女性達が
通称「男虐め」という手段(野卑な歌で男を愚ろうしたり、暴力
をふるったり)で男に止めさせていたとか。または妻の勤めを
みんなでボイコットというアリストファネスの「女の平和」も
真っ青の行動に出てたそうです。
当時の男性中心主義の植民地政府は男性のリーダーと交渉し
それを通じて支配することを常としてましたので(実はイボは
合議制社会で中央集権的な機構はなかったのでイギリスはますます
イボを「政府も持たない野蛮人」と考えました。)この女性の
団体の力は全く無視されてました。(そしてキリスト教改宗者は
「夫に従う家庭の天使」というVictoria朝独特の概念に従うことを
要求されたりしたのです。)でも、ある日、植民地政府の
不当な課税に怒った女性結社は「女一揆」なるものを起こし、
留置場を襲い、囚人を解放し、建物を焼き討ちしたりして、時の
植民地政府を震撼させました。ここで始めて英国人はイボ人の慣習を
理解していなかったことに気付き、支配をスムースにするために沢山
文化人類学者を送り込んで調べさせたそうな。めでたしめでたし(皮肉)

>「はい、ごめんなさいよ」とどこからかともなく現れ、やおら裾をからげてささっと
>済ます和装の老女の姿を目撃したとか。

こんないきなお婆さん、ケニアの女性ともども是非拝見したかったです。
見たら寿命が伸びそうな眼福な光景ですわ。
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女性の小用 投稿者:しー@れいこな一家  投稿日:10月16日(木)
私の祖母は和装時、男性小便所でしてました。
ならっておくべきでしたね。

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こんなときだけ 投稿者:むっしゅんぬ  投稿日:10月16日(木)
ごぶさたしています.こんなときだけ出てきて恐縮です.ほほえまし系ということで.

子供が乳児だった頃,パスタ屋でお昼を食べて私はほうれん草のソースのパスタを食べていました.
「そういえばこないだおしめを替えたとき..」「それ以上言うな」「えーでもその色が..」「だからそれ以上言うなってば」

数日前エノキダケのおひたしを食べているとき,
「そういえばこの子が小さいときよく..」「それ以上言うな」「えーでもよくそのまま出てきてしかも引っこ抜いたりしたじゃん」「よく憶えてるけどそれ以上いうなってば」「だってしめじとかもそのまま..」「僕も引っこ抜くの好きだったけどそれ以上言うなってば」「そういえばコーンもそのまま..」「いいから..」
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はりねずみ 投稿者:なみなみ  投稿日:10月17日(金)
一人一件可ということでしたので。
えのきだけを大量に摂取すると。タイトル通りになります。

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黄金の呪い 投稿者:ダイヤ  投稿日:10月31日(金)

黄金疑惑の書き込みをしたその夜のこと、ワタクシ台所で夕食準備に勤しんでおりました。
と、5歳児の「来て!大変!すぐ来て!」という叫び声が。
だがしかし、そういう叫びは我が家では日常茶飯事でございますから、「なーにー」と返事だけして放置しておりますと、
「○○くんがウ○チ踏んだ!」との続報が!!
まさにこれは一大事と廊下に出てみると、まさしく黄金色の物体と、それを踏みにじって走った足跡が!!!(←!使いすぎ)
珍しく早く帰宅したオットが入浴していたので、合流しようとして全裸になった3歳児がそのまま落下させたのでございます。
なぜトイレでなく廊下に(しかもトイレ入り口)??
その上踏む??
謎はさておき脱走した3歳児をトイレに運んで続きをさせ、被害を拡大しそうな1歳児を風呂場に運搬し、自分は流せるお尻拭きを持ち出して後始末に当たったのでございます。
足跡が散在している上、フローリングの溝に入り込んでいたので除去に手間取りました。
そうしているうちに台所からは何かの焦げる臭いがーーーー。

不覚でございます。
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みなさま吐瀉物の話ならしもねたではなかろう、とか、女性の立ちしょんは文化論であるとか巧みに逃げながらのご参加有難うございました。はは。


...

斑鳩大捜査線 - 2003年10月26日(日)

 本日あめでおさんは学生さんを引き連れて斑鳩の里で野外実習をなさいます。実習地の選定はもちろんあめでおさんです。マルコは2人の子どもと留守番だったのですがあめでおさんが「10時半頃にはこの公園を通りかかり、4時には法隆寺で解散しますので」とおっしゃいます。

 それは見に来い(あるいは愛くるしい娘らを見せに来い)ってことですかい?と解釈し、あめでおさんが出かけた後、10時半娘らを自転車に乗せ、まず家から2分ほどのところにある某公園へ。しかし全然ソレらしい人影もなく、ソレらしい人々もこないので11時にあきらめて帰宅し、3人で作り置きのカレーなんて食します。そしてお昼から、1号さんのリクエストに従い、わが町が誇る図書館に参り、視聴覚スペースでアニメ映画を見て、これまた1号さんのリクエストにより3時ころ隣町のミスタードーナッツに電車でGO。ドーナッツでおやつを食べわが町に帰ってくると丁度4時。駅から自転車であめでおさんの姿を求めて法隆寺境内へ。

 法隆寺の門前に自転車を停め、境内の中の小高い丘に行く。ここからは奈良盆地が一望に出来るのでここからあめでおさんは本日の実習の締めをする予定でした。しかしやっぱりそこにもソレらしい人影はございません。

「今日1日おとうちゃん探しちゃったね」
「見つかんないね」と1号と言い合いながら門まで戻り駐輪所の自転車に乗り込んでいると

「ここからの法隆寺の眺めが一番美しいですな」
という聞き覚えのある低い声がします。振り向くと学生諸氏をひきつれたあめでおさんが門前から法隆寺の境内をのぞいて解説中です。あめでおさんはこっちにはじぇんじぇん気付いていらっしゃいません。

 「いたよ、おとうちゃんだ」
 「どうする?声をかける?」
でもあめでおさんはどう見ても勤務中です。そこで声をかけずに3人であめでおさんと学生さんのご一行様をこっそり尾行することにしました。
 境内の法隆寺寺院配地図前で講義をするあめでおさん。土塀の影から1号とおKさんを抱っこしたマルコはそっと様子をうかがいます。どう見てもかなり怪しいです。フツウの観光客の皆さんもありがたそうにあめでおさんの解説を聞いています。ちなみにあめでおさんの専門は自然科学ですので、お寺の解説は趣味であって権威ではありません。

 その後あめでおさんご一行様は境内の件の小高い丘にいかれました。その丘での解説が終われば今日の実習はおしまいのはずですので丘から降りてきたところにある無料休憩所で3人でお茶飲んで待ってました。

 しかし降りてきません。どうしたんだ?丘の向こうに抜け穴でもあったか?そう思って丘の麓まで行くと、しまった!ご一行様が降りてきてしまいました。マルコと1号と抱っこされたおKは慌てて茂みの陰に隠れました。ご一行様を連れたあめでおさんが茂みを通過しようとした時、あめでおさんがふっとこちらを見ました。そこには何故か茂みに隠れる妻子の姿が!

「な、なにやってるんじゃ。あんたら!」

 大変怪しいマルコと1号とおKさんの登場の仕方でございました。学生さん驚かしてごめんなさい。素人、特にあかんぼ連れにはに尾行は難しいですわ。


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赤い観覧車 - 2003年10月25日(土)


 今日はいろいろと予定のある日でございました。
 まずは奈良市内の、1号かかりつけの喘息医のもとへ参上。夏の間はほとんど他の患者さんに会わない空きっぷりでしたのに、風邪シーズン到来ってことで混んでます、病院待合室。順番がくるまで子ども二人とマルコは近所の土産物屋で時間をつぶし、あめでおさんが1人風邪菌漂う待合室で順番待ち。

 診察後、興福寺の境内でお弁当に作って来たサンドウィッチとお握りでお昼ご飯を食べました。サーモン海苔サンドが自作ながら美味しかったっす。

興福寺は今興福寺国宝特別公開2003 五重塔初層内陣・菩提院大御堂・旧西金堂乾漆像のすべて展10月5日(日)〜11月10日(月)興福寺境内(五重塔・菩提院・国宝館) というのをやっており。いつも見られない北円堂の中をみたり、普段展示されてない十大弟子や八部衆の乾漆像を見られました。ちなみに興福寺友の会員の私どもはこの辺の展示は全部タダでみれます。国宝館の中も1月1度の1号さんの喘息定期検診の際にかなりチェックしているので、どの像がこの特別期間に展示されてるものかすぐにわかり、とっても通な私たちなのでした。

 この後、夕方帰宅し、カレーなんかを食している子ども2人とあめでおさんを横目にマルコはダイヤさん主催の「辛いものオフ」にタイ料理を食べに行く。タイ料理、タイで死ぬほど食べましたがさらに食べます。おいしいです。

 そして当HPのどこかにあるという掲示板の常連さんのなみなみさんと当夜の幹事のダイヤさんとあともう一方美貌のRさんとおっしゃられる方と梅田のHEPの大観覧車に乗りました。こんな大都市の心臓部のデパートに観覧車があるのは結構斬新な風景でございました。

 HEPで観覧車に乗る、という企画は当HPの重鎮れいこなさんの関西上陸記念に考え出された企画だったのですが、れいこなさん来阪時はスケヂュールが合いませんでした。そんなわけでこの日、れいこなさんに思いをはせつつ、なみなみさんとダイヤさんとマルコは観覧車に乗りました。

 さて帰宅すると、れいこなさんHPの名物掲示板がアルバムモードになっていらっしゃいました。マルコ的には関東時代より晴れの日も雨の日もそのHP日記や掲示板に集う人々に励まされ、慰められてきました。おそらくれいこなさんはより高次元の交流手段をぶちかましてくれると信じます。今宵はひとまず、れいこなさんが長きに渡って提供してくれてきた快適なコミュニケーションの場に心からの感謝を捧げたいと思います。


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震える肩 - 2003年10月24日(金)

 誕生日はずっと前に終わっちゃったんですが、この日突然あめでおさんがお誕生日プレゼントを買ってきてくれました。ぱふぱふ〜。

 コレはうけました。わたしは果たして次回のあめでおさんのお誕生日までにコレを越えるヒット商品を考え付いてプレゼントすることが出来るでしょうか!大変なプレッシャーです。その大変なプレッシャーを戴いちゃうほどうけたブツとはオムロン 低周波治療器 エレパルス !

爾来、肩凝り性なので、暇さえあればこの低周波治療機を肩にはっ付けて、肩を揺らしております。

 1号さんが「おかあちゃん肩がゆれてる〜!」とびっくりしますが電気がとおってるからね。がくんがくんゆれるんです。これつけたまま通学列車乗るのが密かな野望。でも周りの人は怖いだろうな。


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インドネシアVSバングラディッシュ - 2003年10月21日(火)

 わたしの研究室には割といろんな国の人がいる。あんまりみんな雑談とかしない雰囲気なんだけど時々休憩のタイミングが合うと普段聞けないネパール嫁姑事情とか日本の保育園で言葉が通じないとどう困っちゃうかとか、アルゼンチン大家族物語とか聞ける。

 10月からの新学期に新しいダンディーなバングラディッシュ人の留学生がわが研究室にやってきた。英語も日本語も堪能で緒尾左香大学で修士をとったそうで他大学の留学生事情なんかもわかっておもしろい。

 さて彼は、もとからいるインドネシアからの才媛な彼女のとなりの椅子に座った。ところが本日、インドネシアの彼女はバングラディッシュの彼のとなりが辛抱たまらんので私と彼が席替えしてほしい、と涙のメールを送っていらした。どうしたのかと思ったら彼の「におい」に我慢できないというのだ。

 私としてはどこの席でもかまわないし、インドネシアの彼女とは研究も似ておりお話する機会が増えればうれしいので、喜んでインドネシアの彼女の隣の席に移動することとなった。

 ちなみにインドネシアの彼女が耐えられないといったバングラディッシュの彼のにおいは私にはぜんぜん感知できなかった。保育園母仲間で時々ランチを一緒に食べるネパール人留学生によると「文化摩擦ってのは当事者間でしか分からない」ものなのだそうだ。なるほど。


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カラータイマーが鳴る前に - 2003年10月19日(日)

 金曜夜から本日の昼前まであめでおさんの母上が拙宅を訪問しておられた。あめでおさんの母上は一言で申し上げると上品な関西婦人の1丁上がり手前と申しますか、転勤族のボスキャラと申しますか、まあいろいろあったけどフツウに老境に達せられたご婦人です。おんなの人生は消費者として生きるもの、と、割り切っている部分が如何に生産者側にもぐりこむかに人生をかけているエルザさんやマルコさんとちょっと違うところです。

 2泊3日のご滞在はまあ数ヶ月に1ペンですので、マルコとしてはそうストレスにもならず、子どもたちも楽しく過ごし、それなりに有意義でした。

 本日大阪に去っていかれるあめでお母を最寄り駅に送り、図書館で本なんて借りて、帰宅しあめでおさんのお手による昼食を食べていたらあめでおさんが「3日間お疲れ様でございました。ありがとうございました。」と深く頭を下げてくださいましたので、「カラータイマーが鳴る前に戦闘を終結させたウルトラマンというところでしょうか?」と感想を述べると「それはよろしかった。祝着至極。」とあめでおさん的に寿いでくださいました。



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キャッチャー イン ザ ライス(お米畑でつかまえて)3 - 2003年10月18日(土)

収穫の秋がやってきました。

 たわわに実った稲穂が黄金に輝いてゆれるさまは結構たまらなく美しいです。夕暮れ時、1号さんとおKさんを自転車に乗せ、家に帰るとき、二上山と生駒山の間に落ちる真赤な夕日に照らされた稲穂ゆれる黄金の田んぼの美しさに言葉を失います。

 実は昨年はこの風景をいっこも認識できないまま秋を見送りました。

 刈り入れの終わった田んぼの寒々とした光景は強烈に覚えているのですが、刈り入れ前の黄金の田んぼのことは全然記憶にないのです。引っ越してきたのは9月末ですから、当然黄金の田んぼも見ているはずなのですが、フシギです。

 人が見ている風景をどう感じるかは、その人の心理状況に激しく左右されるのだな今更ながらに実感させられます。

 もしかして将来、この稲穂ゆれる風景を疎ましくうっとおしく思う日も来るのでしょうか。美しい夕焼けに私と一緒に「きれいだね〜」と感嘆の声をあげる1号の横顔を見ながら、彼女もまたこの光景を違うものとして受け止める日が来るのだろうかなぞと考えたりします。

 先のことは分かりませんが、今この光景を美しいと感じることができるようになったことをひとまずは神に感謝します。

 私がきれいだと思ってる近所の写真
なんかアップ。
 


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鍋で祝う - 2003年10月16日(木)

 10月10日、旧体育の日は1号さんの6歳の誕生日でした。もちろん恒例のケーキ鍋をいたしました。

 本日16日は私マルコの36回目の誕生日でした。やっぱケーキ鍋でした。
 我が家はイベントが続くと胃がもたれます。うえっ。


...

インスパイア〜土着の知の力 - 2003年10月13日(月)

 本日関西は大雨&大風で、この辺に住む乳幼児を抱える皆さんはどこも1日おうちの中で篭城を余儀なくされたことと存じます。そんなわけで本日あったことをまじで書くとエンドレス大貧民大会やって、完膚なきまでに1号さんが負けて、大泣きした、とかそういう日記になってしまいますので、ちょっと本日は思ったことなどを記そうかと思います。


 本日は最近の掲示板ネタの中でちょっと心を打ったフレーズがあったので、そこから私の考えたことなんかをつらつら書かせていただきます。

投稿者:さるとる  投稿日:10月 9日(木)09時52分19秒
(前略)
三代目貧乏学者@人文系、のじぶんとしては、個人的には
「知は力なり」への信仰は各細胞にしみわたってると思う。
だけど、その場合の「力」は「経済力」ではなくて、
「想像力」でしょうか。
優勢な価値観(たとえば経済至上主義、東京一極主義)から自由になる力。
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んで、このあと、いとこが戦後大混乱の中からハイデッカ-研究者への道を歩んだ木田元の例を引きながら「知への渇望」の話なんかを触れて、「でもなぜそこにある知は常にヨーロッパの「知」なのでしょうか。」と、ジンバブエ文学研究者らしい感慨を述べております。

 このさるとるさんといとこのやりとりを見ていて、私は福島県と新潟県の県境の小さな村に暮らすある青年(今は壮年かな)を思い出していました。

 わたしは卒論と修論で福島県の過疎・豪雪地帯の山地僻村の近代化戦略を取り上げていました。多くの村が炭焼き・木地挽き(おわんの原型づくり)を生業に暮らしていましたが明治・大正・昭和と里から押し寄せる近代化の奔流の中でむなしくその歴史を閉じる村、過疎を逆手にとって「田舎であること」を売りに村おこしをしていく村など過疎との戦いは本当に一言では語れない多様性と凄まじさを秘めたものでした。

 そうした村々に住み込んでフィールドワークを繰り返していた中で私がであったタカオさん(仮名)が今日の話の主人公です。

 タカオさんは中学卒業と同時に家を出て高校に行き、その高校を卒業すると横浜の建設会社で6年間働いたそうです。その後生まれ故郷の村の役場で臨時採用の公募が出たから帰ってくるようにお父さんに言われ、心の整理もつかないまま村に戻り、村役場で働くようになりました。そのころのことを彼が文章にしているのですが、「毎日夕食時になると、涙が止まらなくなった。故郷の村に戻ってきたのに自分はこのままどうなってしまうのかと思うと不安で居たたまれなかった。」そうです。

 その後、村で細々と継承していたカラムシ織りの技術が本州では唯一生き残った古代織の技法であることから民俗映像文化研究所の姫田忠義氏が記録映画を撮りに村を訪れます。その姫田氏の撮影を村に残った若者と協力しながら手伝う中で自分たちの故郷の中にある価値に気付いていき、村で暮らす若者がイキイキできるような活動をしよう、とボランティア協会を結成し、その土地の言葉で「ゆっくりと」という意味の「じねんと」というミニコミ誌を作成することになりました。そうした活動の中からタカオさんは以下のような感慨を抱くに至ります。
「それまでは東京が世界の中心で東京のほうばかり見ていた。でも世界の中心は自分の足の下だと気付いた。それからは見えていた風景が全部かわった。」

 撮影後も姫田氏の紹介でたくさんの有名無名の文化人が村を訪れ、村の若者と徹夜で講演や激論を交わしていくようになりました。「東京に原発を」の広瀬隆、中沢新一、フォークシンガーの笠木徹(ちなみにタカオさんたちもフォークグループを結成しその後CDデビューしちゃってます)。山口昌男はその後村内に住み着いてしまい廃校になった小学校に膨大な著作を置いたりもしました。

 
 タカオさんたちの村はその後、バブルの時代、900億円規模のゴルフ場、スキー場などからなる巨大リゾート建設計画が持ち上がります。村長は「村100年の計」といい計画を積極的に推し進めますがじねんとの若者たちがそれこそ命がけのリゾート建設反対運動を起こし、村役場や農協に勤めていた若者たちには信じられないような逆風に逢いました。いまでこそ巨大リゾート開発なんてヤバイことはわかりますがバブルの渦中の日本で、地元にほとんど産業のない豪雪過疎の村でそれを見抜き、声をあげるのは並大抵のことではなかったと思います。

 私は20歳のころから、定期的にタカオさんの村をおとずれ16年間「じねんと」購読者でした。アフリカにいる時代は何回か頼まれて、じねんと誌に寄稿したりしました。わたしが修士号とって即アフリカを目指したのも、その後タイ東北部の貧困地帯をフィールドにしたのも原点はタカオさんとじねんとの人々がわたしに示してくれた「土着の知の力」だったように思います。

 人はどこにいても学べる。

 誰の足の下の土も美しい。

 アフリカでもタイでも支援に行くという体裁はとっていましたが、私はアフリカのお母さんたちからもタイの中学生からも学んでばかりいました。極貧のタイの中学生も助けられる存在ではなく誰かを助ける存在でありたいそのためには教育が必要なのだと私に教えてくれました。

 中央から発せられる力をただ受身で受け止めるのではなく、足元から涌きいづる力を感知し、この手につかみとるために、「知」が必要なのだと私は思います。




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秋の大和路� 〔斉�香 - 2003年10月12日(日)

 秋だ〜!
 観光の秋でございます。レッツゴウ、大和路でございます。

 去年もあめでおさんはいろいろと張り切って大和路見学コースを設定してくださってたんざんすが、職探しで頭いっぱいのマルコや新保育園で苦悩中だった1号さんは牛にひかれて善光寺ってかんじであんまり主体的に楽しんでおりませんでした。おKさんにいたってはどこに連れて行かれても、ぐうぐうねむって、突然雲古するくらいで、あめでおさんとしてはそれは張り合いのない話だったと思います。

 しかし今年は違います。私も1号さんもおKさんも、いくぜ!おう!てなかんじ。

 今日は連休の中日。 まずは朝7時前から自転車でご近所の世界遺産、法輪寺近くにコスモスを見に朝の散歩をした後、おうちで朝ごはん食べて「明日のナージャ」を視聴した後、午前10時半ころからおもむろに明日香村へまいりました。


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秋祭り〜大海原ではなく野原に立つ - 2003年10月11日(土)

 本日は斑鳩町主催の秋祭りが法隆寺門前に程近い町営駐車場で開催されました。町内の保育園児・幼稚園児の全てが町から貸与されたおそろいの法被着て参加しますので親やじじばばはほとんど動員状態で現場に駆けつけます。
 
 現場では和太鼓や小学生によるソーラン節の踊り(奈良に海はございませんが)などのアトラクションや露店などが出てなかなかの賑わいです。幼稚園児・保育園児はそれぞれが手作りした山車をひっぱって法隆寺山門まで行進します。ちなみにこの行事は法隆寺はノータッチなので山門の中に入れてもらえません。

 そんで飛鳥時代行列といって、「時空を越えて聖徳太子様がおいでになりました!」というアナウンスとともに彼らは現れるのです。詳しくは写真参照。

昨年も引っ越したばっかりの時期にこの祭に参加しました。「1号の保育園のお母さんとこれを機会に仲良くなろう!」と気負ったわりには上手く話ができなくってあめでおさんとおKと3人でかたまって祭を見物したのをありありと覚えています。まるで大海原で小さな岩の上に3人で身を寄せ合うように。

 今年は何人かのおかあさんと一緒に山車の行進をおっかけて写真激写したり、非番で見物に来ている先生とお話しちゃったり、おKさんのクラスのお母さんと話し込んじゃったりいろいろしながら参加しました。

 やっぱ基本的にあめでおさんとおKといっしょにいたんですがそこは既に大海原ではなく緑の野原に変わっていました。他所にもてろてろ歩いていけるけど、自分が選んで3人でいるって言うか。1年の時の流れは海を野原に変えるのです。


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象徴するおんなたち - 2003年10月09日(木)

 本日は専門学校労働日。
 専門学校の講師室でONE先生と日中文化ギャップについて語り合う。こんなに中国と日本は違うのにヨーロッパ人もアフリカ人も日本と中国の区別がついてないんだよね〜、という話をしていたらONE先生が

「私が子どものときテレビを見ていてとてもショックだったことがあります。ヨーロッパ製作の番組を見ていたら、地球儀の上に、ヨーロッパやアフリカやアジアを象徴する民族衣装を着たお人形が置かれており、アジア大陸の上に日本の着物姿の女性の人形が置いてあったんですよ。そこは日本じゃなくて中国の人形を置くべきでしょう?とてもショックでした。」

とおっしゃる。

そこで「中国の民族衣装が思いつかなかったのでしょうか?そういう場合の中国の民族衣装ってなんでしょう?」と聞くと

「チャイナドレスではないでしょうか?」

とおっしゃる。

 アジア(大陸部)を象徴すべき人形はチャイナドレスであれ、チマチョゴリであれ、サリーであれ、ちょっと場所的に違うけど、日本の着物であれ、しかし何でみんな女の服なんじゃろ?

 アフリカのマサイ族もアメリカンネイティブもスコットランドのバグパイプ担ぎも伝統的かつ象徴的な格好するのは男だ。アジアの男たちはとっとと伝統的な服を脱ぎ捨てて西欧化(≒近代化)に勤しんで、象徴作業は女に任せておるのは何故じゃろう?ちょっとフシギなアジアンマインド。


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インスパイア〜垂れ流す話 - 2003年10月08日(水)

 あのーあのー、びろうなお話が嫌いな人は読まないでくださいいい。

 某R隊長の掲示板でお子様が寝雲古をなさられた話からその掲示板が寝OO掲示板になっていくのを見つめつつ、か、書きたい!という衝動を抑えられなくなりました。しかしそれは「お子様」の話でも、「寝」ている間の話でもないのです。

 本人が保育園のお母さん向けにしたためた文章がありますので転載させていただきます。
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1999年11月7日
 11月になり秋も深まってまいりました、皆様いかがお過ごしでしょうか。子どもたちは既におしめが取れそうだったりもう少しかかりそうだったりと様々です。1号はおしっこ、あるいはうんこといえることも在りますが、まだもう少しかかりそうです。
 おしめが取れかけの時といえばおもらしです。1号も今日3回しました。まだうんこはおしめかおまるでぱんつにしたことはないのですが、おしっこは、「でた」といいながらぱんつにしています。うんこをぱんつにするのも時間の問題かもしれません。
 おもらしは子どもだけのものではありません。大人でも腹加減のよい時悪い時、便所の便のよい時悪い時があり、両者の悪い時が重なれば、当然、大人でもおもらしです。
 今から1年と4ヶ月前、7月上旬の晴れた日の朝、私もおもらしでした。そのころ私は朝のジョギングを日課にし毎朝6時ころから家を出て、三沢川沿いの遊歩道を稲城の手前あたりまで往復していました。この道は便所がほとんどなく、また犬の散歩をしている人が結構多く、また道には犬の糞はきちんと始末しましょうという看板もあり道端で排便することは困難な、便所の便の悪いところでした。
 その日はいつものように快調に三沢川沿いの遊歩道を走っていました。稲城の手前で折り返したときもまだ快調でしたが、三沢川沿いの遊歩道を離れる時、下腹部にわずかな違和感を感じました。そこは家まで約8分あれば帰れるところでした。私は日ごろ違和感をよく覚える方でしたので、この程度の違和感であれば1時間以上は大丈夫であることを確信しました。ところがジョギングは予想外に腹部を刺激するようで第1波はあっけなくやってきました。軽い排出感はありましたが、気体であるか、固体であるかは判別できませんでした。そしてそ知らぬ顔で走っていると、第2波がきました。ちょうどSちゃんの家の前でした。このときも固体であるとの確信はありませんでした。ともかくSちゃんが呑気に寝ているときにその近くで私は必死に便意を我慢したり、し損ねたりしながら走っていたことになります。
 そして我が家が見えたところで第3波がきました。このときははっきりとお尻のあたりが盛り上がるのが分かりました。やはり固体だったことがここで判明しました。私は慌てて家に駆け込み便所に直行しました。下着の中だけでなくそこからはみ出した固体とも液体ともいえないものがひざ上少しのところまで付着していました。
 私は便所を汚さないように紙で拭き、紙では限りがあるのでお風呂にはいりました。この辺が子どもと違うところで大人はおもらしをしてもちゃんと後始末が出来ます。とは言うものの大人はそう頻繁におもらししないものでしょうから久しぶりのおもらしにも少々残念な思いもありました。

 ところが頻繁におもらししないはずの私がすぐまたおもらしでした。
(以下、次回に続く)

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まあ、お察しのとおり、上記文章の書き手はあめでおさんです。
保育園のりんご組父母間で行われていた交換日記にお書きになられたのですが大好評でした。でも次回作はかかれないまま、永久にお蔵入りになりました。ちゃんちゃん。




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生活態度を改めてください。 - 2003年10月07日(火)

 あめでおさんも今週からお授業が始まりました。
 私は教壇に立つほうは9月4日から始まっておりましたが、立たれる方は今週開始です。甘いです、来春独立行政法人化予定の教育機関。専門学校の勤勉さを少しは見習いたまえ。

 さてあめでおさんとマルコの会話

 あ「修論生も卒論生も夏休み前と進捗状況が何も変わってないらしい。夏休み中何やってたんかなあ、生活態度の問題かなあ。」
 マ「あの〜わたしもD論、夏休み前とぜんぜん状況変わってません。」
 あ「、、、生活態度を改めてください。」

 あめでおさんが保育園のお迎え&夕食当番を週1日から週3日に増やしてくれたらもしかしたら進捗するかもね。

 あ、そういえば懸案の博士論文執筆資格審査試験辛くも合格。ぱふぱふ〜。
 教授、講座のMLで「期待してた解答をさっぱり書いてもらえなかった」とか講座全員に向かって言わないでください。 ってココで言ってもこの声は届きませんが。



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大掃除の堀出し物 - 2003年10月06日(月)

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拝啓
御手紙有難う。
本日は、万年筆のインクが切れたため久しぶりに筆を取りました。
君の手紙にもありましたが、勝ちて兜の緒を締めよ という言葉も色々な意味で我々の心に置いておく必要があるでしょう。
勝ちて云々という言葉は、君も「坂の上の雲」を読んで知っているでしょうが、日本海海戦後、東郷元帥が連合艦隊解散の辞に引用され、アメリカのルーズベルト大統領を感動させたという有名なものです。
ところがこの連合艦隊解散の辞にはもう一つ有名な言葉があり、それは、「砲、百発百中の一門は 百発1中の砲、百門に負けない」というものです。この言葉を信じて物量に精神力で対抗できると思った人が戦争をはじめたようですが
「百発百中云々」という言葉はそもそも間違いで、前者が後者に勝てる確率は0で後者が前者に負けない確率が100%となります。
精神力は大切でしょうがものの道理を知らないと宜しくないということも心に置いておくべきことでしょう。
私は、おそらく10月10日から11月25日の間、Wさん宅で猫のお世話をすることになると思います、またそれが決まったら連絡します。ではお元気で。
9月19日
山田あめでお

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 なんぞという手紙の束が大掃除の結果発見されました。
 あめでおさんがアフリカ滞在中の私に長半紙に毛筆でるるとしたためたお手紙なんですが1年も逢ってない(そしてあと1年逢う予定がない)恋人に書く内容とは思われん手紙で、再読してびっくらでしたわ。
 上記執筆当時、あめでおさん25歳。
 心置きなく、爆笑させていただきました。おまけに公開までしちゃいます。ほほ。



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1年後の運動会 - 2003年10月04日(土)

 当地に引っ越してきて1年が経過いたしました。2度目の秋、本日は1号さんにとっては2度目の保育園運動会でございました。

 昨年は入園5日目で運動会本番という超過酷なスケヂュールでございました。それでも生後2ヶ月から保育園暮らしを送っていた1号さんはこわばった笑みを頬に張り付かせながら健気に演技しておられました。

 しかし今年は違いました。

 年長児としてかなーり大量の出番をリラックスして楽しんで演じていらっしゃいます。昨年は練習が足らないからと出演を拒まれたフィナーレのリズム演技もしっかりとこなされ、お弁当もそのあとの昼休みも今年は仲のよい友達と園庭をけらけら笑いながら駆け回っておられるそのお姿に、長く辛かった新天地順応のための時間は終わり、1号さんは当地に根を張り、花を開かせつつあるのだと実感いたしました。

 おKさんも0歳児組園児として2つほど演技なさいました。4月入園時は計2名だったクラスも今月には計6名に増え、担任の先生も4月は2名でしたが、現在は3名に加員されています。おKさん4月からの最長老のオリジナルメンバーとしてもう一人のオリジナルメンバーFちゃんと元老院を形成している模様で超余裕です。乳児社会学、今後も目が離せません。

 昨年は大変ギョッとした開会式での町の有力者の挨拶も今年は気になりませんでした。今年は町長さんが1発スピーチなさったのですが、さすがです。必要最小限のことを30秒ほどで語られてさっくり切り上げました。そうです。大人スピーチは短いにこしたことはございません、誰も聞いちゃいません。

 そして、保育園には親子参加競技というのがございます。1号さんのクラスは親子リレーをやりました。クラス33名を3チームにわけ、1チーム11組の親子22名がバトンをつないで園庭の丸いトラックを激走するのです。あめでおさん、この日に備えて毎朝走り込みをするは、当日はトレパン着て登場するはかなり力が篭ってらっしゃいました。丸いトラックは超走りにくく、まじにスピードをだすと遠心力で転びます。あっちこっちでお父さんお母さんが土煙を上げてすっころびながら激走するのはソレはソレは血涌き肉踊る光景でした。あめでおさん・1号さんの所属したチームは見事に優秀なさりました。

 私たちはこの地を新たな故郷と定め、そして着実に流れていく時を感じた秋の空の下の運動会でした。


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大掃除 - 2003年10月01日(水)

 まあいろいろとデューティの多かった9月が終わりました。9月に受けた博士論文執筆資格審査試験(長い!)の結果が10月1日の教授会で承認され、それから各学生の自宅に結果が郵送されることになってました。で、この9月29日から始まる週は大学に行っても落ち着かないし、家で大掃除をすることにしました。

 普段、主に使ってる居間(25畳)と続きの寝室(6畳)はほとんど毎日掃除機をかけています(あめでおさんが)。でもその奥にあるといううわさの8畳と5畳の部屋は引っ越し以来物置と化しておりました(1年間も)。掃除しました。2部屋とも使えるようになりました。まあ、広い家だったのね〜。

 8畳間には主にわたしの本などがおいてあったのですが前職場で使ってた資料とかEメールのプリントアウトしたものとかが結構ありました。前職場から問い合わせがあるかもしれないなどと思ってとってあったものも、これを機会に捨てました。いろいろと解決できずにいた前職場への思いもこれを機会に清算しようと思います。

 それにしても1年間も奥の部屋を掃除せずにいたというのは驚異的。何をそんなにあせっていたのか。これからは少し余裕を持って行きたいと思います。すくなくとも、使わない部分も月に1編くらいは掃除出来るくらいには。


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